講孟余話 / 梁惠王上 第五章
且兵畧ヲ以テ是ヲ論スルニ、屈伸ノ利ニ通スルニ非レハ奇勝ヲ制スルコト能ハズ、封疆ヲ守ルニ城砦ヲ以テシ、重兵ヲ置テ之ニ鎭スルハ、徒ニ伸ヲ知リテ屈ヲ以テ伸トスルコトヲ知ラサルト云ベシ、敵兵ノ來ル封疆禦カズ、郊野戰ハサレバ敵初メヤ必ズ疑テ敢テ進マス、我靜ニシテ動カズ、是ヲ屈トス、久シテ敵必ズ侮テ進ム、我尙靜ニシテ動カズ、是ヲ屈トス、敵進テ戰フコトヲ得ズ、退テ食ヲ得ル所ナシ、必ズ四出侵掠ス、是ニ於テ我国ノ民心益々服セズ、敢テ敵ノ用トナランヤ、斯ノ如キコト経年、韓白ノ將ト雖トモ何ノ術ヲカ施サン、潰ヘスシテ何ヲカ待タン、况ヤ闔国ノ義士民、期セスシテ來援スル者雲霞ノ如キコト疑ナシ、是ニ於テ始テ大ニ一伸シ、永ク隣冦ヲ懲スルニ足ル、然ラスンバ封疆ノ攻守、郊野ノ戰爭、一勝一負何ソ数ルニ足ンヤ、然レトモ此策是大決断大堅忍ノ人ニ非レハ必ズ遂ルコト能ハズ、若初メ少シク是ヲ行フニ意アリテ、半途ニシテ又廃スル時ハ、其害殆ント言ニ堪ユベカラズ、故ニ疑フ勿レヲ以テ是ヲ終フ、勿疑ノ義功利者流ノ知ル所ニ非ス、故余梁王此策ヲ用ユル能ハサルヲ惜マズ、切ニ今人ノ用ヒサルヲ惜ム、併セテ後人ノ用ヒンコトヲ望ムナリ、其詳獄舍問荅ニ論ズ願クハ就テ見給ヘ
新字:且兵略ヲ以テ是ヲ論スルニ、屈伸ノ利ニ通スルニ非レハ奇勝ヲ制スルコト能ハズ、封疆ヲ守ルニ城砦ヲ以テシ、重兵ヲ置テ之ニ鎮スルハ、徒ニ伸ヲ知リテ屈ヲ以テ伸トスルコトヲ知ラサルト云ベシ、敵兵ノ来ル封疆禦カズ、郊野戦ハサレバ敵初メヤ必ズ疑テ敢テ進マス、我静ニシテ動カズ、是ヲ屈トス、久シテ敵必ズ侮テ進ム、我尚静ニシテ動カズ、是ヲ屈トス、敵進テ戦フコトヲ得ズ、退テ食ヲ得ル所ナシ、必ズ四出侵掠ス、是ニ於テ我国ノ民心益々服セズ、敢テ敵ノ用トナランヤ、斯ノ如キコト経年、韓白ノ将ト雖トモ何ノ術ヲカ施サン、潰ヘスシテ何ヲカ待タン、況ヤ闔国ノ義士民、期セスシテ来援スル者雲霞ノ如キコト疑ナシ、是ニ於テ始テ大ニ一伸シ、永ク隣寇ヲ懲スルニ足ル、然ラスンバ封疆ノ攻守、郊野ノ戦争、一勝一負何ソ数ルニ足ンヤ、然レトモ此策是大決断大堅忍ノ人ニ非レハ必ズ遂ルコト能ハズ、若初メ少シク是ヲ行フニ意アリテ、半途ニシテ又廃スル時ハ、其害殆ント言ニ堪ユベカラズ、故ニ疑フ勿レヲ以テ是ヲ終フ、勿疑ノ義功利者流ノ知ル所ニ非ス、故余梁王此策ヲ用ユル能ハサルヲ惜マズ、切ニ今人ノ用ヒサルヲ惜ム、併セテ後人ノ用ヒンコトヲ望ムナリ、其詳獄舎問荅ニ論ズ願クハ就テ見給ヘ
書き下し
且つ兵略を以て是れを論ずるに、屈伸の利に通ずるに非ざれば奇勝を制すること能はず。封疆を守るに城砦を以てし、重兵を置きて之れに鎮するは、徒に伸を知りて屈を以て伸とすることを知らざると云ふべし。敵兵の来る、封疆禦がず、郊野戦はざれば、敵初めや必ず疑ひて敢へて進まず、我静にして動かず、是れを屈とす。久しくして敵必ず侮りて進む、我尚静にして動かず、是れを屈とす。敵進みて戦ふことを得ず、退きて食を得る所なし、必ず四出侵掠す。是に於て我が国の民心益々服せず、敢へて敵の用とならんや。斯くの如きこと年を経ば、韓白の将と雖も何の術をか施さん、潰えずして何をか待たん。況んや闔国の義士民、期せずして来援する者雲霞の如きこと疑ひなし。是に於て始めて大いに一伸し、永く隣寇を懲らすに足る。然らずんば封疆の攻守、郊野の戦争、一勝一負何ぞ数ふるに足らんや。然れども此の策は是れ大決断・大堅忍の人に非ざれば必ず遂ぐること能はず。若し初め少しく是れを行ふに意ありて、半途にして又廃する時は、其の害殆んど言ふに堪ふべからず。故に疑ふ勿れを以て是れを終ふ。勿疑の義、功利者流の知る所に非ず。故に余、梁王此の策を用ふる能はざるを惜しまず、切に今人の用ひざるを惜しむ、併せて後人の用ひんことを望むなり。其の詳は獄舎問答に論ず、願はくは就きて見給へ。
現代語訳
さらに兵法の面から論じると、縮むことと伸びることの利に通じていなければ、奇策で勝つことはできない。国境を城砦で守り、大軍を置いて固めるのは、伸びることだけを知って、縮むことを伸びることに変えるのを知らないと言うべきである。敵が来ても国境で防がず、野で戦わなければ、敵は初め必ず怪しんで進まない。こちらは静かに動かない。これが縮むことである。しばらくすると敵は必ずあなどって進んでくる。こちらはなお静かに動かない。これも縮むことである。敵は進んでも戦う相手がなく、退いても食料を得るところがないので、必ず四方に出て略奪する。そうなるとわが国の民はいよいよ敵に服さず、どうして敵の役に立とうか。