史記 / 孟子荀卿列伝
太史公曰、余讀孟子書、至梁惠王問何以利吾國、未嘗不廢書而嘆也。曰、嗟乎、利誠亂之始也。夫子罕言利者、常防其原也。故曰放於利而行、多怨。自天子至於庶人、好利之獘何以異哉。
新字:太史公曰、余読孟子書、至梁恵王問何以利吾国、未嘗不廃書而嘆也。曰、嗟乎、利誠乱之始也。夫子罕言利者、常防其原也。故曰放於利而行、多怨。自天子至於庶人、好利之獘何以異哉。
書き下し
太史公曰く、「余、孟子の書を読み、梁の恵王の『何を以て吾が国を利せん』と問ふに至り、未だ嘗て書を廃して嘆かずんばあらざるなり。曰く、嗟乎、利は誠に乱の始めなり。夫子の罕に利を言ふ者は、常に其の原を防げばなり。故に曰く、利に放りて行へば、怨み多し、と。天子より庶人に至るまで、利を好むの獘、何を以て異ならんや」と。
現代語訳
太史公は言う。「私は『孟子』を読み、梁の恵王が『どうやって我が国を利するか』と問うくだりに至ると、いつも書物を置いてため息をつかずにはいられない。ああ、利こそまことに乱れのはじまりである。孔子が利についてめったに語らなかったのは、常にその源をふさごうとしたからだ。だから『利にもとづいて行動すれば、怨みが多い』と言うのである。天子から庶民に至るまで、利を好むことの弊害に、どんな違いがあろうか」。
解説
「利益を第一に追い求めることが、あらゆる争いと混乱の根源になる」——司馬遷が孟子の書を読んで発した、深い警句の一段です。梁の恵王が孟子に会うなり「どうすれば我が国の利益になるか」と問うたのに対し、司馬遷は本を置いて嘆じます。『利は誠に乱の始めなり(利益こそ、まさに乱れの始まりだ)』。孔子がめったに利益を口にしなかったのは、利を求める心が争いを生む根源だと知り、その源を常に警戒していたからだ、と。そして『利に放りて行へば、怨み多し(利益ばかりを基準に行動すれば、怨みを買うことが多い)』という孔子の言葉を引き、天子から庶民に至るまで、利益を好むことの弊害は同じだ、と結びます。ここに、経営や組織運営における根本的な問いがあります。もちろん、事業に利益は不可欠です。しかし、「まず利益ありき」で、何を措いても目先の利を最優先する姿勢は、顧客・取引先・従業員との間に怨みや不信を生み、長期的にはかえって組織を損なう。孔子や孟子が説いたのは、利益を否定することではなく、利益より先に「義(正しさ)」「徳」「信頼」を置くべきだ、という順序の問題です。信頼や大義を土台に据えれば、利益は結果としてついてくる。逆に、利を先に立てれば、信頼を失い、争いを招く。冒頭で王が「利」を問うたことに司馬遷が嘆いたのは、リーダーが最初に何を問うか——利益か、それとも道義か——が、その組織の運命を分けると見抜いていたからです。あなたの組織は、何を第一の問いに据えているか。この根本の順序を、この一段は鋭く問いかけます。
この章句が説くこと
孟子荀卿利は乱の始め義を利に先んず目先の利の弊害信頼が土台順序
関連する章句
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孟子・梁惠王章句上孟子、梁の惠王に見ゆ。王曰く、「叟、千里を遠しとせずして來たる。亦た将に以て吾が國を利する有らんとするか。」孟子對えて曰く、「王何ぞ必ずしも利と曰わん。亦た仁義有るのみ。王は何を以て吾が國を利せんと曰い、大夫は何を以て吾が家を利せんと曰い、士・庶人は何を以て吾が身を利せんと曰う。上下交々利を征れば國危うし。萬乘の國、其の君を弒する者は、必ず千乘の家なり。千乘の國、其の君を弒する者は、必ず百乘の家なり。萬に千を取り、千に百を取る、多からずと為さず。苟も義を後にして利を先にすることを為さば、奪わずんば饜かず。未だ仁にして其の親を遺つる者有らざるなり。未だ義にして其の君を後にする者有らざるなり。王も亦た仁義と曰わんのみ。何ぞ必ずしも利と曰わん。」
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『講孟余話』梁惠王上 首章王何ぞ必ずしも利と曰はん、亦仁義有るのみ。案ずるに魏の武侯二年、安邑に築く。其の子恵王三十一年、秦商君を用ひ、東に侵して河水に至る。安邑は秦に近き故、徙りて大梁に治す。三十五年、礼を卑うし幣を厚うし、以て賢者を招く。而して孟子梁に至る。魏の時事大略斯くの如し。此の時恵王首として国を利することを問ふ、亦志ありと云ふべし。而して孟子是れを挫く者は何ぞや。蓋し仁義は道理のなすべき所なり、利は功効の期すべき所なり。道理を主とすれば功効は期せずして自ら至る。功効を主とすれば道理を失ふに至ること少なからず。且つ功効を主とする者は、事皆苟且にして成遂する所あること少なし。仮令少しく成遂する所あれども、永久を保するに足らず。永久の良図を捨てて目前の近効に従ふ、其の害言ふに堪ふべからず。苟も能く一向に義理の当然を求め、終始なく作輟なき時は、又何ぞ事の成らざるを憂へん。孟子恵王の利心を挫くも亦是れが為めなり。是れ諸葛武侯の所謂、鞠躬尽力、死して後已む、成敗利鈍に至りては臣の明の能く逆め覩る所に非ざるなり、の義なり。是れ道学の根元、先賢の論ずる所備はれり、今必ずしも贅せず。
