告志篇 / 友との交わりは誠信を失わない
朋友の交は、相互ひ打解睦じき中に敬を存し、忠孝文武を以勵し合、聊誠信を不失、一寸いたし候事にても、前後を考へ約束いたし、約束いたし候からは變がへし不申樣にいたし、人は曲を以來り候とも、我は直を以應じ、人の美事は人にも咄し、上にも達する樣にし、人の過失は人にも秘し、上には達せざる中に意見いたし候樣に心得可申候、今の風俗は目前にては可言事をも言はず、互ひに諂ひ笑ひなどして、婦女の如き交を敬と心得、或は心易立にすぎ、無禮無作法にて、匹夫下蔑の如き交を睦しきと心得、たま〱意見立する者も、誠心より發せずして、酒の上抔にて嘲弄半分に申述候故、却て爭論の端を開き候類も不少、平日の談話も飲食衣服の事にあらざれば、金錢利欲等の事にすぎず、上は下を慢、古役は新役を輕んじ、利を見て義を忘れ候弊風ゆゑ、甚しきに至ては、同役の中親類の內にも絕交する者あり、大義の已む事を得ざるに至ては、義絕する事もあるべけれども、多くは互に行屆ざる所より起り候事にて、敎戒にもならず、只家中の中惡敷成のみに候へば、常ゝ誠信を不失、義絕等之事起り不申樣致度候、誠信さへ不失候はゞ、他所人にても亦誠を以來るべし、まして家中之儀は生るゝより死する迄の朋友なれば、如何にも睦じく交るべき筈の事なり、人によりては、君にさへ能奉公すれば、親類朋友の中は、
新字:朋友の交は、相互ひ打解睦じき中に敬を存し、忠孝文武を以励し合、聊誠信を不失、一寸いたし候事にても、前後を考へ約束いたし、約束いたし候からは変がへし不申様にいたし、人は曲を以来り候とも、我は直を以応じ、人の美事は人にも咄し、上にも達する様にし、人の過失は人にも秘し、上には達せざる中に意見いたし候様に心得可申候、今の風俗は目前にては可言事をも言はず、互ひに諂ひ笑ひなどして、婦女の如き交を敬と心得、或は心易立にすぎ、無礼無作法にて、匹夫下蔑の如き交を睦しきと心得、たま〱意見立する者も、誠心より発せずして、酒の上抔にて嘲弄半分に申述候故、却て争論の端を開き候類も不少、平日の談話も飲食衣服の事にあらざれば、金銭利欲等の事にすぎず、上は下を慢、古役は新役を軽んじ、利を見て義を忘れ候弊風ゆゑ、甚しきに至ては、同役の中親類の内にも絶交する者あり、大義の已む事を得ざるに至ては、義絶する事もあるべけれども、多くは互に行届ざる所より起り候事にて、教戒にもならず、只家中の中悪敷成のみに候へば、常ゝ誠信を不失、義絶等之事起り不申様致度候、誠信さへ不失候はゞ、他所人にても亦誠を以来るべし、まして家中之儀は生るゝより死する迄の朋友なれば、如何にも睦じく交るべき筈の事なり、人によりては、君にさへ能奉公すれば、親類朋友の中は、
書き下し
朋友の交は、相互ひ打解睦じき中に敬を存し、忠孝文武を以勵し合、聊誠信を不失、一寸いたし候事にても、前後を考へ約束いたし、約束いたし候からは變がへし不申樣にいたし、人は曲を以來り候とも、我は直を以應じ、人の美事は人にも咄し、上にも達する樣にし、人の過失は人にも秘し、上には達せざる中に意見いたし候樣に心得可申候、今の風俗は目前にては可言事をも言はず、互ひに諂ひ笑ひなどして、婦女の如き交を敬と心得、或は心易立にすぎ、無禮無作法にて、匹夫下蔑の如き交を睦しきと心得、たま〱意見立する者も、誠心より發せずして、酒の上抔にて嘲弄半分に申述候故、却て爭論の端を開き候類も不少、平日の談話も飲食衣服の事にあらざれば、金錢利欲等の事にすぎず、上は下を慢、古役は新役を輕んじ、利を見て義を忘れ候弊風ゆゑ、甚しきに至ては、同役の中親類の內にも絕交する者あり、大義の已む事を得ざるに至ては、義絕する事もあるべけれども、多くは互に行屆ざる所より起り候事にて、敎戒にもならず、只家中の中惡敷成のみに候へば、常ゝ誠信を不失、義絕等之事起り不申樣致度候、誠信さへ不失候はゞ、他所人にても亦誠を以來るべし、まして家中之儀は生るゝより死する迄の朋友なれば、如何にも睦じく交るべき筈の事なり、人によりては、君にさへ能奉公すれば、親類朋友の中は、
