講孟余話 / 告子下 第九章
此章辟土地、充府庫、約與國、戰必克ヲ憎ムニ非ス、君不郷道、不志於仁、而求富之、而求爲之強戰、ヲ憎ムナリ、此等ノ章大体上ヨリ見下サヽレハ明ナラス、故ニ結語ニ云ク、由今之道、無變今之俗、雖與之天下、不能一朝居也ト、今ノ道ニ由ラス、今ノ俗ヲ変セントナラハ如何、前章五覇三王ノ事、及ヒ引其君、以當道志於仁ノ說ヨリ工夫ヲ下ス時ハ大本立ナリ、大本已ニ立ツ時ハ枝葉是ニ從フ、已ニ三王ノ道ヲ立テ、五覇ノ術ヲ採リ、道ニ當リ仁ニ志ス上ハ、辟土地充府庫ノ臣、約與國戰必克ノ臣モ亦皆有用ナリ、離婁上篇第十四章ニ、善戰者、服上刑、連諸侯者、次之、辟草萊、任土地者、次之トアリ、尽心下篇ニ我善爲陳、我善爲戰、大罪也ト、而シテ前章三王ノ事ヲ說テハ云ク、土地辟、田野治ト、五覇ノ事ヲ說テハ云ク、既盟之後、言帰于好ト、公孫丑下篇首章、君子有不戰、戰必勝矣ト云フ、又梁惠王下篇第三章、文武ノ勇ヲ稱シ、其他伐燕ヲ論スル諸章梁惠王下第十章第十一章、公孫丑下第八章等、ヲ以テ見レハ、孟子ヲシテ志ヲ得セシメハ、亦必ス富國强兵ノ策ヲ採用シ、善戰善陳ノ士ヲ驅使スルコト必セリ、
新字:此章辟土地、充府庫、約与国、戦必克ヲ憎ムニ非ス、君不郷道、不志於仁、而求富之、而求為之強戦、ヲ憎ムナリ、此等ノ章大体上ヨリ見下サヽレハ明ナラス、故ニ結語ニ云ク、由今之道、無変今之俗、雖与之天下、不能一朝居也ト、今ノ道ニ由ラス、今ノ俗ヲ変セントナラハ如何、前章五覇三王ノ事、及ヒ引其君、以当道志於仁ノ説ヨリ工夫ヲ下ス時ハ大本立ナリ、大本已ニ立ツ時ハ枝葉是ニ従フ、已ニ三王ノ道ヲ立テ、五覇ノ術ヲ採リ、道ニ当リ仁ニ志ス上ハ、辟土地充府庫ノ臣、約与国戦必克ノ臣モ亦皆有用ナリ、離婁上篇第十四章ニ、善戦者、服上刑、連諸侯者、次之、辟草萊、任土地者、次之トアリ、尽心下篇ニ我善為陳、我善為戦、大罪也ト、而シテ前章三王ノ事ヲ説テハ云ク、土地辟、田野治ト、五覇ノ事ヲ説テハ云ク、既盟之後、言帰于好ト、公孫丑下篇首章、君子有不戦、戦必勝矣ト云フ、又梁恵王下篇第三章、文武ノ勇ヲ称シ、其他伐燕ヲ論スル諸章梁恵王下第十章第十一章、公孫丑下第八章等、ヲ以テ見レハ、孟子ヲシテ志ヲ得セシメハ、亦必ス富国強兵ノ策ヲ採用シ、善戦善陳ノ士ヲ駆使スルコト必セリ、
書き下し
此の章「土地を辟き、府庫を充たし、与国を約し、戦へば必ず克つ」を憎むに非ず。「君道に郷はず、仁に志さずして、之を富まさんことを求め、而して之が為に強戦せんことを求む」を憎むなり。此等の章大体上より見下さざれば明らかならず。故に結語に云く、「今の道に由り、今の俗を変ずること無くんば、之に天下を与ふと雖も、一朝も居ること能はざるなり」と。今の道に由らず、今の俗を変ぜんとならば如何。前章五覇三王の事、及び「其の君を引きて、以て道に当て仁に志さしむ」の説より工夫を下す時は大本立つなり。大本已に立つ時は枝葉是に従ふ。已に三王の道を立て、五覇の術を採り、道に当り仁に志す上は、土地を辟き府庫を充たすの臣、与国を約し戦へば必ず克つの臣も亦皆有用なり。離婁上篇第十四章に、「善く戦ふ者は上刑に服し、諸侯を連ぬる者は之に次ぎ、草萊を辟き土地を任ずる者は之に次ぐ」とあり。尽心下篇に「我善く陳を為す、我善く戦を為すと、大罪なり」と。而して前章三王の事を説きては云く、「土地辟け、田野治まる」と。五覇の事を説きては云く、「既に盟ふの後、言に好に帰す」と。公孫丑下篇首章、「君子戦はざること有り、戦へば必ず勝つ」と云ふ。又梁恵王下篇第三章、文武の勇を称し、其の他燕を伐つを論ずる諸章梁恵王下第十章第十一章、公孫丑下第八章等を以て見れば、孟子をして志を得せしめば、亦必ず富国強兵の策を採用し、善戦善陳の士を駆使すること必せり。
現代語訳
