講孟余話 / 梁惠王上 第四章
民父母再案スルニ上下一心ナルヲ以テ民父母ト云コトモアリ、下篇第七章ノ民父母ノ如キ是ナリ、大学ノ民父母モ亦此義ナリ、民父母ノ義蓋シ康誥ニ所謂如保赤子ニ原ツク、大学ニモ是ヲ謂フ、孟子ニ至リ益々是ヲ謂フ、蓋シ父母ノ子ニ於ケル、已ニ是ヲ愛養シ、又是ヲ教訓ス、是ニ於テ人ノ父母タルニ負カズ、苟クモ養テ教ヘズ、教ヘテ養ハズ、父母ノ道ニ於テ何トカ謂ン、君道モ亦然リ、其要已ニ第三章及ビ第七章ニ說明スル如シ、下章仁政王政等ト云者、其義亦皆是ニ準ス、論語庶富教ト併セ観ルベシ
新字:民父母再案スルニ上下一心ナルヲ以テ民父母ト云コトモアリ、下篇第七章ノ民父母ノ如キ是ナリ、大学ノ民父母モ亦此義ナリ、民父母ノ義蓋シ康誥ニ所謂如保赤子ニ原ツク、大学ニモ是ヲ謂フ、孟子ニ至リ益々是ヲ謂フ、蓋シ父母ノ子ニ於ケル、已ニ是ヲ愛養シ、又是ヲ教訓ス、是ニ於テ人ノ父母タルニ負カズ、苟クモ養テ教ヘズ、教ヘテ養ハズ、父母ノ道ニ於テ何トカ謂ン、君道モ亦然リ、其要已ニ第三章及ビ第七章ニ説明スル如シ、下章仁政王政等ト云者、其義亦皆是ニ準ス、論語庶富教ト併セ観ルベシ
書き下し
民の父母、再び案ずるに、上下一心なるを以て民の父母と云ふこともあり、下篇第七章の民の父母の如き是れなり。大学の民の父母も亦此の義なり。民の父母の義、蓋し康誥に所謂赤子を保んずるが如しに原づく。大学にも是れを謂ふ、孟子に至り益々是れを謂ふ。蓋し父母の子に於ける、已に是れを愛養し、又是れを教訓す。是に於て人の父母たるに負かず。苟も養ひて教へず、教へて養はずんば、父母の道に於て何とか謂はん。君道も亦然り。其の要已に第三章及び第七章に説明する如し。下章仁政王政等と云ふ者、其の義亦皆是れに準ず。論語の庶富教と併せ観るべし。
現代語訳
「民の父母」。もう一度考えてみると、上と下が心を一つにすることを民の父母と言う場合もある。下篇第七章の「民の父母」がそれである。『大学』の「民の父母」もこの意味である。民の父母という考えは、おそらく『書経』康誥篇の「赤子を守るように」に基づく。『大学』もこれを言い、孟子に至っていっそう強く言う。思うに、父母は子に対して、愛して養い、そのうえで教え導く。それでこそ人の父母であることに背かない。もし養っても教えず、教えても養わないなら、父母の道として何と言えようか。君主の道も同じである。その要点は、すでに第三章と第七章で説明したとおりである。以下の章で仁政・王政などと言うものも、その意味はみなこれに準じる。『論語』の「庶(人を増やし)、富まし、教える」と併せて見るべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷中問ふ。何をか子を以て民を養ふと謂ふ。曰く、先王の民を視ること、猶ほ其の赤子のごとし。惟民の其の所を得ざるを恐る。故に民の産を制し、仰いでは以て父母に事ふるに足り、俯しては以て妻子を畜ふに足る。又庠序学校を設け為して、之を申ぬるに孝悌の義を以てす。斯れ之を子を以て民を養ふと謂ふなり。何をか民を以て民を治むと謂ふ。曰く、威を以て之に臨み、法を以て之を縄し、徒に駆逐して之を使令することを知りて、哀恤惻憫の心無し。斯れ之を民を以て民を治むと謂ふなり。孟子曰く、善政は民之を畏れ、善教は民之を愛す、と。又曰く、善を以て人を服する者は、未だ能く民を服する者有らざるなり。善を以て民を養ひて、然る後に能く天下を服す。天下心服せずして王たる者は、未だ之れ有らざるなり、と。此の二言は、乃ち篇中の要言なり。学者人君の為に説く者は、宜しく此を以て之に勧むべきなり。
