論語と算盤 / 成敗と運命・順逆の二境は何れより来るか
韓退之が其子を励ました『符読書城南』の詩中に、『木之就規矩、在梓匠輪輿、人之能為人、由腹有詩書、詩書勤乃有、不勤腹空虚、欲知学之力、賢愚同一初、由其不能学、所入遂異閭、両家各生子、提孩巧相如、少長聚嬉戯、不殊同隊魚、年至十二三、頭角稍相踈、二十漸乖張、清溝映汙渠、三十骨骼成、乃一竜一豬、飛黄騰踏去、不能顧蟾蜍、一為馬前卒、鞭背生虫蛆、一為公与相、譚々府中君、問之何因爾、学与不学歟』云々といふ句があるが、こは主として学問を勉強することに就て曰ふたものであるとは云へ、また以て順逆二境の由つて岐る〻を知るに足るであらう、要するに悪者は教ふるとも仕方なく、善者は教へずとも自ら仕方を知つて居て、自然と其の運命を造り出すものである、故に厳正の意味より論ずれば、此の世の中には順境も逆境も無いといふことになる。
新字:韓退之が其子を励ました『符読書城南』の詩中に、『木之就規矩、在梓匠輪輿、人之能為人、由腹有詩書、詩書勤乃有、不勤腹空虚、欲知学之力、賢愚同一初、由其不能学、所入遂異閭、両家各生子、提孩巧相如、少長聚嬉戯、不殊同隊魚、年至十二三、頭角稍相疎、二十漸乖張、清溝映汚渠、三十骨骼成、乃一竜一豬、飛黄騰踏去、不能顧蟾蜍、一為馬前卒、鞭背生虫蛆、一為公与相、譚々府中君、問之何因爾、学与不学歟』云々といふ句があるが、こは主として学問を勉強することに就て曰ふたものであるとは云へ、また以て順逆二境の由つて岐る〻を知るに足るであらう、要するに悪者は教ふるとも仕方なく、善者は教へずとも自ら仕方を知つて居て、自然と其の運命を造り出すものである、故に厳正の意味より論ずれば、此の世の中には順境も逆境も無いといふことになる。
書き下し
韓退之がその子を励ました「符読書城南」の詩中に、「木の規矩に就くは、梓匠輪輿に在り。人の能く人たるは、腹に詩書有るに由る。詩書は勤むれば乃ち有り、勤めざれば腹空虚なり。学の力を知らんと欲すれば、賢愚初めを同じうす。その学ぶ能わざるに由りて、入る所遂に閭を異にす。両家各々子を生む、提孩巧みに相如く。少しく長じて聚まりて嬉戯す、同隊の魚に殊ならず。年十二三に至りて、頭角やや相疎なり。二十にして漸く乖張し、清溝汙渠に映ず。三十にして骨骼成り、乃ち一は竜一は豬。飛黄騰踏して去り、蟾蜍を顧みる能わず。一は馬前の卒と為り、背を鞭うたれて虫蛆を生ず。一は公と相と為り、譚々たる府中の君。これを問う何に因りて爾るや、学ぶと学ばざるとか」云々という句があるが、これは主として学問を勉強することについて言うたものであるとは言え、またもって順逆二境のよって岐るるを知るに足るであろう。要するに悪者は教うるとも仕方なく、善者は教えずとも自ら仕方を知っていて、自然とその運命を造り出すものである。ゆえに厳正の意味より論ずれば、この世の中には順境も逆境もないということになる。
現代語訳
韓退之(唐の文人韓愈)が息子を励ました「符、書を城南に読む」の詩の中に、「木が定規やコンパスに合った形になるのは、大工や車大工の手によるものである。人が人らしくなれるのは、腹に詩書(学問)があるからである。詩書は勤めれば身につき、勤めなければ腹は空っぽである。学問の力を知ろうとするなら、賢い者も愚かな者も初めは同じだということを見よ。学ぶことができるかどうかによって、ついには住む世界が分かれるのである。二つの家にそれぞれ子が生まれ、幼いころはよく似ている。少し大きくなって集まって遊ぶ姿は、同じ群れの魚と変わらない。十二、三歳になると頭角にやや差が出てくる。二十歳で次第に食い違い、澄んだ溝と汚れた堀が並んで映るようになる。三十歳で骨格ができあがると、一方は竜、一方は豚である。竜は名馬が躍り上がるように駆け去って、ひきがえるを顧みることもない。一方は馬の前を走る下僕となり、背を鞭打たれて傷に虫がわく。一方は公卿や宰相となり、奥深い役所の主となる。なぜそうなったのかと問えば、学んだか学ばなかったかの違いなのだ」という句があるが、これは主として学問に励むことについて言ったものであるとはいえ、順境と逆境の二つの境遇がどこで分かれるかを知るに足りるであろう。要するに、悪い者は教えてもしかたがなく、善い者は教えなくても自分でやり方を知っていて、自然とその運命をつくり出すものである。だから厳密な意味から論じれば、この世の中には順境も逆境もないということになる。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るか例えば、身体の弱い人が、気候を罪して寒いから風邪を引いたとか、陽気に中って腹痛がするとか言って、自分の体質の悪いことはさらに口にしない。これも風邪や腹痛という結果の来る前に、身体さえ強壮にして置いたならば、何もそれらの気候のために病魔に襲われることは無いであろうに、平素の注意を怠るがために自ら病気を招くのである。しかるに病気になったからと言って、それを自分の責とはせず、かえって気候を怨むに至っては、自ら作った逆境の罪を天に帰するのと同一論法である。
