講孟余話 / 梁惠王上 第七章
無恒產而有恒心者惟士爲能、此章明白雄偉、読者自ラ其旨ヲ了シ、且興起スルコトヲ知ラサルハナシ、中間、保民而王、仁術、百姓之不見保、爲不用恩焉、不爲者與不能者之形、善推其所爲、心爲甚、反其本焉、有仁人在位、罔民而可爲也、制民之產等ノ義皆深ク味テ自得スベシ、今必シモ呶々セズ、但吾徒心身上ニ於テ猛省スベキコトト、国家政治上ニ於テ極論スヘキコトアリ、吾豈默止スベケンヤ、何ヲカ政治上ニ於テ極論スヘキト云、曰ク、使天下仕者皆欲立於王之朝以下五条是ナリ、是レ孟子政ヲ発シ仁ヲ施スノ效驗ヲ說クナリ、方今君公賢明相臣勤厲庶事擧ケサル者ナシ、古ノ治国ト雖トモ以テ尙フルコトナシ、而シテ未タ五条ノ效驗ヲ見サル者ハ他ナシ、民ヲ惠ムノ美声アリト雖トモ民ニ及フノ実惠ナシ、故ニ耕者商賈行旅ノ欲スル所未タ茲ニ至ラサルノミ、故ニ余常ニ民產ヲ制シ、鰥寡狐独ヲ先ニシ、救貧恤病育幼ノ政ヲ興シ、庠序学校ノ教ヲ謹ム等ノ事ニ於テ、最モ綣々タリ、
新字:無恒産而有恒心者惟士為能、此章明白雄偉、読者自ラ其旨ヲ了シ、且興起スルコトヲ知ラサルハナシ、中間、保民而王、仁術、百姓之不見保、為不用恩焉、不為者与不能者之形、善推其所為、心為甚、反其本焉、有仁人在位、罔民而可為也、制民之産等ノ義皆深ク味テ自得スベシ、今必シモ呶々セズ、但吾徒心身上ニ於テ猛省スベキコトト、国家政治上ニ於テ極論スヘキコトアリ、吾豈黙止スベケンヤ、何ヲカ政治上ニ於テ極論スヘキト云、曰ク、使天下仕者皆欲立於王之朝以下五条是ナリ、是レ孟子政ヲ発シ仁ヲ施スノ効験ヲ説クナリ、方今君公賢明相臣勤厲庶事挙ケサル者ナシ、古ノ治国ト雖トモ以テ尚フルコトナシ、而シテ未タ五条ノ効験ヲ見サル者ハ他ナシ、民ヲ恵ムノ美声アリト雖トモ民ニ及フノ実恵ナシ、故ニ耕者商賈行旅ノ欲スル所未タ茲ニ至ラサルノミ、故ニ余常ニ民産ヲ制シ、鰥寡狐独ヲ先ニシ、救貧恤病育幼ノ政ヲ興シ、庠序学校ノ教ヲ謹ム等ノ事ニ於テ、最モ綣々タリ、
書き下し
恒産無くして恒心有る者は惟だ士のみ能くすと為す。此の章明白雄偉、読む者自ら其の旨を了し、且つ興起することを知らざるはなし。中間、民を保んじて王たり、仁術、百姓の保んぜられざるは恩を用ひざるが為めなり、為さざる者と能はざる者との形、善く其の為す所を推す、心を甚しと為す、其の本に反る、仁人位に在りて民を罔して為すべけんや、民の産を制す等の義、皆深く味はひて自得すべし。今必ずしも呶々せず。但だ吾が徒、心身上に於て猛省すべきことと、国家政治上に於て極論すべきことあり、吾豈に黙止すべけんや。何をか政治上に於て極論すべきと云ふ。曰く、天下の仕ふる者をして皆王の朝に立たんと欲せしむ以下五条是れなり。是れ孟子政を発し仁を施すの効験を説くなり。方今君公賢明、相臣勤励、庶事挙げざる者なし、古の治国と雖も以て尚ふることなし。而して未だ五条の効験を見ざる者は他なし、民を恵むの美声ありと雖も、民に及ぶの実恵なし。故に耕す者・商賈・行旅の欲する所、未だ茲に至らざるのみ。故に余常に民産を制し、鰥寡孤独を先にし、救貧・恤病・育幼の政を興し、庠序学校の教を謹む等の事に於て、最も綣々たり。
現代語訳
「定まった財産がなくても、定まった心を持ち続けられるのは、ただ士だけができる」。この章は明快で雄大であり、読む者はおのずとその趣旨を理解し、奮い立たない者はない。途中にある、民を守って王となる、仁の術、民が守られないのは恩を用いないからだ、しないことと、できないことの違い、自分のしていることを推し広める、心こそ最も測るべきもの、根本に立ち返る、仁ある人が位にいて民を網にかけるようなことができようか、民の財産を定める、などの意味は、みな深く味わって自分のものにすべきである。今はくどくど言わない。ただ、私たちが自分の心身について猛省すべきことと、国家の政治について論じ尽くすべきことがある。どうして黙っていられようか。