智囊 / 通簡・萬觀・王敬則
萬觀知嚴州。七里瀧漁舟數百艘,晝漁夜竊,行旅患之。觀令十艘為一甲,各限以地,使自守。由是無復有警。〔馮述評〕能實行編甲之法,何處不可?敬則為吳興太守,郡舊多剽掠。敬則錄得一偷,召其親屬於前,鞭之數十,使之長掃街路。久之,乃令舉舊偷自代,諸偷恐為所識,皆逃走,境內以清。〔馮述評〕辱及親屬,親屬亦不能容偷矣。唯偷知偷,舉偷自代,勝用緝捕,人多多矣。
新字:万観知厳州。七里滝漁舟数百艘,昼漁夜窃,行旅患之。観令十艘為一甲,各限以地,使自守。由是無復有警。〔馮述評〕能実行編甲之法,何処不可?敬則為呉興太守,郡旧多剽掠。敬則録得一偸,召其親属於前,鞭之数十,使之長掃街路。久之,乃令舉旧偸自代,諸偸恐為所識,皆逃走,境内以清。〔馮述評〕辱及親属,親属亦不能容偸矣。唯偸知偸,舉偸自代,勝用緝捕,人多多矣。
書き下し
万観は厳州に知たり。七里瀧に漁舟数百艘あり、昼は漁し夜は竊み、行旅之を患う。観は十艘を一甲と為し、各々限るに地を以てし、自ら守らしむ。是れより復た警無し。〔馮述評〕能く編甲の法を実行すれば、何れの処にか不可ならん。敬則は呉興太守と為る。郡は旧と剽掠多し。敬則は一偸を録得し、其の親属を前に召し、之を鞭うつこと数十にして、長く街路を掃かしむ。久しくして、乃ち旧偸を挙げて自ら代えしむ。諸偸は為に識らるるを恐れ、皆な逃走し、境内以て清まる。〔馮述評〕辱は親属に及べば、親属も亦た偸を容るる能わず。唯だ偸のみ偸を知る。偸を挙げて自ら代えしむるは、緝捕を用うるに勝ること、人多多なり。
現代語訳
万観は厳州の知事であった。七里瀧には漁船が数百艘あり、昼は漁をして夜は盗みを働き、旅人はこれに悩まされていた。観は十艘を一組とし、それぞれ区域を限って、互いに守らせた。それ以来、再び騒ぎはなくなった。〔馮夢龍の評〕編甲の法をよく実行すれば、どこでもうまくいかないことがあろうか。王敬則は呉興太守であった。郡は以前から略奪が多かった。敬則は一人の盗人を捕らえ、その親族を目の前に呼び、鞭で数十回打たせ、盗人には長く街路を掃かせた。しばらくして、昔の盗人仲間を挙げて、自分の代わりに掃かせた。盗人たちは名指しされるのを恐れて、みな逃げ散り、領内は清まった。〔馮夢龍の評〕恥辱が親族に及べば、親族も盗人をかくまっておけなくなる。盗人のことは盗人がいちばんよく知っている。盗人を挙げさせて自分の代わりにするのは、役人に逮捕させるよりも、はるかに優れている。
解説
この章句が説くこと
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廟堂忠告・分謗第七夫れ共に署して事を聯(つら)ぬるに、一人努力して前まば、則ち餘の者は皆當に輔相して以て其の志を成すべし。苟くも彼前まば我卻き、彼行けば我止まり、動くに焉ぞ相隨わず、語るに焉ぞ相應ぜざれば、則ち事功の成る者、能く幾何ぞや。此れ古人推車同舟の喻え有る所以なり。其れ或いは舟を共にして以て濟るに、一人溺るれば、則ち凡そ舟に在る者、疏戚を論ぜず、宜しく力を并せて以て之を救うべし。此れ賢不肖の共に知る所なり。况んや同じく臣子為り、同じく天下國家の寄を受くる者、坐して一人の禍を被るを視て恤えざるべけんや。其れ一巳の私の為にして自ら伊(こ)の戚(うれい)を貽(のこ)すが如きは、固より恤うるに足らず。其れ或いは知りて言わざる無く、言いて盡さざる無く、公家の務め、一に大公至正を以て之に處すれば、彼、巳の為家の為にして罪を得るに非ず。則ち凡そ同官なる者、安んぞ身を挺んでて前み、之と難を共にせざるを淂んや。大拞一人不幸にして罪を得れば、長為る者は若しくは曰わん、「此れ我が罪なり」と。貳為る者も亦曰わん、「此れ我が罪なり」と。闔堂の人をして皆爭いて引きて己の罪と為さしめば、則ち彼の罪を獲る者、釋す能わずと雖も、亦必ずしも重論に至らず。古の敢えて諫爭する者は、其の遇のいまだ聽納せられざるに、「此の人を殺すよりは臣を殺すに若かず」と謂うに至る。尚お是くの如く解を求むるを為すに、其れ肯えて同官の冤抑を坐視して省みざらんや。嗚呼、謗を分ち咎を引く事、宰相為る者誠に能く今に力行せば、將に士大夫の名節愈々厲まし、民間の薄俗敦くすべきを見んとし、而して國家他日も亦其の仗義死節の士無きを患えざらん。一事の行、繫る所是くの如し、孰か任怨分謗を宰相の細行と謂わんや。
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『韓非子』制分第五十五過を告ぐる者は罪を免れて賞を受け、姦を失う(見逃すこと) 者は必ず誅せられて刑に連なる。此の如くなれば、則ち姦類發(あば)かる。
