講孟余話 / 梁惠王下 第三章
本藩人皆謂ラク、安藝ハ吾ガ旧国、宜シク時ニ乘シ奪ヒ復シ、遂ニ十州ノ旧業ヲ按シ、天下ト衡ヲ爭フベシト、此論余カ深ク痛心スル所ナリ、凢ソ七道ノ諸藩、孰カ天子ノ命ヲ奉シ、幕府ノ令ニ從フ者ニ非スヤ、相共ニ心ヲ協ヘ力ヲ合セ、天朝幕府ニ奉事スヘキハ固其職ナリ、若シ其力德義、上天朝ニ達シ、下諸邦ニ孚アラハ、天下ノ柄求メスシテ自ラ得ベシ、是ニ於テ必ズ已ムコトヲ得スンバ、文王武王ノ勇ヲ奮ヒ無道ノ国ヲ誅セハ、孰カ敢テ是ヲ禦カン、然レトモ是レ好ムヘキコトニ非ズ、其他自ラ治メスシテ衡ヲ爭ントスルハ、徒ニ自ラ弊シテ釁ヲ啓クノミ、况ヤ方今外夷四面ヨリ我ガ釁隙ヲ伺フ、此時ニ當テ六十州ノ人心ヲ一塊石トナシ、以テ彼小醜ヲ懲ラシ、海波ヲ清メンコト尤モ願フ所ナリ、抑古ノ仁智ノ君、強暴ノ敵ヲ待ツ、志ヲ存スルコト甚タ久遠、敢テ一旦ノ利害ヲ較セズ、一時ノ屈伸ヲ論セズ、遂ニ善ク大仇ヲ斃シ、大功ヲ建ル、実ニ欣慕ニ餘リアリ、後世ノ人智慮短浅、一旦敗衂スレハ、志氣頓ニ沮喪シ、復タ能ク爲スコトナシ、哀ヘキカナ、憂フヘキカナ
新字:本藩人皆謂ラク、安芸ハ吾ガ旧国、宜シク時ニ乗シ奪ヒ復シ、遂ニ十州ノ旧業ヲ按シ、天下ト衡ヲ争フベシト、此論余カ深ク痛心スル所ナリ、凢ソ七道ノ諸藩、孰カ天子ノ命ヲ奉シ、幕府ノ令ニ従フ者ニ非スヤ、相共ニ心ヲ協ヘ力ヲ合セ、天朝幕府ニ奉事スヘキハ固其職ナリ、若シ其力徳義、上天朝ニ達シ、下諸邦ニ孚アラハ、天下ノ柄求メスシテ自ラ得ベシ、是ニ於テ必ズ已ムコトヲ得スンバ、文王武王ノ勇ヲ奮ヒ無道ノ国ヲ誅セハ、孰カ敢テ是ヲ禦カン、然レトモ是レ好ムヘキコトニ非ズ、其他自ラ治メスシテ衡ヲ争ントスルハ、徒ニ自ラ弊シテ釁ヲ啓クノミ、況ヤ方今外夷四面ヨリ我ガ釁隙ヲ伺フ、此時ニ当テ六十州ノ人心ヲ一塊石トナシ、以テ彼小醜ヲ懲ラシ、海波ヲ清メンコト尤モ願フ所ナリ、抑古ノ仁智ノ君、強暴ノ敵ヲ待ツ、志ヲ存スルコト甚タ久遠、敢テ一旦ノ利害ヲ較セズ、一時ノ屈伸ヲ論セズ、遂ニ善ク大仇ヲ斃シ、大功ヲ建ル、実ニ欣慕ニ余リアリ、後世ノ人智慮短浅、一旦敗衂スレハ、志気頓ニ沮喪シ、復タ能ク為スコトナシ、哀ヘキカナ、憂フヘキカナ
書き下し
本藩の人皆謂へらく、安芸は吾が旧国、宜しく時に乗じて奪ひ復し、遂に十州の旧業を按じて、天下と衡を争ふべしと。此の論余が深く痛心する所なり。凡そ七道の諸藩、孰か天子の命を奉じ、幕府の令に従ふ者に非ずや。相共に心を協へ力を合はせ、天朝幕府に奉事すべきは固より其の職なり。若し其の力徳義、上天朝に達し、下諸邦に孚あらば、天下の柄、求めずして自ら得べし。是に於て必ず已むことを得ずんば、文王武王の勇を奮ひ、無道の国を誅せば、孰か敢へて是れを禦がん。然れども是れ好むべきことに非ず。其の他自ら治めずして衡を争はんとするは、徒に自ら弊して釁を啓くのみ。況んや方今外夷四面より我が釁隙を伺ふ。此の時に当たりて六十州の人心を一塊石となし、以て彼の小醜を懲らし、海波を清めんこと尤も願ふ所なり。抑々古の仁智の君、強暴の敵を待つ、志を存すること甚だ久遠、敢へて一旦の利害を較べず、一時の屈伸を論ぜず、遂に善く大仇を斃し、大功を建つ、実に欣慕に余りあり。後世の人は智慮短浅、一旦敗衄すれば、志気頓に沮喪し、復た能く為すことなし、哀しむべきかな、憂ふべきかな。
現代語訳
わが藩の人はみな言う。「安芸はわが旧領である。機に乗じて奪い返し、ついには十か国の旧領を取り戻して、天下と覇を争うべきだ」。この議論こそ、私が深く心を痛めるところである。およそ全国の諸藩で、天子の命を奉じ、幕府の命令に従わない藩があろうか。互いに心を合わせ力を合わせて、朝廷と幕府に仕えるのが、もとよりその務めである。もしその力と徳と義が、上は朝廷に届き、下は諸国の信頼を得るなら、天下を動かす力は求めなくてもおのずから手に入る。そのうえでどうしてもやむを得ないなら、文王・武王の勇を奮って無道の国を討てば、誰がそれを防げようか。