政治について論じ尽くすべきこととは何か。「天下の仕える者に、みな王の朝廷に立ちたいと思わせる」以下の五か条である。これは孟子が、政治を起こし仁を施した効果を説いたものである。今、殿は賢明で、重臣は勤勉で、行われていない事はない。昔の治まった国でもこれ以上ではない。それなのに五か条の効果がまだ見えないのは、ほかでもない。民に恵みを施すという評判はあっても、民に届く実際の恵みがないからである。だから農民・商人・旅人の望むところに、まだ至っていない。そこで私は常々、民の財産を定め、身寄りのない者を優先し、貧しい者を救い、病人をいたわり、幼子を育てる政治を興し、学校の教えを重んじることなどに、最も心を砕いているのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』梁惠王上 第五章吾試みに孟子の策の本末を論ぜん。仁政を民に施し、刑罰を省き、税斂を薄うする、是れ其の第一下手の処にして、夫れより封疆の諸城を撤し、兵は悉く農に帰す。天下の費、兵より甚しきはなし、兵を省かずんば何を以て税斂を薄くせんや。政の民に便なる者は、難易を論ぜず必ず挙行し、士の民を治むるに堪ふる者は、遠近親疎を論ぜず必ず擢用し、務めて民と休息し、民をして我を信戴して休さらしむ。若し一旦三国兵を以て来侵することあらば、大いに国中に令して云く、我方に斯の民を愛育せんと欲す、如何せん隣国の逼迫となり、却つて斯の民を苦悩せしむるに至る、哀しむに堪へず。民等意に任せて出で降り其の性命を全うすべし。我已に此の国に主たり、一死社稷の為めにするあるのみ、敢へて寸歩を退避せずと。果して斯くの如くんば、四方忠義の士、豈に感慨して興起せざらんや。誠に斯くの如くなれば、誰か其の国を奪ふことを得んや。況んや此の時秦楚斉の諸国、国富み兵強く将能なりと雖も、原と民を安んずるを以て心とする者あることなければ、数月ならずして潰走すること必せり。
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『講孟余話』梁惠王上 第七章請ふ、心身上に於て猛省すべき者を説かん。恒産無くして恒心有る者は惟だ士のみ能くすと為すと、此の一句にて士道を悟るべし。諺に云ふ、武士は食はねど高楊枝と、亦此の意なり。然れども是れ武士への教と云ふには非ず、武士の有様なり。武士と云ふ者は、飢ゑても寒えても、吾が持前の心懸けを失はぬ程の事は申すまでもなきことにて、教と云ふには足らぬことなり。特に本邦にては武義を以て本とし、中世以来武門武士と唱へ、専ら武道武義を励むことなれば、是れ程の事は三歳の小児も弁へ知ることなるべければ、今更教と云ふに及ばぬことなり。
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孟子・梁惠王章句上王の諸臣、皆以て之を供するに足る。而るを王豈に是が為ならんや。」曰く、「否。吾是が為ならず。」曰く、「然らば則ち王の大欲、知る可きのみ。土地を闢き、秦楚を朝せしめ、中国に莅みて四夷を撫せんと欲するなり。若の為す所を以て、若の欲する所を求むるは、猶ほ木に縁りて魚を求むるがごときなり。」王曰く、「是の若く其れ甚だしきか。」曰く、「殆ど焉より甚だしき有り。木に縁りて魚を求むるは、魚を得ずと雖も、後の災ひ無し。若の為す所を以て、若の欲する所を求むるは、心力を尽くして之を為すも、後必ず災ひ有り。」曰く、「聞くことを得可きか。」曰く、「鄒人と楚人と戦はば、則ち王以て孰れか勝つと為す。」曰く、「楚人勝たん。」曰く、「然らば則ち小は固より以て大に敵す可からず、寡は固より以て衆に敵す可からず、弱は固より以て強に敵す可からず。海内の地、方千里なる者九、斉集めて其の一を有つ。一を以て八を服せんとするは、何を以て鄒の楚に敵するに異ならんや。蓋ぞ亦た其の本に反らざる。