告志篇 / 目当てを一つにして職分を尽くす
國の本は家にあり、家の本は身にありと申候へば、面々眞實に身を脩んと心懸候はゞ、國も治らずして不叶理と存候、扨其役々職々により勤向は相違有之とも、目當といたし候所は、一致に無之ては相成間敷候、これを旅行に譬んに、人により東海道をゆく者もあるべく、木曾路をゆく者もあるべく、又は海路よりするもあるべし、少々の遲速はありとも、何れも遂に都へ到着するは、はじめに都へ登らんといふ日當ある故なり、政事も亦右の如くにて、文道にも武道にもせよ、其人の持別に寄、一樣には無之候ども、日當さへ定り居候はゞ、行屆かぬ筈はある間敷なり、我等乍不及、風俗を改、武備を整んと日當を立、日夜心を用ゐ候へども、今以十分の一も不行屆、殘念の至に候、つら〱思ふに、家中の儀は一躰之事にて、勤筋は違ひ候とも、國家の爲を存候所は相違あるまじき筈なれども、時の弊風にて武士一躰なる事を忘れ、文官武官と分れ候樣に成行、役人の外は政事にも拘らねば、馬鹿にても勤まる抔と自分にても怠り、甚しきは少々の惡事をなしても宜きと心得、政事の得失、役人の善惡等、他國の事にても批判する如くに、よそ〱しく心得候弊風なきにしもあらず、役人は專ら輕薄を旨とし、悉く精勤いたし候樣に見え候へども、是以眞實に其職に身を入候て勤候者は不多、少しく力を盡して仕損ぜんよりは、手を出さずして越度なき樣にと心懸候弊風なきにしもあらず、かくの如くにては、行先の目當なき旅行も同樣にて、一步を進め候ても亦一步を退き、いつとても行屆候事は有之間敷候、
新字:国の本は家にあり、家の本は身にありと申候へば、面々真実に身を脩んと心懸候はゞ、国も治らずして不叶理と存候、扨其役々職々により勤向は相違有之とも、目当といたし候所は、一致に無之ては相成間敷候、これを旅行に譬んに、人により東海道をゆく者もあるべく、木曽路をゆく者もあるべく、又は海路よりするもあるべし、少々の遅速はありとも、何れも遂に都へ到着するは、はじめに都へ登らんといふ日当ある故なり、政事も亦右の如くにて、文道にも武道にもせよ、其人の持別に寄、一様には無之候ども、日当さへ定り居候はゞ、行届かぬ筈はある間敷なり、我等乍不及、風俗を改、武備を整んと日当を立、日夜心を用ゐ候へども、今以十分の一も不行届、残念の至に候、つら〱思ふに、家中の儀は一体之事にて、勤筋は違ひ候とも、国家の為を存候所は相違あるまじき筈なれども、時の弊風にて武士一体なる事を忘れ、文官武官と分れ候様に成行、役人の外は政事にも拘らねば、馬鹿にても勤まる抔と自分にても怠り、甚しきは少々の悪事をなしても宜きと心得、政事の得失、役人の善悪等、他国の事にても批判する如くに、よそ〱しく心得候弊風なきにしもあらず、役人は専ら軽薄を旨とし、悉く精勤いたし候様に見え候へども、是以真実に其職に身を入候て勤候者は不多、少しく力を尽して仕損ぜんよりは、手を出さずして越度なき様にと心懸候弊風なきにしもあらず、かくの如くにては、行先の目当なき旅行も同様にて、一歩を進め候ても亦一歩を退き、いつとても行届候事は有之間敷候、
書き下し
國の本は家にあり、家の本は身にありと申候へば、面々眞實に身を脩んと心懸候はゞ、國も治らずして不叶理と存候、扨其役々職々により勤向は相違有之とも、目當といたし候所は、一致に無之ては相成間敷候、これを旅行に譬んに、人により東海道をゆく者もあるべく、木曾路をゆく者もあるべく、又は海路よりするもあるべし、少々の遲速はありとも、何れも遂に都へ到着するは、はじめに都へ登らんといふ日當ある故なり、政事も亦右の如くにて、文道にも武道にもせよ、其人の持別に寄、一樣には無之候ども、日當さへ定り居候はゞ、行屆かぬ筈はある間敷なり、我等乍不及、風俗を改、武備を整んと日當を立、日夜心を用ゐ候へども、今以十分の一も不行屆、殘念の至に候、つら〱思ふに、家中の儀は一躰之事にて、勤筋は違ひ候とも、國家の爲を存候所は相違あるまじき筈なれども、時の弊風にて武士一躰なる事を忘れ、文官武官と分れ候樣に成行、役人の外は政事にも拘らねば、馬鹿にても勤まる抔と自分にても怠り、甚しきは少々の惡事をなしても宜きと心得、政事の得失、役人の善惡等、他國の事にても批判する如くに、よそ〱しく心得候弊風なきにしもあらず、役人は專ら輕薄を旨とし、悉く精勤いたし候樣に見え候へども、是以眞實に其職に身を入候て勤候者は不多、少しく力を盡して仕損ぜんよりは、手を出さずして越度なき樣にと心懸候弊風なきにしもあらず、かくの如くにては、行先の目當なき旅行も同樣にて、一步を進め候ても亦一步を退き、いつとても行屆候事は有之間敷候、
