告志篇 / 同役は睦み合い新参に隠さず伝える
如何樣にてもかまはぬといふ者あるは大なる僻事なり、親類は不及申、家中互に睦しくするは即ち一つの奉公にて、我等に於ても忝存る所に候、扨又愚なる者にても、人の過を責は明にて、聰明成者にても己を怨するには暗く成候事に候へば、人の過を責る心にて己れの身を責、不正の筋無之樣いたし、若又世評を聞、善惡共に懇に告る者あらば、父師と同樣に心得、忝可思なり、人情美事は告やすく、過失は告がたく候間、聞者は聊拒む色なく、虛心にて眞實に取受、告る者は人のしらざる樣に其人へのみ異見いたし度事に候、たとひ常ゝ親友にあらざればとて、其人へは不告して、人と共に朋友の惡事をいひて席上の樂とする抔は、我家中にはあらぬ行なり、されば親類は不及申、同役にても過有之咎受候は、當人は勿論、同役迄の不念なり、又善事有之て賞美せらるゝは、當人は勿論、同役までの手柄なれば、何役にかぎらず、同役の儀は別て心を付、互に睦く善惡知せ合可申候、新規に同役に成候者抔へは、何事も無伏藏申聞指支無之、勤易き樣にすべし、古役なりとて權を取、新役をなぶり、又は新役へ費をかけて樂み、或は勤向委細に不傳して、其者に不働をさせて笑ふ抔は、其者の指支のみならず、主君の用も辨ぜざる事なり、箇樣にいやしくきたなき心は、たとひ主君はまづ其まゝ見すみ置候とも、能ゝ考へなば、獨心に恥ざらんや、愼むべき事なり、
新字:如何様にてもかまはぬといふ者あるは大なる僻事なり、親類は不及申、家中互に睦しくするは即ち一つの奉公にて、我等に於ても忝存る所に候、扨又愚なる者にても、人の過を責は明にて、聰明成者にても己を怨するには暗く成候事に候へば、人の過を責る心にて己れの身を責、不正の筋無之様いたし、若又世評を聞、善悪共に懇に告る者あらば、父師と同様に心得、忝可思なり、人情美事は告やすく、過失は告がたく候間、聞者は聊拒む色なく、虚心にて真実に取受、告る者は人のしらざる様に其人へのみ異見いたし度事に候、たとひ常ゝ親友にあらざればとて、其人へは不告して、人と共に朋友の悪事をいひて席上の楽とする抔は、我家中にはあらぬ行なり、されば親類は不及申、同役にても過有之咎受候は、当人は勿論、同役迄の不念なり、又善事有之て賞美せらるゝは、当人は勿論、同役までの手柄なれば、何役にかぎらず、同役の儀は別て心を付、互に睦く善悪知せ合可申候、新規に同役に成候者抔へは、何事も無伏蔵申聞指支無之、勤易き様にすべし、古役なりとて権を取、新役をなぶり、又は新役へ費をかけて楽み、或は勤向委細に不伝して、其者に不働をさせて笑ふ抔は、其者の指支のみならず、主君の用も弁ぜざる事なり、箇様にいやしくきたなき心は、たとひ主君はまづ其まゝ見すみ置候とも、能ゝ考へなば、独心に恥ざらんや、慎むべき事なり、
書き下し
如何樣にてもかまはぬといふ者あるは大なる僻事なり、親類は不及申、家中互に睦しくするは即ち一つの奉公にて、我等に於ても忝存る所に候、扨又愚なる者にても、人の過を責は明にて、聰明成者にても己を怨するには暗く成候事に候へば、人の過を責る心にて己れの身を責、不正の筋無之樣いたし、若又世評を聞、善惡共に懇に告る者あらば、父師と同樣に心得、忝可思なり、人情美事は告やすく、過失は告がたく候間、聞者は聊拒む色なく、虛心にて眞實に取受、告る者は人のしらざる樣に其人へのみ異見いたし度事に候、たとひ常ゝ親友にあらざればとて、其人へは不告して、人と共に朋友の惡事をいひて席上の樂とする抔は、我家中にはあらぬ行なり、されば親類は不及申、同役にても過有之咎受候は、當人は勿論、同役迄の不念なり、又善事有之て賞美せらるゝは、當人は勿論、同役までの手柄なれば、何役にかぎらず、同役の儀は別て心を付、互に睦く善惡知せ合可申候、新規に同役に成候者抔へは、何事も無伏藏申聞指支無之、勤易き樣にすべし、古役なりとて權を取、新役をなぶり、又は新役へ費をかけて樂み、或は勤向委細に不傳して、其者に不働をさせて笑ふ抔は、其者の指支のみならず、主君の用も辨ぜざる事なり、箇樣にいやしくきたなき心は、たとひ主君はまづ其まゝ見すみ置候とも、能ゝ考へなば、獨心に恥ざらんや、愼むべき事なり、
現代語訳
