講孟余話 / 梁惠王下 第五章
鰥寡孤獨ノ事余ガ綣々タル所ナリ、曾テ西洋人ノ清国ノ事ヲ記スルヲ見ルニ云ヘル事アリ、支那國内ニハ人民繁衍スルコト極テ盛ナリトイヘトモ、貧困ノ徒最モ夥シ、其窮迫甚シキハ愍然トシテ視ルニ忍ヒサル者アリ、冬月酷寒ノ時ニ至テハ、夜間貧民相聚リ、互ニ重案シ、或ハ終夜篝火ヲ燒テ、其冱死ヲ防ク、惟其病夫老婦ハ時トシテ凍死ス、土人其屍ヲ取リテ、橋下堤側中ニ投入ス、然レトモ官吏之ヲ詰問セズ、又曰ク支那ニテハ、乞食ヲ殺害シテ弃ツルコト頗ル多シ、又痾者殘廃者ノ如キハ道路ニ立テ錢ヲ往還ノ人ニ乞フ、又曰ク貧者路傍ヲ徘徊シテ、食ヲ他人ニ乞フ時ハ、或ハ腹痛堪フベカラザル景狀ヲナシ、或ハ手足殘廃シテ步行屈伸ヲナスベカラサル狀ヲナシ、其最モ猾ナル者ハ故ラニ其女ノ眼目ヲ損シ、其母自ラ之ヲ携ヘ哀愍ノ情ヲ切ニシテ多錢ヲ乞フ者アリ、又ハ其愛子ヲ宮中ニ賣ンガ爲メニ、男根ヲ剪リ弃テ之ヲ閹官トナシテ、其身ノ榮ヲ謀ル者アリ、此惡風ノ起リハ州内ニ病院ノ設ケナキカ故ナリ、又州内ニ幼院ナキヲ以テ貧者其子ヲ養育スルコト能ハズ、其穉子ヲ道路ニ弃ツル者アリ、北京府清國ノ都ノ如キハ、一年捨ツル所ノ兒数ヲ記載スルトキハ、大約九千人ニ下ラズト云、
新字:鰥寡孤独ノ事余ガ綣々タル所ナリ、曽テ西洋人ノ清国ノ事ヲ記スルヲ見ルニ云ヘル事アリ、支那国内ニハ人民繁衍スルコト極テ盛ナリトイヘトモ、貧困ノ徒最モ夥シ、其窮迫甚シキハ愍然トシテ視ルニ忍ヒサル者アリ、冬月酷寒ノ時ニ至テハ、夜間貧民相聚リ、互ニ重案シ、或ハ終夜篝火ヲ焼テ、其冱死ヲ防ク、惟其病夫老婦ハ時トシテ凍死ス、土人其屍ヲ取リテ、橋下堤側中ニ投入ス、然レトモ官吏之ヲ詰問セズ、又曰ク支那ニテハ、乞食ヲ殺害シテ弃ツルコト頗ル多シ、又痾者残廃者ノ如キハ道路ニ立テ銭ヲ往還ノ人ニ乞フ、又曰ク貧者路傍ヲ徘徊シテ、食ヲ他人ニ乞フ時ハ、或ハ腹痛堪フベカラザル景状ヲナシ、或ハ手足残廃シテ歩行屈伸ヲナスベカラサル状ヲナシ、其最モ猾ナル者ハ故ラニ其女ノ眼目ヲ損シ、其母自ラ之ヲ携ヘ哀愍ノ情ヲ切ニシテ多銭ヲ乞フ者アリ、又ハ其愛子ヲ宮中ニ売ンガ為メニ、男根ヲ剪リ弃テ之ヲ閹官トナシテ、其身ノ栄ヲ謀ル者アリ、此悪風ノ起リハ州内ニ病院ノ設ケナキカ故ナリ、又州内ニ幼院ナキヲ以テ貧者其子ヲ養育スルコト能ハズ、其穉子ヲ道路ニ弃ツル者アリ、北京府清国ノ都ノ如キハ、一年捨ツル所ノ児数ヲ記載スルトキハ、大約九千人ニ下ラズト云、
書き下し
鰥寡孤独の事は余が綣々たる所なり。曾て西洋人の清国の事を記するを見るに云へる事あり。支那国内には人民繁衍すること極めて盛んなりといへども、貧困の徒最も夥し。其の窮迫甚しきは愍然として視るに忍びざる者あり。冬月酷寒の時に至りては、夜間貧民相聚り、互ひに重案し、或は終夜篝火を焼きて、其の冱死を防ぐ。惟だ其の病夫老婦は時として凍死す。土人其の屍を取りて、橋下堤側中に投入す。然れども官吏之れを詰問せず。又曰く、支那にては乞食を殺害して棄つること頗る多し。又痾者・残廃者の如きは道路に立ちて銭を往還の人に乞ふ。又曰く、貧者路傍を徘徊して食を他人に乞ふ時は、或は腹痛堪ふべからざる景状をなし、或は手足残廃して歩行屈伸をなすべからざる状をなし、其の最も猾なる者は故らに其の女の眼目を損し、其の母自ら之れを携へ、哀愍の情を切にして多銭を乞ふ者あり。又は其の愛子を宮中に売らんが為めに、男根を剪り棄て之れを閹官となして、其の身の栄を謀る者あり。此の悪風の起こりは州内に病院の設けなきが故なり。又州内に幼院なきを以て、貧者其の子を養育すること能はず、其の稚子を道路に棄つる者あり。北京府の如きは、一年捨つる所の児数を記載するときは、大約九千人に下らずと云ふ。
現代語訳
身寄りのない男やもめ・女やもめ・孤児・独り暮らしの老人のことは、私がいつも心にかけているところである。かつて西洋人が清国について記したものを見たところ、こう書いてあった。中国国内では人口が極めて盛んに増えているが、貧困の者がとても多い。その窮迫のひどさは、哀れで見るに忍びないほどである。冬の厳寒の時期になると、夜には貧民が集まって身を寄せ合い重なり合い、あるいは一晩中かがり火をたいて凍え死ぬのを防ぐ。それでも病人や老婆はときに凍死する。土地の者はその遺体を取って、橋の下や堤のわきに投げ込む。しかし役人はそれをとがめない。また言う。中国では乞食を殺して捨てることがたいへん多い。また病人や体の不自由な者は道に立って行き交う人に銭を乞う。また言う。