現代語訳
友人との交わりは、互いに打ち解けて睦まじい中にも敬を保ち、忠孝文武で励まし合い、少しも誠信を失わず、ちょっとしたことでも前後を考えて約束し、約束したからには変えないようにし、人が曲をもって来ても私は直をもって応じ、人の美事は人にも話し、上にも伝わるようにし、人の過失は人にも秘し、上に知られないうちに意見するよう心得なさい。今の風俗は、面と向かって言うべきことを言わず、互いにへつらい笑い合うなどして、女性のような交わりを敬と心得、あるいは親しさが過ぎて無礼無作法で、匹夫下賤のような交わりを睦まじいと心得ています。たまたま意見する者も、誠心から出ずに、酒の上などで嘲弄半分に述べるため、かえって争論のきっかけを開く類も少なくありません。平日の談話も飲食衣服の事でなければ金銭利欲などの事に過ぎず、上は下を侮り、古参は新参を軽んじ、利を見て義を忘れる悪い風習のため、甚だしくは、同役の中、親類の内にも絶交する者がいます。大義のためやむを得ない場合は義絶することもあるでしょうが、多くは互いに行き届かないところから起こることで、教戒にもならず、ただ家中の仲が悪くなるだけですから、常々誠信を失わず、義絶などのことが起こらないようにしたいのです。誠信さえ失わなければ、他所の人でも誠をもって来るでしょう。ましてや家中は生まれてから死ぬまでの友ですから、どこまでも睦まじく交わるべきです。人によっては、君にさえよく奉公すれば、親類や友人の中は、
解説
この章句が説くこと
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『告志篇』・同役は睦み合い新参に隠さず伝える如何樣にてもかまはぬといふ者あるは大なる僻事なり、親類は不及申、家中互に睦しくするは即ち一つの奉公にて、我等に於ても忝存る所に候、扨又愚なる者にても、人の過を責は明にて、聰明成者にても己を怨するには暗く成候事に候へば、人の過を責る心にて己れの身を責、不正の筋無之樣いたし、若又世評を聞、善惡共に懇に告る者あらば、父師と同樣に心得、忝可思なり、人情美事は告やすく、過失は告がたく候間、聞者は聊拒む色なく、虛心にて眞實に取受、告る者は人のしらざる樣に其人へのみ異見いたし度事に候、たとひ常ゝ親友にあらざればとて、其人へは不告して、人と共に朋友の惡事をいひて席上の樂とする抔は、我家中にはあらぬ行なり、されば親類は不及申、同役にても過有之咎受候は、當人は勿論、同役迄の不念なり、又善事有之て賞美せらるゝは、當人は勿論、同役までの手柄なれば、何役にかぎらず、同役の儀は別て心を付、互に睦く善惡知せ合可申候、新規に同役に成候者抔へは、何事も無伏藏申聞指支無之、勤易き樣にすべし、古役なりとて權を取、新役をなぶり、又は新役へ費をかけて樂み、或は勤向委細に不傳して、其者に不働をさせて笑ふ抔は、其者の指支のみならず、主君の用も辨ぜざる事なり、箇樣にいやしくきたなき心は、たとひ主君はまづ其まゝ見すみ置候とも、能ゝ考へなば、獨心に恥ざらんや、愼むべき事なり、