この章は「土地を開き、倉を満たし、同盟国と約束を結び、戦えば必ず勝つ」ことを憎んでいるのではない。「君主が道に向かわず、仁に志さないのに、その君主を富ませようとし、その君主のために無理な戦をしようとする」ことを憎んでいるのである。こうした章は、大筋の上から見下ろさなければ明らかにならない。だから結びの言葉で「今のやり方によって、今の風俗を変えなければ、天下を与えられても、一朝も保つことはできない」と言う。今のやり方によらず、今の風俗を変えようとするならどうするか。前章の五覇・三王のこと、および「その君を導いて道にかなわせ、仁に志させる」という説から工夫を始めれば、大本が立つ。大本が立てば、枝葉はそれに従う。三王の道を立て、五覇の術を採り、道にかない仁に志したうえは、土地を開き倉を満たす臣も、同盟を結び戦えば必ず勝つ臣も、みな役に立つ。離婁上篇第十四章に「戦の上手な者は最も重い刑に服し、諸侯を連合させる者はその次、荒れ地を開き土地を割り当てる者はその次」とある。尽心下篇には「私は陣立てが上手だ、私は戦が上手だ、と言うのは大罪である」とある。ところが前章で三王のことを説いては「土地が開かれ、田野が治まる」と言い、五覇のことを説いては「盟約の後は友好に帰る」と言う。公孫丑下篇首章には「君子は戦わないことがあるが、戦えば必ず勝つ」と言う。また梁恵王下篇第三章では文王・武王の勇を称え、そのほか燕を伐つことを論じた諸章(梁恵王下第十章・第十一章、公孫丑下第八章など)から見れば、孟子に志を得させたなら、きっと富国強兵の策を採用し、戦や陣立ての上手な士を使いこなすことは間違いない。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』告子下 第九章故に孟子の憎む所は、道に郷はず仁に志さざるを憎むのみ。譬へば五穀と烏頭・大黄の如し。人を養ふは五穀に過ぎたるはなし。病を駆るは烏頭・大黄に踰えたるはなし。故に五穀を以て人を養ふと云へども、又疾病来り加はる時は、烏頭・大黄を以て是を駆除せざることを得ざるが如し。妄医あり、烏頭・大黄を以て人に勧めて常膳となさしむ。人安んぞ之に堪へんや。是に至りて妄医の妄、大罪を遁るべからず。良医あり、其の烏頭・大黄を薬籠中に蔵し、他日病を視、機を察して之を投じ奇効を奏す。是に至りて又良医の良大功となさざることを得ず。仁と道とは五穀なり。富国強兵・善戦善陳は烏頭・大黄なり。王者は良医なり。故に五穀を以て人を養ひて、烏頭・大黄を以て病を駆除す。世主は妄医なり。故に五穀を辟絶して烏頭・大黄を以て人を残ふ。是を以て孟子の論を観ば思ひ半ばに過ぎん。此の事頗る腐論に似たれども、余今世を視るに、強兵富国を策する者は滔々乎として功利の流れに陥り、夢にも王道の大体を知らず。其の極み兵も亦日々に衰弱し、国も亦日々に貧耗し、遂に危亡と相随ふに至る。又王道を説く者は腐儒陋学の淵藪となり、古に拘り今に通ぜず、仁義の大道を明らかにして、人心を正しくすることは望む所に非ず。人倫日用俗吏武人の容易に弁ずる所だも弁ずる能はず、碌々として一世の笑侮を受くるに至る。慨嘆に堪へざるの余りに此の腐論を発するなり。読者幸ひに細思せよ。
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六韜・農器武王 太公に問ひて曰く、「天下 安定し、国家 事なし。戦攻の具、修むること無かるべきか。守禦の備へ、設くること無かるべきか」と。太公曰く、「戦攻守禦の具は、尽く人事に在り。耒耜は、其の行馬・蒺藜なり。馬牛・車輿は、其の営塁・蔽櫓なり。鋤耰の具は、其の矛戟なり。蓑薛・簦笠は、其の甲冑・干楯なり。钁鍤・斧鋸・杵臼は、其の攻城の器なり。牛馬は、糧用を転輸する所以なり。鶏犬は、其の伺候なり。婦人の織紝は、其の旌旗なり。丈夫の壌を平らぐるは、其の攻城なり。春に草棘を鏺るは、其の戦車騎なり。夏に田疇を耨るは、其の戦歩兵なり。秋に禾薪を刈るは、其の糧食の儲備なり。冬に倉廩を実たすは、其の堅守なり。田里 相 伍たるは、其の約束符信なり。里に吏あり、官に長あるは、其の将帥なり。里に周垣ありて相過ぐるを得ざるは、其の隊分なり。粟を輸し芻を収むるは、其の廩庫なり。春秋に城郭を治め、溝渠を修むるは、其の塹塁なり。故に用兵の具は、尽く人事に在るなり。善く国を為むる者は、人事に取る。故に必ず其の六畜を遂げしめ、其の田野を闢き、其の処所を安んぜしむ。丈夫の田を治むるに畝数あり、婦人の織紝に尺度あり、是れ富国強兵の道なり」と。武王曰く、「善き哉」と。
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『韓非子』六反第四十六聖人の治や、法禁に審らかなり、法禁明著なれば則ち官治まる。賞罰に必す、賞罰阿らざれば則ち民用ゐらる。民用ゐられ官治まれば則ち国富み、国富めば則ち兵強くして、霸王の業成る。
