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講孟余話 / 梁惠王上 第六章

孟子見梁襄王、卒然問曰、天下悪乎定、梁ノ襄王ノ暗愚固ヨリ論ヲ待タズ、但其尤モ暗愚ヲ見ルベキ者果シテ何レニアリヤ、曰ク天下悪乎定ノ一句ニアリ、此時梁国四方難多シ、已ニ前章ニ云カ如シ、然ルニ襄王一モ憂勤惕厲ノ色アルコトナシ、其天下悪乎定ト云ハ世上話ナリ、カヽル田別者安ンゾ與ニ語ルニ足ラン、盖シ此章ヲ擧テ孟子梁ヲ去ル所以ヲ示スナリ、抑有志ノ人言語自ラ別ナリ、心身家国切実ノ事務ヲ以テ世上話トナス者、取ルニ者有ルコトナシ、是人ヲ知ルノ眞訣ナリ、然トモ是ヲ以テ人ヲ知ルノ訣トスルモ亦世上話ノ類ノミ、宜シク親切反省スベシ、辞ヲ修メ誠ヲ立ル是レ君子ノ学ナリ

新字:孟子見梁襄王、卒然問曰、天下悪乎定、梁ノ襄王ノ暗愚固ヨリ論ヲ待タズ、但其尤モ暗愚ヲ見ルベキ者果シテ何レニアリヤ、曰ク天下悪乎定ノ一句ニアリ、此時梁国四方難多シ、已ニ前章ニ云カ如シ、然ルニ襄王一モ憂勤惕厲ノ色アルコトナシ、其天下悪乎定ト云ハ世上話ナリ、カヽル田別者安ンゾ与ニ語ルニ足ラン、盖シ此章ヲ挙テ孟子梁ヲ去ル所以ヲ示スナリ、抑有志ノ人言語自ラ別ナリ、心身家国切実ノ事務ヲ以テ世上話トナス者、取ルニ者有ルコトナシ、是人ヲ知ルノ真訣ナリ、然トモ是ヲ以テ人ヲ知ルノ訣トスルモ亦世上話ノ類ノミ、宜シク親切反省スベシ、辞ヲ修メ誠ヲ立ル是レ君子ノ学ナリ

書き下し

孟子梁の襄王に見ゆ、卒然として問ひて曰く、天下悪くにか定まらんと。梁の襄王の暗愚、固より論を待たず。但だ其の尤も暗愚を見るべき者、果して何れにありや。曰く、天下悪くにか定まらんの一句にあり。此の時梁国四方難多し、已に前章に云ふが如し。然るに襄王一も憂勤惕厲の色あることなし。其の天下悪くにか定まらんと云ふは世上話なり。かかる田別者安んぞ与に語るに足らん。蓋し此の章を挙げて孟子梁を去る所以を示すなり。抑々有志の人は言語自ら別なり。心身家国切実の事務を以て世上話となす者、取るに足る者有ることなし。是れ人を知るの真訣なり。然れども是れを以て人を知るの訣とするも、亦世上話の類のみ。宜しく親切に反省すべし。辞を修め誠を立つる、是れ君子の学なり。

現代語訳

孟子が梁の襄王に会うと、王はだしぬけに「天下はどうやって定まるのか」と問うた。梁の襄王の暗愚さは言うまでもない。ただ、その暗愚さが最もよく見えるのはどこか。「天下はどうやって定まるのか」の一句である。このとき梁の国は四方に難が多く、前章で述べたとおりである。それなのに襄王には、憂えて励み、身を引き締める様子が少しもない。「天下はどうやって定まるのか」と言うのは、ただの世間話である。こんな心ない者と、どうして語り合う価値があろうか。思うにこの章を掲げたのは、孟子が梁を去ったわけを示すためである。そもそも志ある人の言葉はおのずから違う。自分の心身や家や国の切実な事柄を世間話のように語る者で、取るに足る者はいない。これが人を見抜く真の秘訣である。しかし、これを人を見抜く秘訣として使うだけなら、それもまた世間話の類にすぎない。わが身に引き寄せて反省すべきである。言葉を修めて誠を立てる、これが君子の学問である。

解説

恵王の跡を継いだ襄王が、孟子に会うなり「天下はどうやって定まるのか」と問うた章です。松陰はこの一句に襄王の暗愚を見ます。自国が四方から脅かされているのに、天下を他人事のように論じるのは世間話にすぎないというのです。切実な事を世間話のように語る人は頼むに足りない、それが人を見抜く秘訣だと言ったうえで、それを他人を裁く道具にするだけならそれも世間話だと、矛先を自分に返します。言葉に誠を込めることを求める、厳しくも誠実な一節です。

この章句が説くこと

言葉誠人物眼反省襄王

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