こうして年を重ねれば、韓信や白起のような名将でも何の手を打てよう。崩れるほかはない。まして国じゅうの義士や民が、示し合わせずとも雲霞のように援けに来ることは疑いない。そこではじめて大きく一度伸び、長く隣国の侵略をこらしめることができる。そうでなければ、国境での攻防や野戦の一勝一敗など、数えるに足りない。しかしこの策は、大きな決断と大きな忍耐を持つ人でなければ、やり遂げられない。初めに少しやる気があっても、途中でやめてしまえば、その害はほとんど言い表せない。だから孟子は「疑ふ勿れ」で締めくくったのである。疑うなという意味は、功利を求める者には分からない。だから私は、梁の恵王がこの策を用いられなかったことは惜しまないが、今の人が用いないことを切に惜しみ、後の人が用いることを望む。詳しくは『獄舎問答』で論じたので、どうかそちらを見ていただきたい。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』梁惠王上 第五章吾試みに孟子の策の本末を論ぜん。仁政を民に施し、刑罰を省き、税斂を薄うする、是れ其の第一下手の処にして、夫れより封疆の諸城を撤し、兵は悉く農に帰す。天下の費、兵より甚しきはなし、兵を省かずんば何を以て税斂を薄くせんや。政の民に便なる者は、難易を論ぜず必ず挙行し、士の民を治むるに堪ふる者は、遠近親疎を論ぜず必ず擢用し、務めて民と休息し、民をして我を信戴して休さらしむ。若し一旦三国兵を以て来侵することあらば、大いに国中に令して云く、我方に斯の民を愛育せんと欲す、如何せん隣国の逼迫となり、却つて斯の民を苦悩せしむるに至る、哀しむに堪へず。民等意に任せて出で降り其の性命を全うすべし。我已に此の国に主たり、一死社稷の為めにするあるのみ、敢へて寸歩を退避せずと。果して斯くの如くんば、四方忠義の士、豈に感慨して興起せざらんや。誠に斯くの如くなれば、誰か其の国を奪ふことを得んや。況んや此の時秦楚斉の諸国、国富み兵強く将能なりと雖も、原と民を安んずるを以て心とする者あることなければ、数月ならずして潰走すること必せり。
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『講孟余話』梁惠王上 第五章仁政を民に施さば、梃を制して以て秦楚の堅甲利兵を撻たしむべし。疑ふ勿れ。魏の国たるや、西は秦に圧され、南は楚に逼られ、東は斉に窺はる。其の自立の難き、言を待たず。魏の為めに策する者、宜しく兵械を修め、糧餉を儲へ、卒伍を練り将領を撰ぶなど云ふべし。然るに孟子は則ち然らず、唯だ仁政と言ふのみ、梃を制し秦楚を撻つと云ふのみ。宜なるかな、当時孟子の説を以て事情に濶なりとすること。然れども是れ大いに事情に切なる者あり、深察せざるのみ。
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『講孟余話』告子下 第九章此の章「土地を辟き、府庫を充たし、与国を約し、戦へば必ず克つ」を憎むに非ず。「君道に郷はず、仁に志さずして、之を富まさんことを求め、而して之が為に強戦せんことを求む」を憎むなり。此等の章大体上より見下さざれば明らかならず。故に結語に云く、「今の道に由り、今の俗を変ずること無くんば、之に天下を与ふと雖も、一朝も居ること能はざるなり」と。今の道に由らず、今の俗を変ぜんとならば如何。前章五覇三王の事、及び「其の君を引きて、以て道に当て仁に志さしむ」の説より工夫を下す時は大本立つなり。大本已に立つ時は枝葉是に従ふ。已に三王の道を立て、五覇の術を採り、道に当り仁に志す上は、土地を辟き府庫を充たすの臣、与国を約し戦へば必ず克つの臣も亦皆有用なり。離婁上篇第十四章に、「善く戦ふ者は上刑に服し、諸侯を連ぬる者は之に次ぎ、草萊を辟き土地を任ずる者は之に次ぐ」とあり。尽心下篇に「我善く陳を為す、我善く戦を為すと、大罪なり」と。而して前章三王の事を説きては云く、「土地辟け、田野治まる」と。五覇の事を説きては云く、「既に盟ふの後、言に好に帰す」と。公孫丑下篇首章、「君子戦はざること有り、戦へば必ず勝つ」と云ふ。又梁恵王下篇第三章、文武の勇を称し、其の他燕を伐つを論ずる諸章梁恵王下第十章第十一章、公孫丑下第八章等を以て見れば、孟子をして志を得せしめば、亦必ず富国強兵の策を採用し、善戦善陳の士を駆使すること必せり。
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