現代語訳
国の本は家にあり、家の本は身にあると申しますので、各自が真実に身を修めようと心がければ、国も治まらないはずがないと思います。さてその役々・職々によって勤めの内容は違っても、目当てとするところは一致していなければなりません。これを旅行にたとえれば、人によって東海道を行く者もあり、木曽路を行く者もあり、海路で行く者もあるでしょう。少々の遅速はあっても、いずれも結局は都に到着するのは、初めに都へ上ろうという目当てがあるからです。政事もまたこのとおりで、文道にしろ武道にしろ、その人の持ち分によって一様ではありませんが、目当てさえ定まっていれば、行き届かないはずはありません。私は不肖ながら、風俗を改め武備を整えようと目当てを立て、日夜心を用いていますが、今なお十分の一も行き届かず、残念の至りです。つくづく思うに、家中のことは一体のものであり、勤めの筋は違っても国家のために思うところは相違ないはずなのに、時の弊風で武士は一体であることを忘れ、文官・武官と分かれるようになり、役人のほかは政事にも関わらないから、馬鹿でも勤まるなどと自分でも怠り、甚だしくは少しの悪事をしてもよいと心得、政事の得失や役人の善悪などを、他国のことを批判するかのようによそよそしく心得る弊風がないでもありません。役人は専ら軽薄を旨とし、ことごとく精勤しているように見えますが、これもまた真実にその職に身を入れて務める者は多くなく、少し力を尽くして仕損じるよりは、手を出さずに落ち度のないようにと心がける弊風もないではありません。このようでは、行く先の目当てのない旅行も同様で、一歩進んでもまた一歩退き、いつまでも行き届くことはないでしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・善說晉獻公の時、東郭の民に祖朝なる者有り。上書して獻公に曰く、「草茅の臣、東郭の民祖朝、願わくは國家の計を聞くを請わん。」獻公使いをして出でて之に告げしめて曰く、「肉食する者已に之を慮れり。藿食する者尚お何ぞ與らんや。」祖朝對えて曰く、「大王獨り古の將桓司馬なる者を聞かざるか。朝々其の君に朝し、舉げて宴す。御車を呼ばば、驂も亦た車を呼ぶ。御其の驂に肘して曰く、『子何ぞ越えて云爲するか。何為れぞ藉りに車を呼ぶや。』驂其の御に謂いて曰く、『當に呼ぶべき者呼ぶは、乃ち吾が事なり。子は當に子の轡銜を正すべきのみ。子今轡銜を正さずして、馬をして卒然として驚かしめ、妄りに道中の行人を轢かば、必ず大敵に逢い、車を下り劍を免れ、血を涉り肝を履むは固より吾が事なり。子寧んぞ能く子の轡を辟け、下りて我を佐くるか。其の禍も亦た吾が身に及び、與に深憂有り。吾安んぞ車を呼ぶ無きを得んや。』今大王曰く、『肉を食う者已に之を慮れり、藿を食う者尚お何ぞ與らんや。』設し肉を食う者一旦廟堂の上に計を失わば、臣等藿を食う者の若きも、寧んぞ肝膽を中原の野に塗る無きを得んや。其の禍も亦た臣が身に及ぶ。臣與に其の憂い深し。臣安んぞ國家の計に與る無きを得んや。」獻公召して之を見、三日與に語り、復た憂うる者無し、乃ち立てて以て師と爲せり。
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言志四録・南洲手抄象山の、宇宙内の事は皆己れ分内の事は、此れ男子担当の志此の如きを謂ふなり。陳澔此を引いて射義を註す、極めて是なり。