貧しい者が道ばたをさまよって人に食べ物を乞うときは、腹痛に耐えられない様子をしたり、手足が不自由で歩くことも曲げ伸ばしもできない様子をしたりする。最もずる賢い者は、わざと娘の目を傷つけ、母親が自ら連れて歩いて哀れみを誘い、多くの銭を乞う者もいる。またかわいい子を宮中に売るために男の機能を断って宦官にし、自分の身の栄達をはかる者もいる。この悪い風習が起こるのは、地方に病院の設けがないからである。また地方に孤児院がないので、貧しい者は子を養育できず、幼子を道に捨てる者がいる。北京のような所では、一年に捨てられる子の数を記録すると、およそ九千人を下らないという。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『政談』國の締り一篇の發端の事総して国の治めと云ふは、譬へば碁盤の目を盛るが如し、目を盛らざる盤にては、何ほどの上手にても碁はうたれぬなり、洪水を静むるには、川筋を付るなり、川筋を付ざれば、禹王再び生れ出たまふとも、水を静むることは叶はざるなり、当時火災の事上の御世話にて塗屋土蔵造に成りたれば、火災自然と少なし、是明かなる証拠なり、其外の御政務には、此訳を申し立る人なきにや、是によりて和漢の古法を考へ愚案の量見を左に記す、
-
『政談』右四册大意の事右四册の物語りに瑣細なるまでを記したることは、当時は法の立てやう未熟にて、大なる所に法立たず、末に計り法立ちてある故世界に締り無く、風俗ひたものに移り行き、今は法は法にて有りながら、下は下にて別々になりて、法も詮無きことに成りたることを知らせ奉らんためなり、当時のことなど見及び聞及びたる争などを少々書きたるは、定めて承はり違ひもあるべし、又愚按の違ひもあるべし、政治の道はひきつはなれたることにあらず、世の成行世界の全体を知し召すこと肝要なり、肝心の所は世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、此二つに帰することなり、是によりて、戸籍を立て万民を住所に有付ると、町人百姓と武家と制度の差別を立ると、大名の家に制度を立ると御買上と云ことの之なきやうにすると、大体是にて世界はすぐなをり豊かに成るへし、
-
『政談』諸色直段の事偖又用ゆるもの多き故に高直になる、此用ゆる者多きは制度なきより起れり、元来貴き人は善きものを用ひ、賤きものは悪きものを用ゆるときは、物各々其宜きを得るゆゑ諸色高直にはならぬを、今は賤き者まても善きものを用ゆると云は如何やうの事なれは、御城下に来集る民は素は田舎のものにて、麦粟種等の雑穀を食し、濁酒を飲み、味噌をも食せす、すくも火を焼き、麻木綿を織て着し、席薦の上に寝臥をしたるものか、心儘に御城下に来住する故、米味噌を食し、薪を焼き、炭の火にあたり、衣服も買整へて着し、善酒を飲み、田舎に之なき障子を立て、天井を張り、唐紙を張り、畳を敷き、蚊屋を釣るなとすることは、ぼていふりも皆斯の如し、少しも善き町人は衣服食事家居器物まても金さへあれは大名と同しことにて誰れ制する者なし、是諸物の用ゆる人多き故諸色の高直なること尤なり、
-
尉繚子・制談此くの如くんば、戦ひ勝つと雖も国益々弱く、地を得るも国益々貧しきは、国中の制弊るるに由るなり。
-
『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
-
『政談』當時制度之なき事兼て制度を立てゝこれを安くするときは人々知る故分に過ぎたる奢りは自からなくて世上に費へなし、制度なければ上より奢りをするなと制し玉ふと云ふとも、是までが分相応にて是より上か奢りなりと云ふ「キツカケ」なけれはすへきやうなし、華美を好むは人情の常なる故制度なき故に世は次第に奢りに成行くなり、衣服の制度ある時は是は大名是は大役高官の人と云ふ事坐敷の上にても自から知るゝ故、人々貴きを敬ひ儀式自から乱れさるに、上一人より下は民までも何れも小袖を着上下を着ること同様にて、其衣服の地は金さへあれは何を着ても誰制する人なし、上下の見分けなき故高官大役の人下のものと別の立てやうなく、唯々いかつかましき体をして是にて高下を別のことに成り、我か身の君子の礼儀を失ふことをは知らず、御役人奉行なとの無礼甚しく、下たるものは礼に過ぎて這ひ屈み、諂ふ風俗甚しきも制度なきか故なり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る