しかしこれは好んでするべきことではない。そうでなく、自分の国も治めないで覇を争おうとするのは、いたずらに自らを疲れさせ、争いのすきを開くだけである。まして今、外国が四方からわが国のすきをうかがっている。このときにあたって、六十余州の人心を一つの固い石のようにまとめ、あの小さな悪をこらしめ、海の波を静めることこそ、最も願うところである。そもそも昔の仁と智をそなえた君主は、強く暴虐な敵に対して、志を非常に長く持ち、一時の利害を比べず、一時の屈伸を論じず、ついに大きな仇を倒し、大きな功を立てた。まことに慕わしい限りである。後世の人は考えが浅く、一度敗れると気力がたちまちくじけ、二度と何もできなくなる。哀しいことだ、憂うべきことだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
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史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
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論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
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史記 刺客列伝高漸離名姓を変じて人の庸保と為り、宋子に匿れ作す。之を久しくして、作苦しく、其の家の堂上に客の筑を撃つを聞き、傍偟して去る能はず。毎に言を出だして曰く、「彼に善有り善ならざる有り」と。従者以て其の主に告げて曰く、「彼の庸は乃ち音を知り、竊かに是非を言ふ」と。家の丈人召して前に筑を撃たしむ。一坐善しと称し、酒を賜ふ。而して高漸離、久しく隠れて畏約すること窮まる時無きを念ひ、乃ち退きて、其の装匣の中の筑と其の善衣とを出だし、容貌を更めて前む。坐を挙げて客皆驚き、下りて与に抗礼し、以て上客と為す。筑を撃ちて歌はしむ。客流涕して去らざる者無し。宋子伝へて之を客とし、秦の始皇に聞こゆ。秦の始皇召し見る。人識る者有りて、乃ち曰く、「高漸離なり」と。秦の皇帝其の善く筑を撃つを惜しみ、重ねて之を赦し、乃ち其の目を矐す。筑を撃たしむるに、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。稍く益々之に近づく。高漸離乃ち鉛を以て筑の中に置き、復た進みて近づくを得、筑を挙げて秦の皇帝を樸つ。中らず。是に於て遂に高漸離を誅し、身を終ふるまで復た諸侯の人に近づかず。魯句践已に荊軻の秦王を刺せしを聞き、私かに曰く、「嗟乎、惜しいかな其の刺剣の術を講ぜざりしや。甚だしいかな吾の人を知らざるや。曩者吾之を叱す。彼乃ち我を以て人に非ずと為せしならん」と。太史公曰く、世に荊軻を言ふに、其の太子丹の命を称して、「天粟を雨らし、馬角を生ず」とするや、太だ過ぎたり。又荊軻秦王を傷つくと言ふも、皆非なり。始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具に其の事を知り、余の為に之を道ふこと是の如し。曹沫より荊軻に至るまで五人、此れ其の義或いは成り或いは成らず。然れども其の意を立つること較然として、其の志を欺かず、名後世に垂る。豈に妄ならんや。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「名を好むの人は、能く千乘の國を讓る。苟くも其の人に非ざれば、簞食豆羹も色に見わる。」
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