説苑 / 善說
晉獻公之時,東郭民有祖朝者,上書獻公曰:「草茅臣東郭民祖朝,願請聞國家之計。」獻公使使出告之曰:「肉食者已慮之矣。藿食者尚何與焉?」祖朝對曰:「大王獨不聞古之將曰桓司馬者,朝朝其君,舉而宴,御呼車,驂亦呼車,御肘其驂曰:『子何越云為乎?何為藉呼車?』驂謂其御曰:『當呼者呼,乃吾事也,子當御正子之轡銜耳。子今不正轡銜,使馬卒然驚,妄轢道中行人,必逢大敵,下車免劍,涉血履肝者固吾事也。子寧能辟子之轡,下佐我乎?其禍亦及吾身,與有深憂,吾安得無呼車乎?』今大王曰:『食肉者已慮之矣,藿食者尚何與焉?』設使食肉者一旦失計於廟堂之上,若臣等藿食者,寧得無肝膽塗地於中原之野與?其禍亦及臣之身。臣與有其憂深。臣安得無與國家之計乎?」獻公召而見之,三日與語,無復憂者,乃立以為師也。
新字:晋献公之時,東郭民有祖朝者,上書献公曰:「草茅臣東郭民祖朝,願請聞国家之計。」献公使使出告之曰:「肉食者已慮之矣。藿食者尚何与焉?」祖朝対曰:「大王独不聞古之将曰桓司馬者,朝朝其君,舉而宴,御呼車,驂亦呼車,御肘其驂曰:『子何越云為乎?何為藉呼車?』驂謂其御曰:『当呼者呼,乃吾事也,子当御正子之轡銜耳。子今不正轡銜,使馬卒然驚,妄轢道中行人,必逢大敵,下車免剣,渉血履肝者固吾事也。子寧能辟子之轡,下佐我乎?其禍亦及吾身,与有深憂,吾安得無呼車乎?』今大王曰:『食肉者已慮之矣,藿食者尚何与焉?』設使食肉者一旦失計於廟堂之上,若臣等藿食者,寧得無肝胆塗地於中原之野与?其禍亦及臣之身。臣与有其憂深。臣安得無与国家之計乎?」献公召而見之,三日与語,無復憂者,乃立以為師也。
書き下し
晉獻公の時、東郭の民に祖朝なる者有り。上書して獻公に曰く、「草茅の臣、東郭の民祖朝、願わくは國家の計を聞くを請わん。」獻公使いをして出でて之に告げしめて曰く、「肉食する者已に之を慮れり。藿食する者尚お何ぞ與らんや。」祖朝對えて曰く、「大王獨り古の將桓司馬なる者を聞かざるか。朝々其の君に朝し、舉げて宴す。御車を呼ばば、驂も亦た車を呼ぶ。御其の驂に肘して曰く、『子何ぞ越えて云爲するか。何為れぞ藉りに車を呼ぶや。』驂其の御に謂いて曰く、『當に呼ぶべき者呼ぶは、乃ち吾が事なり。子は當に子の轡銜を正すべきのみ。子今轡銜を正さずして、馬をして卒然として驚かしめ、妄りに道中の行人を轢かば、必ず大敵に逢い、車を下り劍を免れ、血を涉り肝を履むは固より吾が事なり。子寧んぞ能く子の轡を辟け、下りて我を佐くるか。其の禍も亦た吾が身に及び、與に深憂有り。吾安んぞ車を呼ぶ無きを得んや。』今大王曰く、『肉を食う者已に之を慮れり、藿を食う者尚お何ぞ與らんや。』設し肉を食う者一旦廟堂の上に計を失わば、臣等藿を食う者の若きも、寧んぞ肝膽を中原の野に塗る無きを得んや。其の禍も亦た臣が身に及ぶ。臣與に其の憂い深し。臣安んぞ國家の計に與る無きを得んや。」獻公召して之を見、三日與に語り、復た憂うる者無し、乃ち立てて以て師と爲せり。
現代語訳
晋の献公の時代、東郭の民に祖朝という者がいた。彼は献公に上書して言った。『草深い田舎の臣、東郭の民である祖朝が、国家の政策について申し上げたいと存じます。』献公は使者をやってこう告げさせた。『肉を食う身分の高い者たちがすでに考え尽くしている。豆の葉を食う庶民のお前が口を出すことがあろうか。』祖朝は答えた。『大王は昔の将軍、桓司馬という者の話をお聞きになったことがありませんか。彼は毎朝主君に参内し、宴に出ておりました。御者が車を呼ぶと、脇の馬(驂)もまた車を呼びました。御者は驂馬を肘で押しやって「お前は何を出しゃばって物を言うのか。なぜ余計な口出しをして車を呼ぶのか」と言いました。驂馬は御者に答えて「呼ぶべき者が呼ぶのは私の仕事です。あなたはただ手綱と轡を正すべきです。あなたが今手綱と轡を正さず、馬が突然驚いて道中の通行人を踏み轢いてしまえば、必ず大きな敵に遭遇し、車を降り剣を抜いて、血の中を渡り肝を踏みつけて戦うのは、もとより私の仕事です。あなたはご自分の手綱を放り出して、車を降りて私を助けてくれるのですか。その禍は結局私の身にも及ぶのです。私にも深い憂いがあります。どうして車を呼ばずにいられましょうか」と言いました。今、大王は「肉を食う者がすでに考えている、豆の葉を食う者が口出しすることがあろうか」とおっしゃいますが、もし肉を食う者たちが一朝にして朝廷の場で判断を誤れば、私ども豆の葉を食う庶民のような者も、肝や胆を中原の野にさらすことにならないでしょうか。その禍はやはり私の身にも及ぶのです。私にもその憂いは深いのです。私がどうして国家の政策に関与せずにいられましょうか。』献公は祖朝を召して面会し、三日間語り合ったところ、もう憂いはなくなったといい、そこで彼を師として立てた。
解説

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