講孟余話 / 梁惠王下 第五章
前章ノ論雪宮ヨリ起ル、此章ノ論明堂ヨリ起ル、並ニ題小ニシテ論大ナリ、孟子滿腹尽ク是レ王政、尽ク是レ天下ト憂樂ヲ同フス、故ニ何事ニ觸レテモ必ズ発露スルコト斯ノ如シ、抑今人孟子ノ大論ヲ聞ケトモ、毫毛モ心ニ徹スル所ナキハ何事ソヤ、」世祿ノ事ハ先輩室鳩巢是ヲ論スルコト詳ナリ、就テ見ルベシ、」
新字:前章ノ論雪宮ヨリ起ル、此章ノ論明堂ヨリ起ル、並ニ題小ニシテ論大ナリ、孟子満腹尽ク是レ王政、尽ク是レ天下ト憂楽ヲ同フス、故ニ何事ニ触レテモ必ズ発露スルコト斯ノ如シ、抑今人孟子ノ大論ヲ聞ケトモ、毫毛モ心ニ徹スル所ナキハ何事ソヤ、」世禄ノ事ハ先輩室鳩巣是ヲ論スルコト詳ナリ、就テ見ルベシ、」
書き下し
前章の論は雪宮より起こる、此の章の論は明堂より起こる、並びに題小にして論大なり。孟子満腹尽く是れ王政、尽く是れ天下と憂楽を同じうす、故に何事に触れても必ず発露すること斯くの如し。抑々今人孟子の大論を聞けども、毫毛も心に徹する所なきは何事ぞや。世禄の事は先輩室鳩巣是れを論ずること詳らかなり、就きて見るべし。
現代語訳
前の章の議論は雪宮から起こり、この章の議論は明堂から起こる。どちらも題は小さいのに議論は大きい。孟子は腹の中がすべて王道政治で、すべて天下と憂いと楽しみを共にしている。だから何事に触れても必ずこのように表に出てくるのである。それなのに今の人が孟子の大きな議論を聞いても、少しも心に通じるところがないのはどういうことか。代々の俸禄(世禄)のことは、先輩の室鳩巣が詳しく論じているので、それを見るとよい。
解説
斉の宣王が、周の天子が巡狩の際に用いた明堂を壊すべきかと問い、孟子が王政を行う気があるなら壊すなと答え、文王の政治として世禄や身寄りのない者への配慮を説いた章の冒頭です。松陰は、宮殿の話から天下の政治に話が広がる孟子を「題小にして論大なり」と評し、孟子の腹の中は王政で満ちているから何に触れてもそれが出てくるのだと言います。そして、今の人がそれを聞いても心に響かないのはなぜかと問いかけます。小さな話題から大きな志が出てくる人の姿を思わせる一節です。
この章句が説くこと
王政志明堂室鳩巣世禄
関連する章句
-
葉隠・聞書第一一度打向へば、最早(もはや)其の道に入りたるなり。名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきかと思ひて、一度志すところが即ち聖人なり。後(のち)に修行して聖人に成り給ふにはあらず。十有五にして学に志すとは、即ち聖人なり。初発心時(しょほっしんじ)辨成正覚(べんじょうしょうがく)ともこれあるなり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
-
『和俗童子訓』巻之二・総論下一師の教を受け、学問する法は、善を好み行ふを以て、常に志とすべし。学問するは、善を行はんが為なり。人の善を見ては、我が身に取りて行ひ、人の義ある事を聞かば、心にむべなりと思ひ感じて行ふべし。善を見、義を聞きても、我が心に感ぜず、身に取用ひて行はずば、むげに志なく力なしといふべし。我が学問と才力と勝たりとも、人にほこりて自満すべからず。言にあらはしてほこるは、云ふに及ばず、心にもきざすべからず。志は偽り邪なく、誠ありて正しかるべし。心の内は、おほひ曇なく、裏表なく、純一にて、青天白日の如くなるべし。一点も心の内に邪悪をして、裏表あるべからず。志正しきは、万事の本なり。身に行ふ事は正直にして、道にまげず、邪にゆがめる事を行ふべからず。
-
説苑・說叢君子は其の備え有れば則ち事無し。君子は愧を以て食らわず、辱を以て得ず。君子は其の志を得るを樂しみ、小人は其の事を得るを樂しむ。君子は其の愛せざる所を以て、其の愛する所に及ぼさず。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ萬物の情は、各おの自ら遂げんことを求むる者なり。惟だ聖人の心のみ、則ち萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ。
-
『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「我れに二子有り。一人なる者は學を好み、一人なる者は人に財を分かつを好む。孰れを以て太子と為して可ならんか」と。子墨子曰く、「未だ知る可からざるなり。或いは賞を為す所、是を為すに興らんなり。釣る者の恭なるは、魚に賜うが為に非ざるなり。䑕に蟲を以てするは、之を愛するに非ざるなり。吾れ願わくは主君の其の志と功とを合わせて觀んことを」と。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る