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告志篇 / 人の才を妬まず誠信を本とする

何事によらず、己れの能を挾みて、人の能を妬み抔するは、いといやしき心なり、何事にても我より先なる者あらば聽ことを恥ず、子供にも問べく、又我より後なるものをば能世話いたし引立候樣にすべし、家中に藝能等すぐれたる者多く出來候は、主君の爲なり、然るに文武に限らず、同流にても他流にても、上手の者を妬み抔するは、主君へ對し不忠なる事ならずや、己れの不遇を恨、人の立身を羨み嫉む抔は、猶更士には有間敷事なり、我等乍不肖、士民の上に臨み居候上は、家中の賢能を勸め、邪慝を懲しめ申度、常ゝ心を用ゐ候得ども、知人の難きは、聖人の病給ふ所にて、中々行屆兼候間、餘多の家中には善をなしてかくれ居候も可有之、又惡をなしてのがれ居候も可有之、日夜致苦心候處、面々に於ては我等の心を推察いたし、正道を守り邪行を戒め候樣致度事に候、然るに誰某は善行あれども上の賞にも預らねば、善をなすも無益なりと思ひ、誰某は惡事あれども罰も蒙らねば、惡をなし候ても申譯ありといひ、一人や二人の進退を見て忽に心を動し、惡をなし候樣なる者は、我家中にはあるまじく候、何事によらず、定置所の法度、又は父母師友の敎戒を守るは勿論に候へども、夫迄にも無之、大抵の人は是は善是は惡と申儀分ればこそ、惡き事は忍び隱れて行ひ候へば、一向善惡の境不相辨とは申がたく、多分は己れも惡敷と存じ、人よりも心を付られ候をも知つゝ行ひ候事に候へば、求て行ひ候も同樣なるべし、かくれたるより顯るはなしといへり、ゆめ〱いつはりなく、誠信を本とし、內省不疚の聖語、服膺致たき事に候。

新字:何事によらず、己れの能を挟みて、人の能を妬み抔するは、いといやしき心なり、何事にても我より先なる者あらば聴ことを恥ず、子供にも問べく、又我より後なるものをば能世話いたし引立候様にすべし、家中に芸能等すぐれたる者多く出来候は、主君の為なり、然るに文武に限らず、同流にても他流にても、上手の者を妬み抔するは、主君へ対し不忠なる事ならずや、己れの不遇を恨、人の立身を羨み嫉む抔は、猶更士には有間敷事なり、我等乍不肖、士民の上に臨み居候上は、家中の賢能を勧め、邪慝を懲しめ申度、常ゝ心を用ゐ候得ども、知人の難きは、聖人の病給ふ所にて、中々行届兼候間、余多の家中には善をなしてかくれ居候も可有之、又悪をなしてのがれ居候も可有之、日夜致苦心候処、面々に於ては我等の心を推察いたし、正道を守り邪行を戒め候様致度事に候、然るに誰某は善行あれども上の賞にも預らねば、善をなすも無益なりと思ひ、誰某は悪事あれども罰も蒙らねば、悪をなし候ても申訳ありといひ、一人や二人の進退を見て忽に心を動し、悪をなし候様なる者は、我家中にはあるまじく候、何事によらず、定置所の法度、又は父母師友の教戒を守るは勿論に候へども、夫迄にも無之、大抵の人は是は善是は悪と申儀分ればこそ、悪き事は忍び隠れて行ひ候へば、一向善悪の境不相弁とは申がたく、多分は己れも悪敷と存じ、人よりも心を付られ候をも知つゝ行ひ候事に候へば、求て行ひ候も同様なるべし、かくれたるより顕るはなしといへり、ゆめ〱いつはりなく、誠信を本とし、内省不疚の聖語、服膺致たき事に候。