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荀子・大略篇「義」と「利」とは、人の両(ふた)つながら有する所なり。堯舜(ぎょうしゅん)と雖(いへど)も民の利を欲するを去る能(あた)はず。然れども能く其の利を欲するをして其の義を好むに克(か)たざらしむ。桀紂(けっちゅう)と雖も民の義を好むを去る能はず。然れども能く其の義を好むをして其の利を欲するに勝たざらしむ。故に義の利に勝つ者は治世と為り、利の義に克つ者は乱世と為る。上(かみ)義を重んずれば則ち義は利に克ち、上利を重んずれば則ち利は義に克つ。故に天子は多少を言はず、諸侯は利害を言はず、大夫は得喪(とくそう)を言はず、士は貨財に通ぜず。国を有(たも)つの君は牛羊を息(ふや)さず、質(し)を錯(お)くの臣は雞豚(けいとん)を息さず、冢卿(ちょうけい)は幣(へい)を脩(をさ)めず、大夫は場園(じょうえん)を為(つく)らず、士より以上は皆(みな)利を羞(は)ぢて民と業を争はず、分施(ぶんし)を楽しみて積蔵(せきぞう)を恥づ。然る故に民は財に困(くる)しまず、貧窶(ひんく)なる者も其の手を竄(お)く所有り。
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史記 孟子荀卿列伝孟軻は、騶の人なり。業を子思の門人に受く。道既に通じ、游びて斉の宣王に事ふるも、宣王用ふる能はず。梁に適くも、梁の恵王言ふ所を果たさず、則ち以て迂遠にして事情に闊しと見なさる。是の時に当り、秦は商君を用ひて国を富まし兵を彊くし、楚魏は呉起を用ひて戦勝し敵を弱くし、斉の威王・宣王は孫子・田忌の徒を用ひて、諸侯東面して斉に朝す。天下方に合従連衡に務め、攻伐を以て賢と為す。而して孟軻乃ち唐・虞・三代の徳を述ぶ、是を以て如く所の者合はず。退きて万章の徒と詩書を序し、仲尼の意を述べ、孟子七篇を作る。
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『商君書』算地民の利を求むるや、禮の法を失い、名を求むるや、性の常を失う。奚を以てその然るを論ずるや。今夫れ盜賊は、上は君上の禁ずる所を犯し、下は臣子の禮を失う。故に名は辱められ身は危うし、猶お止まざる者は、利なればなり。その上世の士は、衣は膚を煖めず、食は腸を滿たさず、その志意を苦しめ、その四肢を勞し、その五臟を傷めて、而も益々裕廣なるのみ。性の常に非ずして、而もこれを為す者は、名なればなり。故に曰く、名利の湊まる所は、則ち民これに道く、と。
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孟子・告子章句下宋牼将に楚に之かんとす、孟子石丘に遇ひて、曰く、「先生将に何くにか之かんとする。」曰く、「吾聞く秦・楚兵を構ふと、我将に楚王に見えて、説きて之を罷めしめんとす。楚王悦ばずんば、我将に秦王に見えて、説きて之を罷めしめんとす。二王我将に遇ふ所有らんとす。」曰く、「軻や請ふ其の詳を問ふこと無けん、願はくは其の指を聞かん。之を説くこと将に何如せんとする。」曰く、「我将に其の不利を言はんとす。」曰く、「先生の志は則ち大なり、先生の号は則ち不可なり。先生利を以て秦・楚の王に説かば、秦・楚の王利を悦びて、以て三軍の師を罷めん。是れ三軍の士罷むるを楽しみて利を悦ぶなり。人の臣為る者は、利を懐ひて以て其の君に事へ、人の子為る者は、利を懐ひて以て其の父に事へ、人の弟為る者は、利を懐ひて以て其の兄に事へ、是れ君臣・父子・兄弟終に仁義を去り、利を懐ひて以て相接す。然り而して亡びざる者は、未だ之れ有らざるなり。先生仁義を以て秦・楚の王に説かば、秦・楚の王仁義を悦びて、以て三軍の師を罷めん。是れ三軍の士罷むるを楽しみて仁義を悦ぶなり。人の臣為る者は、仁義を懐ひて以て其の君に事へ、人の子為る者は、仁義を懐ひて以て其の父に事へ、人の弟為る者は、仁義を懐ひて以て其の兄に事へ、是れ君臣・父子・兄弟利を去り、仁義を懐ひて以て相接するなり。然り而して王たらざる者は、未だ之れ有らざるなり。何ぞ必ずしも利を曰はん。」

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