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尉繚子・治本凡そ人を治むる者は何ぞや。曰く、五穀に非ざれば以て腹を充たすこと無く、絲麻に非ざれば以て形を蓋ふこと無し。故に腹を充たすに粒有り、形を蓋ふに縷有り。夫は芸耨に在り、妻は機杼に在り、民に二事無ければ、則ち儲蓄有り。夫に雕文刻鏤の事無く、女に繡飾纂組の作無し。木器は液し、金器は腥し、聖人は土に飲み、土に食ふ、故に埏埴して以て器と為し、天下に費無し。今や金木の性は寒えざるに、而も繡飾を衣せ、馬牛の性は草を食ひ水を飲むに、而も菽粟を給す。是れ治其の本を失ふなり、而して宜しく之が制を設くべきなり。春夏は夫南畝に出で、秋冬は女布帛を練れば、則ち民困しまず。今裋褐(じゅかつ)形を蔽はず、糟糠腹を充たさざるは、其の治を失へばなり。古は、土に肥磽無く、人に勤惰無し。古人は何をか得て、今人は何をか失ふや。耕すに畝を終へざる有り、織るに日に機を断つ有り、而して奈何ぞ饑寒する。蓋し古の治は行はれ、今の治は止めばなり。夫れ所謂治とは、民をして私無からしむるなり。民に私無ければ、則ち天下一家と為りて、私耕私織無く、其の寒を共に寒え、其の饑を共に饑う。故に如し子十人有るも一飯を加へず、子一人有るも一飯を損せざれば、焉んぞ喧呼耽酒して以て善類を敗る有らんや。民に軽佻有れば、則ち欲心興り、争奪の患起こる。横一夫に生ずれば、則ち民私に飯して儲食有り、私に用ひて儲財有り。民一たび禁を犯して、拘ふるに刑治を以てせば、烏くにか其の人の上たるに在らんや。善政は其の制を執り、民をして私無からしめ、下為る者敢へて私せざれば、則ち非を為す者無し。本に反り理に縁り、一道に出づれば、則ち欲心去り、争奪止み、囹圄空しく、野充ち粟多く、民を安んじ遠きを懐け、外に天下の難無く、内に暴乱の事無し、治の至りなり。蒼蒼の天は、其の極を知る莫し。帝王の君は、誰か能く法則とせん。往世は及ぶべからず、来世は待つべからず、己に求むる者なり。
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『韓非子』和氏第十三楚、呉起を用いずして削亂し、秦、商君の法を行いて富強なり。二子の言なるや巳に當れり。
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史記 商君列伝公叔既に死し、公孫鞅秦の孝公の令を国中に下して賢者を求め、将に繆公の業を修め、東のかた侵地を復さんとするを聞き、乃ち遂に西のかた秦に入り、孝公の寵臣景監に因りて以て孝公に見えんことを求む。孝公既に衛鞅に見え、事を語ること良久しきも、孝公時時睡りて、聴かず。罷みて孝公景監を怒りて曰く、「子の客は妄人のみ、安くんぞ用ふるに足らんや」と。景監以て衛鞅を譲む。衛鞅曰く、「吾公に説くに帝道を以てす、其の志開悟せざりき」と。後五日、復た鞅に見えんことを求む。鞅復た孝公に見ゆ、益々愈れり、然れども未だ旨に中らず。罷みて孝公復た景監を譲め、景監も亦鞅を譲む。鞅曰く、「吾公に説くに王道を以てして未だ入らざるなり。請ふ復た鞅に見えよ」と。鞅復た孝公に見ゆ、孝公之を善しとすれども未だ用ひざるなり。罷みて去る。孝公景監に謂ひて曰く、「汝の客善し、与に語るべし」と。鞅曰く、「吾公に説くに霸道を以てす、其の意之を用ひんと欲す。誠に復た我に見えば、我之を知れり」と。衛鞅復た孝公に見ゆ。公与に語り、自ら厀の席より前むを知らざるなり。語ること数日にして厭かず。景監曰く、「子何を以て吾が君に中てたる。吾が君の懽び甚だし」と。鞅曰く、「吾君に説くに帝王の道の三代に比するを以てす、而して君曰く、『久遠なり、吾待つ能はず。且つ賢君なる者は、各々其の身に及びて名を天下に顕す、安くんぞ能く邑邑として数十百年を待ちて以て帝王を成さんや』と。故に吾彊国の術を以て君に説く、君大いに之を説ぶのみ。
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