言志四録 / 南洲手抄
象山、宇宙内事、皆己分内事、此謂男子擔當之志如此。陳澔引此註射義、極是。
新字:象山、宇宙内事、皆己分内事、此謂男子担当之志如此。陳澔引此註射義、極是。
書き下し
象山の、宇宙内の事は皆己れ分内の事は、此れ男子担当の志此の如きを謂ふなり。陳澔此を引いて射義を註す、極めて是なり。
現代語訳
陸象山が言った「宇宙のうちの事は、すべて自分の担うべき事だ」という言葉——これは、男子が天下を我が事として担う志とはこのようなものだ、ということを言っている。陳澔(『礼記集説』の注者)がこの言葉を引いて『礼記』射義篇を注釈したのは、まことに的を射ている。
解説
陸象山の雄大な言葉「宇宙内の事は皆己れ分内の事」を掲げた一条です。宇宙の出来事のすべてを自分の責任範囲として引き受ける——これこそ天下を我が事とする志だ、と一斎は讃えます。西郷隆盛はこの一条をとりわけ愛し、藤田東湖に学んだ頃「一寸の丹心万夫に敵す」と書いて、維新を我が担当と任じたと評に添えられています。傍観者にならず、世の課題を「自分事」として引き受ける当事者意識。スケールの大きい志は、こうした引き受けの覚悟から生まれます。責任を限定しがちな私たちに、担う範囲を自ら広げよと促す一条です。
この章句が説くこと
陸象山当事者意識担当の志自分事
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