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『驢鞍橋』卷上然る間住持は檀那寺に参る度毎に、搆へて畜生に成りめさるゝなと是計り云ふべき也。亦御坊主に非行悪事あらば、檀那の過として過銭を出すべしと、急度申付くべき也。如是せば、住持威儀正く、師檀共に自ら成仏の道に達すべし。其上に亦御公儀より、寺目付と云ふ者を付け給ふ間、非行に於ては急度法度に行ふへしと相触れ、扨右の道理を寺方へも檀方へも、御公儀よりひしと仰付けられば、三宝の威光顕はれ国土明にして安楽世界と成るへき也。我若き時より仏法を以て国土を治むる事、胸に折籠めて居けるが、此畜生一つを以て治むる事を思出す也。是計りはよう思出したではをり無いか、世界の悪事は何事も愚癡より出づるなり。三毒の心と云ふも、我は愚癡一つと思ふ也。此道理御公儀へ申達し度、强う思へども時に逢はず、何と此中に用に立つる人あらんや、心元なし。御坊主達聞置いてくれめされよと也。
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『韓非子』難一第三十六郄子因りて曰く、「胡ぞ以て徇へざる」と。其の僕曰く、「曩には将に之を救はんとするにあらずや」と。郄子曰く、「吾敢て謗を分かたざらんや」と。或ひと曰く、郄子の言は、察せざる可からざるなり、謗を分かつに非ざるなり。韓子の斬る所や、若し罪人ならば、則ち救ふ可からず、罪人を救ふは、法の敗るる所以なり、法敗るれば則ち国乱る。若し罪人に非ざれば、則ち之に勧むるに徇ふるを以てす可からず、之に勧むるに徇ふるを以てするは、是れ不辜を重ぬるなり、不辜を重ぬるは、民の怨みを起こす所以の者なり、民怨めば則ち国危ふし。郄子の言は、危ふからざれば則ち乱る、察せざる可からざるなり。且つ韓子の斬る所若し罪人ならば、郄子奚ぞ分かたん。斬ること若し罪人に非ざれば、則ち已に之を斬れり、而して郄子乃ち至る、是れ韓子の謗已に成りて郄子且つ後れて至るなり。夫れ郄子の「以て徇へよ」と曰ふは、以て人を斬るの謗を分かつに足らずして、又徇ふるの謗を生ず。是れ子謗を分かつと言ふか。昔者紂炮烙を為る、崇侯・悪来又渉る者の脛を斬れと曰ふ、奚ぞ紂の謗を分かたん。且つ民の上に望むや甚だし、韓子得ざれば、且に郄子の之を得んことを望まんとす。今郄子俱に得ず、則ち民上に望みを絶たん。故に曰く、郄子の言は謗を分かつに非ず、謗を益すなり、と。且つ郄子の往きて罪を救ふや、韓子を以て非と為すなり。其の非と為す所以を道はずして、之に「以て徇へよ」と勧む、是れ韓子をして其の過を知らざらしむるなり。夫れ下は民をして望みを上に絶たしめ、又韓子をして其の失を知らざらしむ、吾未だ郄子の謗を分かつ所以の者を得ざるなり。桓公管仲の束縛を解きて之を相とす。管仲曰く、「臣寵有り、然り而して臣卑し」と。公曰く、「子をして高・国の上に立たしめん」と。管仲曰く、「臣貴し、然り而して臣貧し」と。公曰く、「子をして三帰の家を有たしめん」と。管仲曰く、「臣富めり、然り而して臣䟽し」と。是に於て立てて以て仲父と為す。
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『智囊』武案・李綱騎兵を以て両翼に出だし、追撃して以て勝を取る。其の布陣の法は、則ち每軍二千五百人、五分の一、凡そ五百人を以て将佐の衛兵及び輜重の属と為し、余の二千人を車八十乗と為す。方陣を布かんと欲すれば、面ごとに各々車二十乗を用い、車は相い聯ね、歩卒は其の間に彌縫す。前なる者は其の車敵に向い、後なる者は其の車倒行し、左右なる者は其の車順行す。賊、左右を攻めて後ろを掩えば、則ち攻むる所に随いて之に向う。前後左右、其の変は窮まり無かるべし。而して将佐の衛兵及び輜重の属は、皆な其の中に処る。方円曲直、地の便に随い、行けば則ち鱗次して以て陣と為し、止まれば則ち鉤聯して以て営と為す。必ずしも溝塹を開き営塁を築かず、最も簡便にして完固なり。〔先臣余子俊言う〕大同・宣府の地方は、地曠衍多く、車戦宜しと為す。器械・乾糧は、馬の駄するを煩わさず、有用の城を運び、不飼の馬を策す。辺批に二句、車の利を尽くす。
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『韓非子』難一第三十六主に術有らば、両用うるも患いと為らず。術無くんば、両用うれば則ち事を争いて外に市し、一なれば則ち専制す。
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