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講孟余話 / 梁惠王上 首章

王何必曰利、亦有仁義而已矣、案スルニ魏ノ武侯二年安邑ニ築ク、其子惠王三十一年、秦商君ヲ用ヒ、東ニ侵シ河水ニ至ル、安邑ハ秦ニ近キ故、徙テ大梁ニ治ス、三十五年礼ヲ卑フシ幣ヲ厚フシ、以テ賢者ヲ招ク、而シテ孟子梁ニ至ル、魏ノ時事大畧斯ノ如シ、此時惠王首トシテ国ヲ利スルコトヲ問フ、亦志アリト云ヘシ、而シテ孟子是ヲ挫ク者ハ何ソヤ、盖シ仁義ハ道理ノナスヘキ所ナリ、利ハ功效ノ期スヘキ所ナリ、道理ヲ主トスレハ功效ハ期セズシテ自ラ至ル、功效ヲ主トスレハ道理ヲ失フニ至ルコト少カラズ、且功效ヲ主トスル者ハ、事皆苟且ニシテ成遂スル所アルコト少シ、假令少シク成遂スル所アレトモ永久ヲ保スルニ足ラズ、永久ノ良圖ヲ捨テ目前ノ近效ニ從フ、其害言フニ堪ベカラズ、苟モ能ク一向ニ義理ノ當然ヲ求メ、終始ナク作輟ナキ時ハ、又何ゾ事ノ成サルヲ憂ヘン、孟子惠王ノ利心ヲ挫クモ亦是ガ爲ナリ、是諸葛武侯ノ所謂鞠躬尽力死而後已、至成敗利鈍則非臣之明所能逆観也ノ義ナリ、是レ道学ノ根元、先賢ノ論スル所備レリ、今必シモ贅セズ、

新字:王何必曰利、亦有仁義而已矣、案スルニ魏ノ武侯二年安邑ニ築ク、其子恵王三十一年、秦商君ヲ用ヒ、東ニ侵シ河水ニ至ル、安邑ハ秦ニ近キ故、徙テ大梁ニ治ス、三十五年礼ヲ卑フシ幣ヲ厚フシ、以テ賢者ヲ招ク、而シテ孟子梁ニ至ル、魏ノ時事大略斯ノ如シ、此時恵王首トシテ国ヲ利スルコトヲ問フ、亦志アリト云ヘシ、而シテ孟子是ヲ挫ク者ハ何ソヤ、盖シ仁義ハ道理ノナスヘキ所ナリ、利ハ功効ノ期スヘキ所ナリ、道理ヲ主トスレハ功効ハ期セズシテ自ラ至ル、功効ヲ主トスレハ道理ヲ失フニ至ルコト少カラズ、且功効ヲ主トスル者ハ、事皆苟且ニシテ成遂スル所アルコト少シ、仮令少シク成遂スル所アレトモ永久ヲ保スルニ足ラズ、永久ノ良図ヲ捨テ目前ノ近効ニ従フ、其害言フニ堪ベカラズ、苟モ能ク一向ニ義理ノ当然ヲ求メ、終始ナク作輟ナキ時ハ、又何ゾ事ノ成サルヲ憂ヘン、孟子恵王ノ利心ヲ挫クモ亦是ガ為ナリ、是諸葛武侯ノ所謂鞠躬尽力死而後已、至成敗利鈍則非臣之明所能逆観也ノ義ナリ、是レ道学ノ根元、先賢ノ論スル所備レリ、今必シモ贅セズ、

書き下し

王何ぞ必ずしも利と曰はん、亦仁義有るのみ。案ずるに魏の武侯二年、安邑に築く。其の子恵王三十一年、秦商君を用ひ、東に侵して河水に至る。安邑は秦に近き故、徙りて大梁に治す。三十五年、礼を卑うし幣を厚うし、以て賢者を招く。而して孟子梁に至る。魏の時事大略斯くの如し。此の時恵王首として国を利することを問ふ、亦志ありと云ふべし。而して孟子是れを挫く者は何ぞや。蓋し仁義は道理のなすべき所なり、利は功効の期すべき所なり。道理を主とすれば功効は期せずして自ら至る。功効を主とすれば道理を失ふに至ること少なからず。且つ功効を主とする者は、事皆苟且にして成遂する所あること少なし。仮令少しく成遂する所あれども、永久を保するに足らず。永久の良図を捨てて目前の近効に従ふ、其の害言ふに堪ふべからず。苟も能く一向に義理の当然を求め、終始なく作輟なき時は、又何ぞ事の成らざるを憂へん。孟子恵王の利心を挫くも亦是れが為めなり。是れ諸葛武侯の所謂、鞠躬尽力、死して後已む、成敗利鈍に至りては臣の明の能く逆め覩る所に非ざるなり、の義なり。是れ道学の根元、先賢の論ずる所備はれり、今必ずしも贅せず。

現代語訳

「王はどうして利益のことばかり言われるのか。仁と義があるだけです」。考えてみると、魏の武侯の二年に安邑に城を築いた。その子の恵王の三十一年、秦が商鞅を用いて東へ侵攻し、黄河に至った。安邑は秦に近いので、大梁に移って都とした。三十五年には、へりくだって礼物を厚くし、賢者を招いた。そこで孟子が梁にやって来た。魏の当時の情勢はおおよそこのようであった。このとき恵王がまず国の利益を問うたのは、それなりに志があったと言える。それなのに孟子がそれをくじいたのはなぜか。思うに、仁義は道理として行うべきことであり、利は成果として期待するものである。道理を主とすれば、成果は期待しなくてもおのずと来る。成果を主とすれば、道理を失うことが少なくない。しかも成果を主とする者は、何事もその場しのぎで、やり遂げることが少ない。たとえ少しやり遂げても、長続きしない。長く続く良い計画を捨てて目先の効果を追う、その害は言い尽くせない。もしひたすら道理として当然のことを求め、途中でやめたり、やったりやめたりすることがなければ、どうして事が成らないことを心配する必要があろうか。孟子が恵王の利を求める心をくじいたのも、このためである。これは諸葛孔明の言う「身をかがめて力を尽くし、死ぬまでやめない。成功するか失敗するか、うまくいくかどうかは、私の見通せることではない」という意味である。これは道学の根本であり、先人がすでに論じ尽くしているので、今さら付け加えない。

解説

『孟子』の冒頭、利を問うた梁の恵王に孟子が「何ぞ必ずしも利と曰はん、亦仁義有るのみ」と答えた有名な章です。松陰はまず魏の苦しい情勢を説き、恵王が利を問うのも無理はないと認めます。そのうえで、道理を主とすれば成果は後からついてくるが、成果を主とすれば道理を失い、仕事も場当たりで長続きしないと説きます。結果を天に任せて力を尽くす諸葛孔明の出師の表の言葉を重ねたところに、松陰の仕事観がよく出ています。目先の数字に追われがちな人に響く一節です。

この章句が説くこと

仁義功利道理継続諸葛亮

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