どのようであってもかまわないと言う者がいるのは大きな僻事です。親類はもちろん、家中が互いに睦まじくするのはすなわち一つの奉公で、私にとってもありがたいことです。さてまた、愚かな者でも人の過ちを責めるのには明るく、聡明な者でも自分を責めることには暗くなるものですから、人の過ちを責める心で自分の身を責め、不正の筋がないようにし、もし世評を聞いて善悪ともに丁寧に告げてくれる者がいれば、父や師と同じように心得、ありがたく思いなさい。人情として、美事は告げやすく過失は告げにくいものですから、聞く者は少しも拒む様子なく、虚心に真実を受け取り、告げる者は他人に知られないようにその人にだけ意見したいものです。たとえ普段から親友でないからといって、その人には告げずに、他の人と一緒に友の悪事を言って席上の楽しみにするようなことは、わが家中にはあってはならない行いです。ですから親類はもちろん、同役でも過ちがあって咎めを受けるのは、当人はもちろん、同役までの不念です。また善事があって賞美されるのは、当人はもちろん、同役までの手柄ですから、どの役にかぎらず、同役のことは特に心を付け、互いに睦まじく善悪を知らせ合いなさい。新しく同役になった者などには、何事も隠し立てなく話して差し支えなく、勤めやすいようにしなさい。古参だからといって権を取り、新参をからかい、あるいは新参に費用をかけさせて楽しみ、あるいは勤めの委細を伝えずにその者に不始末をさせて笑うようなことは、その者の差し支えになるだけでなく、主君の用も弁じないことです。このような卑しく汚い心は、たとえ主君はひとまずそのまま見過ごしておいても、よくよく考えれば、ひとり心に恥じないでしょうか。慎むべきことです。
解説
この章句が説くこと
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廟堂忠告・分謗第七夫れ共に署して事を聯(つら)ぬるに、一人努力して前まば、則ち餘の者は皆當に輔相して以て其の志を成すべし。苟くも彼前まば我卻き、彼行けば我止まり、動くに焉ぞ相隨わず、語るに焉ぞ相應ぜざれば、則ち事功の成る者、能く幾何ぞや。此れ古人推車同舟の喻え有る所以なり。其れ或いは舟を共にして以て濟るに、一人溺るれば、則ち凡そ舟に在る者、疏戚を論ぜず、宜しく力を并せて以て之を救うべし。此れ賢不肖の共に知る所なり。况んや同じく臣子為り、同じく天下國家の寄を受くる者、坐して一人の禍を被るを視て恤えざるべけんや。其れ一巳の私の為にして自ら伊(こ)の戚(うれい)を貽(のこ)すが如きは、固より恤うるに足らず。其れ或いは知りて言わざる無く、言いて盡さざる無く、公家の務め、一に大公至正を以て之に處すれば、彼、巳の為家の為にして罪を得るに非ず。則ち凡そ同官なる者、安んぞ身を挺んでて前み、之と難を共にせざるを淂んや。大拞一人不幸にして罪を得れば、長為る者は若しくは曰わん、「此れ我が罪なり」と。貳為る者も亦曰わん、「此れ我が罪なり」と。闔堂の人をして皆爭いて引きて己の罪と為さしめば、則ち彼の罪を獲る者、釋す能わずと雖も、亦必ずしも重論に至らず。古の敢えて諫爭する者は、其の遇のいまだ聽納せられざるに、「此の人を殺すよりは臣を殺すに若かず」と謂うに至る。尚お是くの如く解を求むるを為すに、其れ肯えて同官の冤抑を坐視して省みざらんや。嗚呼、謗を分ち咎を引く事、宰相為る者誠に能く今に力行せば、將に士大夫の名節愈々厲まし、民間の薄俗敦くすべきを見んとし、而して國家他日も亦其の仗義死節の士無きを患えざらん。一事の行、繫る所是くの如し、孰か任怨分謗を宰相の細行と謂わんや。
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『韓非子』制分第五十五過を告ぐる者は罪を免れて賞を受け、姦を失う(見逃すこと) 者は必ず誅せられて刑に連なる。此の如くなれば、則ち姦類發(あば)かる。