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『告志篇』・人の才を妬まず誠信を本とする何事によらず、己れの能を挾みて、人の能を妬み抔するは、いといやしき心なり、何事にても我より先なる者あらば聽ことを恥ず、子供にも問べく、又我より後なるものをば能世話いたし引立候樣にすべし、家中に藝能等すぐれたる者多く出來候は、主君の爲なり、然るに文武に限らず、同流にても他流にても、上手の者を妬み抔するは、主君へ對し不忠なる事ならずや、己れの不遇を恨、人の立身を羨み嫉む抔は、猶更士には有間敷事なり、我等乍不肖、士民の上に臨み居候上は、家中の賢能を勸め、邪慝を懲しめ申度、常ゝ心を用ゐ候得ども、知人の難きは、聖人の病給ふ所にて、中々行屆兼候間、餘多の家中には善をなしてかくれ居候も可有之、又惡をなしてのがれ居候も可有之、日夜致苦心候處、面々に於ては我等の心を推察いたし、正道を守り邪行を戒め候樣致度事に候、然るに誰某は善行あれども上の賞にも預らねば、善をなすも無益なりと思ひ、誰某は惡事あれども罰も蒙らねば、惡をなし候ても申譯ありといひ、一人や二人の進退を見て忽に心を動し、惡をなし候樣なる者は、我家中にはあるまじく候、何事によらず、定置所の法度、又は父母師友の敎戒を守るは勿論に候へども、夫迄にも無之、大抵の人は是は善是は惡と申儀分ればこそ、惡き事は忍び隱れて行ひ候へば、一向善惡の境不相辨とは申がたく、多分は己れも惡敷と存じ、人よりも心を付られ候をも知つゝ行ひ候事に候へば、求て行ひ候も同樣なるべし、かくれたるより顯るはなしといへり、ゆめ〱いつはりなく、誠信を本とし、內省不疚の聖語、服膺致たき事に候。
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『告志篇』・文武の枝葉に流れず本旨を守る太平の久しき、風俗浮華に赴き、文武ともに衰弊し、講釋等辯舌よく申述、詩文等達者に取廻し候を、文道と心得、弓馬槍刀等見事に取廻し候を、武道と心得候樣成行候處、是は文武の枝葉にて文武の本旨とはいふべからず候、然るに文武の枝葉さへ心懸候者少くして、無學文盲、人の人たる道をもしらず、柔弱游惰にて、士たるわけをも忘るゝ類あるは誠にあさましきことならずや、近來又一種の弊風を生じて、われは學問をも勤ずして、人の論を勸說し、武藝は勵ずして、身形刀劔をいかめしくし、或は孝悌忠信の道をば指置て、權謀術數を旨とし、人物の評論政事の批判等に日を費し、身を脩め家を齊る事に至りてはこれを度外に置候類、以の外なる風儀なきにしもあらず、君子欲訥於言而敏於行とさへ承候に、如此行跡は、抑如何なる心ぞや、是皆眞實の心薄くして、己を省るの心なきゆゑなるべし、仍ては正心誠意の學を本とし、恭敬の義を取失はず、武藝の義も表を飾るの意を止て、沈勇を尙び、篤實律義の士と成候樣可心懸候、古語にも、人各有能有不能といひ、又大臣小臣の差別も有事なれば、藝能に至りては家中一樣にせよといふにはあらず、經說史子の學をはじめ、射御書數の類に至る迄志し候て、必これを學び學び候はゞ、必これを遂候樣心懸、ともに國家の用に立候樣可致候、集て是を大成し、これを國家の用に供せば其益亦廣大ならずや、しかるに前ゝにも述る通り、我慢の心より面々の業をば勤ずして、空論の上にて、彼弊矯ん此弊を除んとせば、一弊を除けば一弊を生る道理なれば、申迄は無之候へども、指南の者は勿論、壯年脩業のものは心を用ゐて、とかく正心誠意の道を目當と可致事に候、
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『講孟余話』公孫丑下 第十二章今世の君に事ふるは暫く論ぜず、請ふ朋友に交はる所以を論ぜん。朋友相交はるは善道を以て忠告すること固なり。而して朋友中不幸にして狂悖なる者あらば、反復誨諭すべし。必ず已むを得ざるに至りては或は交はりをも絶つべし。而して其の間仮令優柔不断に似たれども、敢へて是れを匆々急遽にせず、宜しく三宿して昼を出づるの意あるべし。況や交はり既に絶ゆるに至りて、悪声を出すことあらんや。今世朋友に交はる者、善道を以て忠告する者少なし、其の過悪を戒諭する者最も少なし。