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『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るかここに二人があるとして、その一人は地位もなければ富もなく、もとよりこれを援き立てる先輩もない。すなわち世に立って栄達すべき素因というものが極めて薄弱であるが、わずかに世の中に立つに足るだけ、一通りの学問はして世に出たとする。しかるにその人に非凡の能力があって、身体が健全で、いかにも勉強家で、行いが皆節に中り、何事をやらせても先輩をして安心させるだけに仕上げるのみならず、かえってその長上の意想外に出るほどにやるから、必ず多数人はこの人の行う所を賞讃するに相違ない。そうしてその人は官に在ると野に在るとを問わず、必ず言行われ、業成り、ついには富貴栄達を得らるるようになる。しかるにこの人の身分地位を側面から見ている世人は、一も二もなく彼を順境の人と思うであろうが、実は順境でも逆境でもなく、その人自らの力でそういう境遇を造り出したに過ぎないのである。
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『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るかもしその人に優れた智能があり、これに加うるに欠くる所なき勉強をしてゆけば、決して逆境にいる筈はない。逆境がなければ順境という言葉も消滅する。自ら進んで逆境という結果を造る人があるから、それに対して順境などという言葉も起こって来るのである。
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『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るかさらに他の一人は、性来懶惰で、学校時代には落第ばかりしていたのを、やっとお情けで卒業したが、さてこの上は今まで学んだ所の学問で世に立たねばならぬけれども、性質が愚鈍でかつ不勉強であるから、職を得ても上役から命ぜらるる所の事が何もかも思うように出来ない。心中には不平が起こって仕事に忠実を欠き、上役に受けが悪く、ついには免職される。家に帰れば父母兄弟には疎んぜられる。家庭に信用がないくらいなら郷里にも不信用となる。こうなれば不平はますます嵩まり、自暴自棄に陥る。そこに付け込んで悪友が誘惑すると、思わず邪路に踏み入り、勢い正道をもって世に立てぬことになるから、やむを得ず窮途に彷徨しなければならぬ。しかるに世人はこれを見て逆境の人といい、またそれがいかにも逆境であるらしく見えるのである。実はそうでなくて皆自ら招いた所の境遇であるのだ。
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『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るか以上述べた所よりすれば、余は逆境はないものであると絶対に言い切りたいのであるが、そうまで極端に言い切れない場合が一つある。それは智能才幹何一つの欠点もなく、勤勉精励、人の師表と仰ぐに足るだけの人物でも、政治界実業界に順当に志の行われてゆく者と、その反対に何事も意と反して蹉跌する者とがある。そうして後者のごとき者に対して、余は真意義の逆境なる言葉を用いたいのである。
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『論語と算盤』処世と信条・大丈夫の試金石したがってその渦中に投ぜられて逆境に立つ人も常にあることであろうから、世の中に逆境は絶対に無いと言い切ることは出来ないのである。ただ順逆を立つる人は、よろしくそのよって来る所以を講究し、それが人為的逆境であるか、ただしは自然的逆境であるかを区別し、しかる後これに応ずるの策を立てねばならぬ。
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