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『驢鞍橋』卷上然る間住持は檀那寺に参る度毎に、搆へて畜生に成りめさるゝなと是計り云ふべき也。亦御坊主に非行悪事あらば、檀那の過として過銭を出すべしと、急度申付くべき也。如是せば、住持威儀正く、師檀共に自ら成仏の道に達すべし。其上に亦御公儀より、寺目付と云ふ者を付け給ふ間、非行に於ては急度法度に行ふへしと相触れ、扨右の道理を寺方へも檀方へも、御公儀よりひしと仰付けられば、三宝の威光顕はれ国土明にして安楽世界と成るへき也。我若き時より仏法を以て国土を治むる事、胸に折籠めて居けるが、此畜生一つを以て治むる事を思出す也。是計りはよう思出したではをり無いか、世界の悪事は何事も愚癡より出づるなり。三毒の心と云ふも、我は愚癡一つと思ふ也。此道理御公儀へ申達し度、强う思へども時に逢はず、何と此中に用に立つる人あらんや、心元なし。御坊主達聞置いてくれめされよと也。
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『智囊』通簡・萬觀・王敬則万観は厳州に知たり。七里瀧に漁舟数百艘あり、昼は漁し夜は竊み、行旅之を患う。観は十艘を一甲と為し、各々限るに地を以てし、自ら守らしむ。是れより復た警無し。〔馮述評〕能く編甲の法を実行すれば、何れの処にか不可ならん。敬則は呉興太守と為る。郡は旧と剽掠多し。敬則は一偸を録得し、其の親属を前に召し、之を鞭うつこと数十にして、長く街路を掃かしむ。久しくして、乃ち旧偸を挙げて自ら代えしむ。諸偸は為に識らるるを恐れ、皆な逃走し、境内以て清まる。〔馮述評〕辱は親属に及べば、親属も亦た偸を容るる能わず。唯だ偸のみ偸を知る。偸を挙げて自ら代えしむるは、緝捕を用うるに勝ること、人多多なり。
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『韓非子』難一第三十六郄子因りて曰く、「胡ぞ以て徇へざる」と。其の僕曰く、「曩には将に之を救はんとするにあらずや」と。郄子曰く、「吾敢て謗を分かたざらんや」と。或ひと曰く、郄子の言は、察せざる可からざるなり、謗を分かつに非ざるなり。韓子の斬る所や、若し罪人ならば、則ち救ふ可からず、罪人を救ふは、法の敗るる所以なり、法敗るれば則ち国乱る。若し罪人に非ざれば、則ち之に勧むるに徇ふるを以てす可からず、之に勧むるに徇ふるを以てするは、是れ不辜を重ぬるなり、不辜を重ぬるは、民の怨みを起こす所以の者なり、民怨めば則ち国危ふし。郄子の言は、危ふからざれば則ち乱る、察せざる可からざるなり。且つ韓子の斬る所若し罪人ならば、郄子奚ぞ分かたん。斬ること若し罪人に非ざれば、則ち已に之を斬れり、而して郄子乃ち至る、是れ韓子の謗已に成りて郄子且つ後れて至るなり。夫れ郄子の「以て徇へよ」と曰ふは、以て人を斬るの謗を分かつに足らずして、又徇ふるの謗を生ず。是れ子謗を分かつと言ふか。昔者紂炮烙を為る、崇侯・悪来又渉る者の脛を斬れと曰ふ、奚ぞ紂の謗を分かたん。且つ民の上に望むや甚だし、韓子得ざれば、且に郄子の之を得んことを望まんとす。今郄子俱に得ず、則ち民上に望みを絶たん。故に曰く、郄子の言は謗を分かつに非ず、謗を益すなり、と。且つ郄子の往きて罪を救ふや、韓子を以て非と為すなり。其の非と為す所以を道はずして、之に「以て徇へよ」と勧む、是れ韓子をして其の過を知らざらしむるなり。夫れ下は民をして望みを上に絶たしめ、又韓子をして其の失を知らざらしむ、吾未だ郄子の謗を分かつ所以の者を得ざるなり。桓公管仲の束縛を解きて之を相とす。管仲曰く、「臣寵有り、然り而して臣卑し」と。公曰く、「子をして高・国の上に立たしめん」と。管仲曰く、「臣貴し、然り而して臣貧し」と。公曰く、「子をして三帰の家を有たしめん」と。管仲曰く、「臣富めり、然り而して臣䟽し」と。是に於て立てて以て仲父と為す。
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論語・子罕篇子曰く、法語の言は、能く従うこと無からんや。之を改むるを貴しと為す。巽与の言は、能く説ばざらんや。之を繹ぬるを貴しと為す。説びて繹ねず、従いて改めずんば、吾之を如何ともする末きのみ。

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