若し或は私忿に因りて交はりを絶つに至りては、譬へば「悻々然として其の面に見はれ、去れば則ち日の力を窮めて而る後に宿る」と云ふ如く、且つ怒り且つ罵り、毫も生平の交態を存せず、甚しきは仇敵を以て是れを視るに至る者、往々然り、其の薄情極まれり。少しく孟子の風を学びて、忠厚の途に向はせ度きことなり。夫れ孟子の和気と、今人の薄情と、其の起る所何事ぞと尋ぬるに、物を愛するの心と、己を衒ふの心と、其の途を異にするに由るなり。然らば有志の士、物を愛するを以て心とし、切に己を衒ふの念を禁遏すべし。
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『童子問』卷中問ふ、朋友信有り。信とは、有るを有りと為し無きを無しと為し、多きを多しと謂ひ寡なきを寡なしと謂ひて、少しも欺詐せざるの類を謂ふか。曰く、否。信は実なり。能く其の言を践みて之を失はざるの謂なり。若し約して兄弟と為れば、則ち終身兄弟を以て之を待つ。一旦朋友の義有れば、則ち之を守ること初めの如く、始終変ぜざる、正に之を朋友信有りと謂ふ。但だ一言の実有るを言ふのみに非ざるなり。語に曰く、久要平生の言を忘れずと。是れなり。若し大故有りて、已むを得ずして後に之を絶つは、君子と雖も免れざる所なり。苟も小過を尤め小忿を逞しくし、一旦の怒りに因りて、平生の交はりを棄つれば、仮令理有りとも、忠厚の道に非ず。君子は為さざるなり。朋友の間は、己を謙りて相下り、善を揚げ悪を隠し、小過を赦し小忿を懲らし、始終交はりを全うして、斯れ可なり。
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『告志篇』・頭と支配が礼を尽くし情を通わせる支配の人は君の人に候得ば大切に存じ世話いたし、惡敝事有之候はゞ、我等より咎不申付内に改めさせ候樣、頭職の者は心得、扨又頭職の者は我等より申付候人々に候得ば、如何にも禮敬を盡し、諸事指圖を受、ゆめ〱疎忽のふるまひ無之樣、支配は心得可申候、今太平なればこそ頭支配の情も薄く成行たる事なれ、萬一事あらん時は、頭は組子の助けを得、組子は頭の下知に從ひ、死生存亡をも共にいたし候者に候得ば、常ゝ支配の才能をも知、又頭の氣質をも知、連屬一致の心得無之候ては不叶事に候所、頭は支配をいやしめ、容易に言葉をもかけざるを尊きと心得、支配は頭の前に出ては寒暑をものべえず、又は頭を當座ものと心得、己れの無理にも不心付、疎忽無禮の振舞いたし候類もなきにあらず、かくの如くにては、一旦事あらば却て道路の人にもおとるべし、それ下情は上に通じがたく、卑きは尊きに押されやすき事、世の常に候へば、支配の情をば能ゝ察し、存寄等も有之候はゞ十分に爲申述、理ある事は喜んで取受、己れの過を改る事少しも恥べきにあらず、申分不宜候はゞ、よく〱理を以申含候はゞ、何ぞ心服せざらん、然るを理非に不拘、頭の威を以押付けんとせば、いよ〱支配の心を激するのみならず、つまる所我等の不爲ともなるべく候間、頭は不及申、組頭等迄得と心得可申候、扨又支配の身となりては、たとひ己れ理ありと思ふとも、まづ幾重にも其身を省み、いよ〱難默止事は幾重にも穩に致演述、頭に勝んと思はず、たゞ理を達する心得にて可申述候、然るを頭も無理なりとて己れも無理を申立候ては、長上をしのぎ犯し候だけは、己れの無理多く相成不相濟事に候、頭支配の差別こそあれ、我等より見る時は同じく是家中の事に候得ば、ともに國の爲を思ひ、頭は支配を愛し、支配は頭を敬し、尊卑の禮ありて上下の情通じ、相互一致して不虞の用に備候樣、くれ〱心懸度事に候、

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