書き下し

何事によらず、己れの能を挾みて、人の能を妬み抔するは、いといやしき心なり、何事にても我より先なる者あらば聽ことを恥ず、子供にも問べく、又我より後なるものをば能世話いたし引立候樣にすべし、家中に藝能等すぐれたる者多く出來候は、主君の爲なり、然るに文武に限らず、同流にても他流にても、上手の者を妬み抔するは、主君へ對し不忠なる事ならずや、己れの不遇を恨、人の立身を羨み嫉む抔は、猶更士には有間敷事なり、我等乍不肖、士民の上に臨み居候上は、家中の賢能を勸め、邪慝を懲しめ申度、常ゝ心を用ゐ候得ども、知人の難きは、聖人の病給ふ所にて、中々行屆兼候間、餘多の家中には善をなしてかくれ居候も可有之、又惡をなしてのがれ居候も可有之、日夜致苦心候處、面々に於ては我等の心を推察いたし、正道を守り邪行を戒め候樣致度事に候、然るに誰某は善行あれども上の賞にも預らねば、善をなすも無益なりと思ひ、誰某は惡事あれども罰も蒙らねば、惡をなし候ても申譯ありといひ、一人や二人の進退を見て忽に心を動し、惡をなし候樣なる者は、我家中にはあるまじく候、何事によらず、定置所の法度、又は父母師友の敎戒を守るは勿論に候へども、夫迄にも無之、大抵の人は是は善是は惡と申儀分ればこそ、惡き事は忍び隱れて行ひ候へば、一向善惡の境不相辨とは申がたく、多分は己れも惡敷と存じ、人よりも心を付られ候をも知つゝ行ひ候事に候へば、求て行ひ候も同樣なるべし、かくれたるより顯るはなしといへり、ゆめ〱いつはりなく、誠信を本とし、內省不疚の聖語、服膺致たき事に候。

現代語訳

何事によらず、自分の才能を鼻にかけて人の才能を妬むなどは、非常に卑しい心です。何事でも自分より先んじた者があれば、聞くことを恥じず、子どもにも問うべきで、また自分より後の者はよく世話をして引き立てるようにしなさい。家中に芸能などにすぐれた者が多く出てくるのは、主君のためです。それなのに文武にかぎらず、同流でも他流でも、上手な者を妬むなどは、主君に対して不忠なことではないでしょうか。自分の不遇を恨み、人の立身を羨み嫉むなどは、なおさら士にはあってはならないことです。私は不肖ながら士民の上に臨んでいる以上、家中の賢く有能な者を励まし、邪悪な者を懲らしたいと常々心を用いていますが、人を知ることの難しさは聖人も病まれたところで、なかなか行き届きかねますので、多数の家中には善をなして隠れている者もいるでしょうし、悪をなして逃れている者もいるでしょう。日夜苦心しておりますので、あなた方は私の心を推察し、正道を守り邪行を戒めてほしいと思います。それなのに、誰某は善行があっても上の賞を受けないから善をなしても無益だと思い、誰某は悪事があっても罰を受けないから悪をなしても言い訳が立つといい、一人や二人の処遇を見てたちまち心を動かして悪をなすような者は、わが家中にはいないはずです。何事によらず、定められた法度や父母師友の教戒を守るのは当然ですが、それまでもなく、大抵の人はこれは善、これは悪という区別がつくからこそ、悪いことは忍び隠れて行うのですから、まったく善悪の境が分からないとは言いがたく、多くは自分でも悪いと思い、人から注意されていることも知りながら行うのですから、求めて行うのと同じでしょう。隠れたものより顕れるものはないといいます。決して偽りなく、誠信を本とし、内に省みてやましくないという聖人の言葉を、肝に銘じたいものです。

解説

他人の才能への嫉妬を卑しい心とし、先んじた者には子どもにも問い、後に続く者は引き立てよと説きます。評価や処罰が必ずしも行き届かなくても、善悪をわきまえて行いを正すよう求めています。現代の職場でも、優秀な同僚への嫉妬や、あの人は評価されないのだから頑張っても無駄という冷めた気持ちが士気を下げます。管理職は、評価を公平で見えやすいものにする努力を続けると同時に、評価されなくても誠実に務める姿勢の価値を部下に伝えたいものです。

この章句が説くこと

告志篇徳川斉昭嫉妬を戒める人を引き立てる不問を恥じず公平な評価

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