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『講孟余話』離婁下 第七章養の一字最も心を付けて看るべし。註に「養は涵育薫陶して其の自ら化するを俟つを謂ふ」と云ふ。涵はひたすなり、綿を水にてひたす意なり。育は小児を乳にてそだつる意なり。薫は香をふすべ込むなり。陶は土器を竈にて焼き堅むるなり。人を養ふも此の四つの者の如くにて、不中不才の人を縄にて縛り杖にて策うち、一朝一夕に中ならしめ才ならしめんとには非ず。仁義道徳の中に沐浴させて、覚えず知らず善に移り悪に遠ざかり、旧染の汚自ら化するを待つことなり。是れ人の父兄たるの道にして、父兄のみにあらず、人の上と為りて政を施すも、人の師と為りて教へを施すも、一の養の字を深く味ふべし。
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『講孟余話』離婁上 第九章「欲する所は之れを与へ、之れを聚め、悪む所は施すこと勿れ」。此の章此の二句に帰宿す。下文仁の字又此の二句を要約するなり。而して仁の字教養を兼ぬ。所欲・所悪は、註引く所の鼂錯の語甚だ明らかなり。但し其の所謂寿・富・安・逸の内に就きて教養の両意を観んことを要す。養の意は言はずして明らかなり。教の意は、民をして風俗善美、行義修整にして刑罰に遠からしめば、是れ民を寿ならしむるなり。民をして貧窮相恵み、疾病相恤み、鰥寡孤独其の所を得ざるなからしめば、是れ民を富ましむるなり。已に富み且つ寿ならば、安と云ふべし、逸と云ふべし。若し徒らに民を養ふを知りて教ふるを知らざれば、寿・富・安・逸未だ至れりとせず。教養の二字は孔孟論政の眼目なり。独り此の章のみに非ず。教養已に備はり、寿・富・安・逸已に至る時は、心を得、民を得、天下を得る、自ら成る所の効験なり。
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『初学訓』巻之二一国土を治め給ふ君は、民を恵み治むる役人にて、民をいつくしみ恵むを以て職分とす。是、民の父母なれば、其臣下と万民を愛して、情ふかく憐みあつかるべし。われ一人の楽を専にして、民を苦ましむるは不仁なり。上仁あれば、民も亦、其めぐみになつきて、君を仰ぐ事、父母の如く思ひて忘れず。上は下を憐みて仁あり、下は上を尊びて義あるべし。上仁あり下義あれば、上下和合し、国土平安なり。一条内大臣の歌に、民やすく国ゆたかなる御代なれば君を千とせと誰が祈らぬといへるが如くなるべし。君を千とせと万民のいのるは、君の徳なり。まことにめでたく尊ぶべし。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一民を司どる人は、民の父母なれば、民をあはれむ心を本とすべし。民の心を以て心として、民の好む事を好みてほどこし、民のきらふ事をきらひてほどこさず、父母の子を思ふが如くする故、是を民の父母と云ふ。民の上に立つ人は、民をやしなふ職分を天より授け給ふ事を知りて、天道にしたがひ、民をくるしましむべからず。我一人の楽をきはめんとて、おほくの人を苦むるは、天道の御心にそむけり。天道おそるべし。すべて人は高きもひききも同じ人なれば、民の楽み苦みも、我と同じ。我が心を以て民の心をおしはかるに違はず。民のうれひ苦みを思ひはかりて、憐むべし。不仁なる人は、民をあはれまずして、民を愛すれば奢りて上をあなどるとて、民をあはれまず。
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『慎思録』巻之四民を治むる者は、先づ養ひて而る後に之を教ふ。孟子曰く、養ひて教へざるは、之を畜の養ふなり、と。教へに従はざるに迨んで之を刑す。孔子曰く、教へずして殺す、之を虐と謂ふ、と。故に民を治むる者は、養教刑の三者、其の一を闕くべからず。而して其の施為の序も、亦た当に此の如くなるべし。譬へば子を育つるが如く然り。子を育つる者は、先づ之を養ひて而る後に之を教ふ。教へて従はず、然る後に之を撻つ。其の教へに従はんことを求むるなり。苟も教へずして之を撻てば、慈ならずと謂ふべし。民を治むると子を育つると、其の理一なり。
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