今王政を発し仁を施し、天下の仕ふる者をして皆王の朝に立たんと欲し、耕す者をして皆王の野に耕さんと欲し、商賈をして皆王の市に蔵せんと欲し、行旅をして皆王の途に出でんと欲せしめば、天下の其の君を疾まんと欲する者、皆王に赴き愬へんと欲せん。其れ是の若くならば、孰か能く之を御がん。」王曰く、「吾惛くして、是に進むこと能はず。願はくは夫子吾が志を輔け、明らかに以て我に教へよ。我不敏なりと雖も、請ふ之を嘗試せん。」曰く、「恒産無くして恒心有る者は、惟だ士のみ能くすと為す。民の若きは、則ち恒産無ければ、因りて恒心無し。苟も恒心無ければ、放辟邪侈、為さざる無きのみ。罪に陥るに及びて、然る後に従ひて之を刑するは、是れ民を罔するなり。焉んぞ仁人位に在りて、民を罔すること為す可けんや。是の故に明君は民の産を制し、必ず仰ぎては以て父母に事ふるに足り、俯しては以て妻子を畜ふに足り、楽歳には終身飽き、凶年には死亡を免れしむ。然る後に駆りて善に之かしむ、故に民の之に従ふや軽し。
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孟子・梁惠王章句上今や民の産を制するに、仰ぎては以て父母に事ふるに足らず、俯しては以て妻子を畜ふに足らず、楽歳には終身苦しみ、凶年には死亡を免れず。此れ惟だ死を救ひて贍らざるを恐る、奚ぞ礼義を治むるに暇あらんや。王之を行はんと欲せば、則ち盍ぞ其の本に反らざる。五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者以て帛を衣る可し。鶏豚狗彘の畜、其の時を失ふ無くんば、七十の者以て肉を食ふ可し。百畝の田、其の時を奪ふ勿くんば、八口の家以て饑うる無かる可し。庠序の教へを謹み、之に申ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者道路に負戴せず。老者帛を衣肉を食ひ、黎民饑ゑず寒えず、然り而して王たらざる者は、未だ之有らざるなり。」
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『講孟余話』告子上 第七章「富歳には子弟多く頼り、凶歳には子弟多く暴す。天の才を降すこと爾く殊なるに非ざるなり、其の其の心を陥溺する所以の者然るなり」。此の章、人性皆善にして、聖人も我と類を同じくする者なるを論ず。但し此の一節又以て政をなすの要をも悟るべし。孟子曾て云く、「民の道たるや、恒産有る者は恒心有り、恒産無き者は恒心無し。苟も恒心無ければ、放辟邪侈、為さざる無きのみ。罪に陥るに及びて、然る後従ひて之を刑す、是れ民を罔するなり。焉んぞ仁人位に在りて、民を罔することを為すべけんや」(滕文公上第三章、又梁恵王上末章にも此の意有り、文小異)。又云く、「聖人天下を治むるに、菽粟有らしむること水火の如くす。而して民焉んぞ不仁なる者有らんや」(尽心上篇)と。是等の語と其の義皆相通ずるなり。孔子の庶・富・教、孟子の五畝の宅、百畝の田、庠序学校、又是と交へ考ふべし。此の論具さに梁恵王篇等に見ゆ。
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『講孟余話』梁惠王上 第五章仁政を民に施さば、梃を制して以て秦楚の堅甲利兵を撻たしむべし。疑ふ勿れ。魏の国たるや、西は秦に圧され、南は楚に逼られ、東は斉に窺はる。其の自立の難き、言を待たず。魏の為めに策する者、宜しく兵械を修め、糧餉を儲へ、卒伍を練り将領を撰ぶなど云ふべし。然るに孟子は則ち然らず、唯だ仁政と言ふのみ、梃を制し秦楚を撻つと云ふのみ。宜なるかな、当時孟子の説を以て事情に濶なりとすること。然れども是れ大いに事情に切なる者あり、深察せざるのみ。
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