講孟余話 / 離婁上 第九章
所欲與之、聚之、所惡勿施爾也、此章此二句ニ歸宿ス、下文仁ノ字又此二句ヲ要約スルナリ、而シテ仁ノ字教養ヲ兼ヌ、所欲、所悪ハ註引ク所鼂錯ノ語甚タ明ナリ、但其所謂壽富安逸ノ内ニ就テ教養ノ両意ヲ觀ンコトヲ要ス、養ノ意ハ言スシテ明ナリ、教ノ意ハ民ヲシテ風俗善美行義修整ニシテ刑罰ニ遠カラシメハ、是民ヲ壽ナラシムルナリ、民ヲシテ貧窮相惠ミ疾病相恤ミ鰥寡孤独其所ヲ得サルナカラシメハ、是民ヲ富シムルナリ、已ニ富ミ且壽ナラハ安ト云ヘシ逸ト云ヘシ、若シ徒ニ民ヲ養フヲ知テ教ルヲ知ラサレハ、壽富安逸未タ至レリトセス、教養ノ二字孔孟論政ノ眼目ナリ、獨リ此章ノミニ非ス、教養已ニ備リ壽富安逸已ニ至ル時ハ、心ヲ得民ヲ得天下ヲ得ル自ラ成ル所ノ效驗ナリ、
新字:所欲与之、聚之、所悪勿施爾也、此章此二句ニ帰宿ス、下文仁ノ字又此二句ヲ要約スルナリ、而シテ仁ノ字教養ヲ兼ヌ、所欲、所悪ハ註引ク所鼂錯ノ語甚タ明ナリ、但其所謂寿富安逸ノ内ニ就テ教養ノ両意ヲ観ンコトヲ要ス、養ノ意ハ言スシテ明ナリ、教ノ意ハ民ヲシテ風俗善美行義修整ニシテ刑罰ニ遠カラシメハ、是民ヲ寿ナラシムルナリ、民ヲシテ貧窮相恵ミ疾病相恤ミ鰥寡孤独其所ヲ得サルナカラシメハ、是民ヲ富シムルナリ、已ニ富ミ且寿ナラハ安ト云ヘシ逸ト云ヘシ、若シ徒ニ民ヲ養フヲ知テ教ルヲ知ラサレハ、寿富安逸未タ至レリトセス、教養ノ二字孔孟論政ノ眼目ナリ、独リ此章ノミニ非ス、教養已ニ備リ寿富安逸已ニ至ル時ハ、心ヲ得民ヲ得天下ヲ得ル自ラ成ル所ノ効験ナリ、
書き下し
「欲する所は之れを与へ、之れを聚め、悪む所は施すこと勿れ」。此の章此の二句に帰宿す。下文仁の字又此の二句を要約するなり。而して仁の字教養を兼ぬ。所欲・所悪は、註引く所の鼂錯の語甚だ明らかなり。但し其の所謂寿・富・安・逸の内に就きて教養の両意を観んことを要す。養の意は言はずして明らかなり。教の意は、民をして風俗善美、行義修整にして刑罰に遠からしめば、是れ民を寿ならしむるなり。民をして貧窮相恵み、疾病相恤み、鰥寡孤独其の所を得ざるなからしめば、是れ民を富ましむるなり。已に富み且つ寿ならば、安と云ふべし、逸と云ふべし。若し徒らに民を養ふを知りて教ふるを知らざれば、寿・富・安・逸未だ至れりとせず。教養の二字は孔孟論政の眼目なり。独り此の章のみに非ず。教養已に備はり、寿・富・安・逸已に至る時は、心を得、民を得、天下を得る、自ら成る所の効験なり。
現代語訳
「民の望むものは与えて集めてやり、嫌うものは押しつけないことだ」。この章はこの二句に行き着く。下の文の「仁」の字は、さらにこの二句を要約したものである。そして「仁」の字は、教えることと養うことの両方を兼ねている。民の望むもの、嫌うものについては、朱子注に引く鼂錯の言葉がたいへん明らかである。ただし、そこに言う長寿・富・安楽・ゆとりの中に、教えと養いの両方の意味を見ることが大切である。養いの意味は言わなくても明らかである。教えの意味は、民の風俗を美しくし、行いを整えて刑罰から遠ざけるなら、それが民を長寿にすることである。民が貧しい者同士で恵み合い、病気を見舞い合い、身寄りのない者がみな居場所を得るようにするなら、それが民を富ませることである。富んでいて長寿であれば、安楽と言えるし、ゆとりと言える。もしただ民を養うことだけを知って教えることを知らなければ、長寿・富・安楽・ゆとりはまだ十分とは言えない。教えと養いの二字は、孔子・孟子が政治を論じるときの眼目であり、この章だけのことではない。教えと養いが備わり、長寿・富・安楽・ゆとりが行きわたれば、民の心を得、民を得、天下を得るのは、おのずから生まれる効き目である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「桀紂の天下を失ふや、其の民を失へばなり。其の民を失ふ者は、其の心を失へばなり。天下を得るに道有り、其の民を得れば斯に天下を得。其の民を得るに道有り、其の心を得れば斯に民を得。其の心を得るに道有り、欲する所は、之を与へて之を聚め、悪む所は、施すこと勿きのみ。民の仁に帰するや、猶ほ水の下きに就き、獣の壙(ひろの)に走るがごときなり。故に淵の為に魚を駆る者は、獺なり。叢の為に爵を駆る者は、鸇なり。湯・武の為に民を駆る者は、桀と紂となり。今天下の君に仁を好む者有らば、則ち諸侯皆之が為に駆らん。王たること無からんと欲すと雖も、得べからざるのみ。今の王たらんと欲する者は、猶ほ七年の病に三年の艾を求むるがごときなり。苟くも畜へずと為さば、終身得ず。苟くも仁に志さざれば、終身憂辱して、以て死亡に陥らん。詩に云ふ、『其れ何ぞ能く淑からん、載ち胥及に溺る。』と、此の謂なり。」
