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講孟余話 / 梁惠王上 首章

抑近世文教日ニ隆盛、士大夫書ヲ挾ミ師ヲ求メ、兀々孜々タラサルハナシ、其風懿美ト云ベシ、吾輩、獄中ノ賤囚、何ゾ喙ヲ其間ニ容ルコトヲ得ンヤ、然共今ノ士大夫、学ヲ勤ムル者、若其志ヲ論セバ、名ヲ得ンカ爲ト、官ヲ得ンカ爲トニ過ズ、然レハ功效ヲ主トスル者ニシテ、殆ント義理ヲ主トスル者ト異ナリ、可不思哉、嗚呼、世ニ読書ノ人多クシテ、眞ノ学者ナキ者ハ、学ヲ爲スノ初、其志已ニ誤レハナリ、精ヲ勵スノ主多クシテ、眞ノ明主ナキ者ハ、治ヲ求ムルノ初、其志已ニ誤レハナリ、眞学者眞明主出ツルニ非レハ、僅ニ順境ヲ語ルヘクシテ、未タ逆境ヲ語ルヘカラズ、吾輩逆境ノ人、乃チ善ク逆境ヲ說クコトヲ得ルノミ、癸丑、甲寅墨魯ノ変、皇国ノ大体ヲ屈シテ陋夷ノ小醜ニ從フニ至ル者ハ何ソヤ、朝野ノ論、戰ノ必勝ナク、轉シテ変故ヲ滋出センコトヲ恐ルヽニ過ギズ、是亦義理ヲ捨テヽ、功效ヲ論スルノ弊、共ニ逆境ヲ語ルヘカラサル者ニ非ズヤ、世道名教ニ志アル者、再思セヨ三思セヨ

新字:抑近世文教日ニ隆盛、士大夫書ヲ挟ミ師ヲ求メ、兀々孜々タラサルハナシ、其風懿美ト云ベシ、吾輩、獄中ノ賤囚、何ゾ喙ヲ其間ニ容ルコトヲ得ンヤ、然共今ノ士大夫、学ヲ勤ムル者、若其志ヲ論セバ、名ヲ得ンカ為ト、官ヲ得ンカ為トニ過ズ、然レハ功効ヲ主トスル者ニシテ、殆ント義理ヲ主トスル者ト異ナリ、可不思哉、嗚呼、世ニ読書ノ人多クシテ、真ノ学者ナキ者ハ、学ヲ為スノ初、其志已ニ誤レハナリ、精ヲ励スノ主多クシテ、真ノ明主ナキ者ハ、治ヲ求ムルノ初、其志已ニ誤レハナリ、真学者真明主出ツルニ非レハ、僅ニ順境ヲ語ルヘクシテ、未タ逆境ヲ語ルヘカラズ、吾輩逆境ノ人、乃チ善ク逆境ヲ説クコトヲ得ルノミ、癸丑、甲寅墨魯ノ変、皇国ノ大体ヲ屈シテ陋夷ノ小醜ニ従フニ至ル者ハ何ソヤ、朝野ノ論、戦ノ必勝ナク、転シテ変故ヲ滋出センコトヲ恐ルヽニ過ギズ、是亦義理ヲ捨テヽ、功効ヲ論スルノ弊、共ニ逆境ヲ語ルヘカラサル者ニ非ズヤ、世道名教ニ志アル者、再思セヨ三思セヨ

書き下し

抑々近世文教日に隆盛、士大夫書を挟み師を求め、兀々孜々たらざるはなし、其の風懿美と云ふべし。吾輩獄中の賤囚、何ぞ喙を其の間に容るることを得んや。然れども今の士大夫、学を勤むる者、若し其の志を論ぜば、名を得んが為めと、官を得んが為めとに過ぎず。然れば功効を主とする者にして、殆んど義理を主とする者と異なり、思はざるべけんや。嗚呼、世に読書の人多くして、真の学者なき者は、学を為すの初め、其の志已に誤ればなり。精を励ますの主多くして、真の明主なき者は、治を求むるの初め、其の志已に誤ればなり。真の学者・真の明主出づるに非ざれば、僅かに順境を語るべくして、未だ逆境を語るべからず。吾輩逆境の人、乃ち善く逆境を説くことを得るのみ。癸丑・甲寅、墨魯の変、皇国の大体を屈して陋夷の小醜に従ふに至る者は何ぞや。朝野の論、戦の必勝なく、転じて変故を滋出せんことを恐るるに過ぎず。是れ亦義理を捨てて功効を論ずるの弊、共に逆境を語るべからざる者に非ずや。世道名教に志ある者、再思せよ三思せよ。

現代語訳

そもそも近ごろは学問が日に日に盛んになり、武士や役人で、書物を抱え、師を求め、こつこつ励まない者はいない。その気風は美しいと言うべきである。獄中の卑しい囚人である私たちが、そこに口をはさめるものではない。しかし今の武士や役人で学問に励む者の志を問えば、名声を得るため、官職を得るためにすぎない。それなら成果を主とする者であって、道理を主とする者とはほとんど別物である。考えないでよいだろうか。ああ、世に読書人は多いのに真の学者がいないのは、学問を始めるときに志がすでに誤っているからである。政治に精を出す君主は多いのに真の名君がいないのは、治世を求めるはじめに志がすでに誤っているからである。真の学者、真の名君が出てこなければ、順境のことを語れても、逆境のことは語れない。逆境にある私たちこそ、逆境をよく語ることができるのである。嘉永六年・安政元年(癸丑・甲寅)のアメリカ・ロシアの来航で、わが国の大きな体面を曲げて、卑しい外国の小さな悪に従うに至ったのはなぜか。朝廷でも民間でも、戦って必ず勝てる見込みはなく、かえって変事を引き起こすことを恐れるという議論にすぎなかった。これもまた道理を捨てて成果を論じる弊害であり、どちらも逆境を語る資格のない者ではないか。世の道と教えに志す者は、二度三度と考えてほしい。

解説

学問が盛んな世の中で、なぜ真の学者がいないのか。松陰は、学ぶ動機が名声や官職にあり、出発点の志がすでに誤っているからだと答えます。続けて、ペリーとプチャーチンの来航(嘉永六年・安政元年)に対し、勝てないから従うという議論が通ったのも、道理より損得を先にした弊害だと批判します。逆境にある者こそ逆境を語れる、という言葉には、獄中にいる自分たちの役割への自負がにじみます。何のために学ぶのかという最初の動機を問い直させる一節です。

この章句が説くこと

立志学問名利黒船逆境

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