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福翁自伝・王政維新・教員金の多少を争う右の通り三田の新塾は万事都合能く行われて、塾の資本金こそ皆無なれ、生徒から毎月の授業料を取集めて之を教師に分配して、如何やら斯うやら立行くその中にも、教師は皆本塾の先進生であるから、この塾に居て余計な金を取ろうと云う考はない。第一私が一銭でも塾の金を取らぬのみか、普請の時などには毎度此方から金を出して遣る。教師達もその通りで、外に出れば随分給料の取れるのを取らずに塾の事を勤めるから、是れも私金を出すと同じ事である。凡そコンナ風で無資金の塾も維持が出来たが、その時の真面目を申せば、月末などに金を分配するとき、動もすれば教師の間に議論が起るその議論は即ち金の多少を争う議論で、僕はコンなに多く取る訳けはない、君の方が少ないと云うと、「イヤ爾うでない、僕は是れで沢山だ、イヤ多い、少ないと、喧嘩のように云てるから、私は側から見て、「ソリゃ又始まった、大概にして置きなさい、ドウせ足りない金だから宜い加減にして分けて仕舞え、争う程の事でもないと毎度笑て居ました。この通りで慶應義塾の成立は、教師の人々がこの塾を自分のものと思うて勉強したからの事です。決して私一人の力に叶う事ではない。人間万事余り世話をせずに放任主義の方が宜いかと思われます。その後時勢も次第に進歩するに従い、塾の維持金を集め、又大学部の為めにも募り、近来は又重ねて募集金を始めましたが、是れも私は余り深く関係せず、一切の事を塾出身の若い人に任せて居ます。
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『潜夫論』救邊衝を折き民を安んずるは、要は賢に任ずるに在り、境を促むるに在らず。斉・魏の守りを卻け、国以て安んぜず、子嬰自ら削り、秦以て在らず。武皇帝夷を攘い境を拆き、麵ること数千里。東は楽浪を開き、西は敦煌を置き、南は交阯を逾え、北は朔方を築く。卒に南越を定め、大宛を誅斬し、武軍の向う所、夷滅せざる無し。今虜近く封畿の内に発して、擒にする能わざるは、亦た自ら痛むのみ、辺有るの過ちに非ざるなり。唇亡べば歯寒く、体傷つけば心痛むは、必然の事、又何ぞ疑わんや。君子は機を見る、況んや已に著るるをや。乃者辺の害、震うこと雷霆の如く、赫たること日月の如くにして、談ずる者皆之を諱み、日に焱並んで竊盗す、浅浅として善く靖んじ、君子をして怠らしめんとし、朝廷をして寇を以て小と為し、蚤に憂えざらしめんと欲す。害乃ち此に至るも、尚お救うを欲せず。諺に曰く、「痛み身に著かざれば之を忍ぶと言い、銭家を出でざれば之を与うと言う」と。仮使い公卿の子弟、羌禍を被り、朝夕切急なること辺民の如き者有らば、則ち競いて当に羌を誅すべしと言わん。今苟くも己に惨怛冤痛無きを以て、故に端坐して相い仍ぎ、又防禦の備えを明らかに修めず、陶陶として閑澹、臥して天聴に委ぬ。羌独り往来し、深く入りて多く殺すも、己は乃ち陸陸として、相い将いて闕に詣り、辞を諧え礼謝し、退きて状を云う。
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『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法試みに例えば石油であるとか、もしくは製粉であるとか、あるいは人造肥料であるというような業務について考えて見ても、もし利益を進めるという観念がなくて、成り行き次第でどうでもよいというような風にやったならば、決して事業が発達するものではない。富の増進するものでないことは明らかである。仮にもしその仕事が自己の利害に関係せず、人ごとに儲かっても己れの仕合わせにならぬ、損しても不仕合わせにならぬということであったならば、その事業は完全に進まぬけれども、己れの仕事であれば、この物を進めたい、この仕事を発達せしむるということは争うべからざる事実である。されば、もしそういう観念から他の事を凌いで、あるいは世の中の大勢を知らず、あるいは事情を察せずに、我さえ善ければよいということであったならば、いかになるか。必ずともにその不幸を蒙って、己れ一人を利そうと思った、その己れもまた不幸を蒙るということになるのである。
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説苑・政理晋の文侯、政を舅犯に問う。舅犯対えて曰く、「熟を分つは腥を分つに如かず、腥を分つは地を分つに如かず。割きて以て民に分ち、其の爵禄を益せば、是を以て上地を得れば民富むを知り、上地を失えば民貧しきを知る。古の所謂師を致して戦うとは、其れ此を之謂うなり。」

人生を、一行の式にしてみた。
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