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『童子問』卷中問ふ。何をか子を以て民を養ふと謂ふ。曰く、先王の民を視ること、猶ほ其の赤子のごとし。惟民の其の所を得ざるを恐る。故に民の産を制し、仰いでは以て父母に事ふるに足り、俯しては以て妻子を畜ふに足る。又庠序学校を設け為して、之を申ぬるに孝悌の義を以てす。斯れ之を子を以て民を養ふと謂ふなり。何をか民を以て民を治むと謂ふ。曰く、威を以て之に臨み、法を以て之を縄し、徒に駆逐して之を使令することを知りて、哀恤惻憫の心無し。斯れ之を民を以て民を治むと謂ふなり。孟子曰く、善政は民之を畏れ、善教は民之を愛す、と。又曰く、善を以て人を服する者は、未だ能く民を服する者有らざるなり。善を以て民を養ひて、然る後に能く天下を服す。天下心服せずして王たる者は、未だ之れ有らざるなり、と。此の二言は、乃ち篇中の要言なり。学者人君の為に説く者は、宜しく此を以て之に勧むべきなり。
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『講孟余話』盡心上 第二十三章是れ上章養老の説を承けて、民政を論ずるなり。「其の田疇を易む」とは、民に農業を出精させ、田畠を荒させぬことなり。「其の税斂を薄くす」とは、取箇を軽くすることなり。民出精するとも、取箇重くては民の成り立つべき様なし。取箇軽ければ、民も自ら励みて出精する者なり。余老農の言を聞く、「精農は田畠の端々を善く易む。端々は僅か一二尺宛にても甚だ広し。惰農は中計り耕して端々を荒らす。是れを以て同じく百畝の田も、農の精惰に因りて夥しく饒歉あることなり」と。余謂へらく、是れ「其の田疇を易む」の解とすべし。「之を食ふに時を以てす」は、民に飲食の侈りをさせぬことなり。「之を用ふるに礼を以てす」とは、民に万事過分なることをさせぬことなり。田疇能く易まり、税斂又軽くとも、民間奢侈にして過分の事多ければ、貧弱となる基なり。其の極は田疇も荒れ、軽き税斂も重く覚ゆるなり。此の四つの者は民政の始めにして、此の四つ已に行はるれば、「倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」の理にて、民不仁なる者なきにも至るべし。是れを行はずして、書面の下知を以て民を有難がらせ、聖経仏典を借りて民を服させんとするは、末なるかな、末なるかな。
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『講孟余話』梁惠王上 第四章民の父母、再び案ずるに、上下一心なるを以て民の父母と云ふこともあり、下篇第七章の民の父母の如き是れなり。大学の民の父母も亦此の義なり。民の父母の義、蓋し康誥に所謂赤子を保んずるが如しに原づく。大学にも是れを謂ふ、孟子に至り益々是れを謂ふ。蓋し父母の子に於ける、已に是れを愛養し、又是れを教訓す。是に於て人の父母たるに負かず。苟も養ひて教へず、教へて養はずんば、父母の道に於て何とか謂はん。君道も亦然り。其の要已に第三章及び第七章に説明する如し。下章仁政王政等と云ふ者、其の義亦皆是れに準ず。論語の庶富教と併せ観るべし。
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『慎思録』巻之四民を治むる者は、先づ養ひて而る後に之を教ふ。孟子曰く、養ひて教へざるは、之を畜の養ふなり、と。教へに従はざるに迨んで之を刑す。孔子曰く、教へずして殺す、之を虐と謂ふ、と。故に民を治むる者は、養教刑の三者、其の一を闕くべからず。而して其の施為の序も、亦た当に此の如くなるべし。譬へば子を育つるが如く然り。子を育つる者は、先づ之を養ひて而る後に之を教ふ。教へて従はず、然る後に之を撻つ。其の教へに従はんことを求むるなり。苟も教へずして之を撻てば、慈ならずと謂ふべし。民を治むると子を育つると、其の理一なり。
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『講孟余話』離婁上 第九章但し「心を得」「民を得」「天下を得」の「得」の字の意味を善く味ふべし。得とは吾が物とし吾が自由になる心なり。天下を得れば天下は吾が物にて吾が自由になるなり。民を得れば民は吾が物にて吾が自由になるなり。心を得れば心は吾が物にて吾が自由になるなり。故に民を得、心を得るは、孫子の所謂「民をして上と意を同じうせしむ」の義なり。民心が上の思ふ如くなることなり。上方に夷狄を悪みて是れを征伐せんと思へば、民心も亦斯くの如し。上方に城郭を築き艦砲を造り寇賊に備へんとすれば、民心も亦斯くの如し。若し上の思ふ所少しにても民心の違戾することあれば、得と云ふべからず。得の字の意味かくの如し。書を読むは意味を知ることを要す。
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