講孟余話 / 梁惠王上 第七章
但シ吾徒原ト是レ士藉ヲ汚スト雖トモ、其士道ニ合セザルヲ以テ、今黜辱セラレテ囚奴トナリ、復タ士林ニ歯スルコトヲ得サルニ至ル、然ルニ世ノ眞ノ武士ヨリ吾徒ヲ見ハ、復タ士道アルコトナシトセンモ當然ナリ、然レトモ汝ハ汝タリ我ハ我タリ、人コソ如何トモ謂ヘ、吾願クハ諸君ト志ヲ勵マシ、士道ヲ講究シ、恒心ヲ鍊磨シ、其武道武義ヲシテ武門武士ノ名ニ負クコトナカラシメハ、減死スト雖トモ万々遺憾アルコトナシ、豈愉快ノ甚シキニ非スヤ、是所謂心身上ニ於テ猛省スヘキ者ナリ、此事實ニ吾一心身上ニアルコトナレハ、人ノ力ヲ借ラズ、人ノ財ヲ費スシテ、自在ニ成シ得ヘキコトナリ、若得スト云者アラハ、亦是レ非不能也、不爲也、一羽ヲ擧、輿薪ヲ見、枝ヲ折ルノ類ナリ、知ラズ、諸君此說ヲ以テ是トセンカ、非トセンカ
新字:但シ吾徒原ト是レ士藉ヲ汚スト雖トモ、其士道ニ合セザルヲ以テ、今黜辱セラレテ囚奴トナリ、復タ士林ニ歯スルコトヲ得サルニ至ル、然ルニ世ノ真ノ武士ヨリ吾徒ヲ見ハ、復タ士道アルコトナシトセンモ当然ナリ、然レトモ汝ハ汝タリ我ハ我タリ、人コソ如何トモ謂ヘ、吾願クハ諸君ト志ヲ励マシ、士道ヲ講究シ、恒心ヲ錬磨シ、其武道武義ヲシテ武門武士ノ名ニ負クコトナカラシメハ、減死スト雖トモ万々遺憾アルコトナシ、豈愉快ノ甚シキニ非スヤ、是所謂心身上ニ於テ猛省スヘキ者ナリ、此事実ニ吾一心身上ニアルコトナレハ、人ノ力ヲ借ラズ、人ノ財ヲ費スシテ、自在ニ成シ得ヘキコトナリ、若得スト云者アラハ、亦是レ非不能也、不為也、一羽ヲ挙、輿薪ヲ見、枝ヲ折ルノ類ナリ、知ラズ、諸君此説ヲ以テ是トセンカ、非トセンカ
書き下し
但し吾が徒、原と是れ士籍を汚すと雖も、其の士道に合はざるを以て、今黜辱せられて囚奴となり、復た士林に歯することを得ざるに至る。然るに世の真の武士より吾が徒を見ば、復た士道あることなしとせんも当然なり。然れども汝は汝たり、我は我たり、人こそ如何とも謂へ、吾願はくは諸君と志を励まし、士道を講究し、恒心を錬磨し、其の武道武義をして武門武士の名に負くことなからしめば、減死すと雖も万々遺憾あることなし、豈に愉快の甚しきに非ずや。是れ所謂心身上に於て猛省すべき者なり。此の事実に吾が一心身上にあることなれば、人の力を借らず、人の財を費さずして、自在に成し得べきことなり。若し得ずと云ふ者あらば、亦是れ能はざるに非ざるなり、為さざるなり、一羽を挙げ、輿薪を見、枝を折るの類なり。知らず、諸君此の説を以て是とせんか、非とせんか。
現代語訳
ただ私たちは、もとは士の籍に名を連ねていたが、士の道にかなわなかったために、いま罰せられ辱められて囚人となり、二度と士の仲間に加わることができなくなった。世の本物の武士から私たちを見れば、もはや士道などないとされるのも当然である。しかし、あなたはあなた、私は私である。人が何と言おうと、私は諸君と志を励まし合い、士の道を講じ究め、定まった心を鍛え磨き、その武道と武義を武門・武士の名に背かないものにしたい。そうできれば、たとえ死ぬことになっても少しも悔いはない。これほど愉快なことがあろうか。これがいわゆる心身について猛省すべきことである。これは本当に自分一人の心身にかかわることだから、人の力を借りず、人の財を使わずに、思いのままに成し遂げられる。もしできないと言う者がいれば、それもまた、できないのではない、しないのである。羽一枚を持ち上げ、車一杯の薪を見、枝を折るようなものである。さて諸君は、この説を正しいとするか、間違っているとするか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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