韓非子 / 難一第三十六
郄子因曰:「胡不以徇?」其僕曰:「曩不將救之乎?」郄子曰:「吾敢不分謗乎?」或曰:郄子言,不可不察也,非分謗也。韓子之所斬也,若罪人,則不可救,救罪人,法之所以敗也,法敗則國亂;若非罪人,則不可勸之以徇,勸之以徇,是重不辜也,重不辜,民所以起怨者也,民怨則國危。郄子之言,非危則亂,不可不察也。且韓子之所斬若罪人,郄子奚分焉?斬若非罪人,則已斬之矣,而郄子乃至,是韓子之謗已成而郄子且後至也。夫郄子曰「以徇」,不足以分斬人之謗,而又生徇之謗。是子言分謗也?昔者紂爲炮烙,崇侯、惡來又曰斬涉者之脛也,奚分於紂之謗?且民之望於上也甚矣,韓子弗得,且望郄子之得之也;今郄子俱弗得,則民絶望於上矣。故曰:郄子之言非分謗也,益謗也。且郄子之往救罪也,以韓子爲非也;不道其所以爲非,而勸之「以徇」,是使韓子不知其過也。夫下使民望絶於上,又使韓子不知其失,吾未得郄子之所以分謗者也。桓公解管仲之束縛而相之。管仲曰:「臣有寵矣,然而臣卑。」公曰:「使子立高、國之上。」管仲曰:「臣貴矣,然而臣貧。」公曰:「使子有三歸之家。」管仲曰:「臣富矣,然而臣䟽。」於是立以爲仲父。
新字:郄子因曰:「胡不以徇?」其僕曰:「曩不将救之乎?」郄子曰:「吾敢不分謗乎?」或曰:郄子言,不可不察也,非分謗也。韓子之所斬也,若罪人,則不可救,救罪人,法之所以敗也,法敗則国乱;若非罪人,則不可勧之以徇,勧之以徇,是重不辜也,重不辜,民所以起怨者也,民怨則国危。郄子之言,非危則乱,不可不察也。且韓子之所斬若罪人,郄子奚分焉?斬若非罪人,則已斬之矣,而郄子乃至,是韓子之謗已成而郄子且後至也。夫郄子曰「以徇」,不足以分斬人之謗,而又生徇之謗。是子言分謗也?昔者紂為炮烙,崇侯、悪来又曰斬渉者之脛也,奚分於紂之謗?且民之望於上也甚矣,韓子弗得,且望郄子之得之也;今郄子倶弗得,則民絶望於上矣。故曰:郄子之言非分謗也,益謗也。且郄子之往救罪也,以韓子為非也;不道其所以為非,而勧之「以徇」,是使韓子不知其過也。夫下使民望絶於上,又使韓子不知其失,吾未得郄子之所以分謗者也。桓公解管仲之束縛而相之。管仲曰:「臣有寵矣,然而臣卑。」公曰:「使子立高、国之上。」管仲曰:「臣貴矣,然而臣貧。」公曰:「使子有三帰之家。」管仲曰:「臣富矣,然而臣䟽。」於是立以為仲父。
書き下し
郄子因りて曰く、「胡ぞ以て徇へざる」と。其の僕曰く、「曩には将に之を救はんとするにあらずや」と。郄子曰く、「吾敢て謗を分かたざらんや」と。或ひと曰く、郄子の言は、察せざる可からざるなり、謗を分かつに非ざるなり。韓子の斬る所や、若し罪人ならば、則ち救ふ可からず、罪人を救ふは、法の敗るる所以なり、法敗るれば則ち国乱る。若し罪人に非ざれば、則ち之に勧むるに徇ふるを以てす可からず、之に勧むるに徇ふるを以てするは、是れ不辜を重ぬるなり、不辜を重ぬるは、民の怨みを起こす所以の者なり、民怨めば則ち国危ふし。郄子の言は、危ふからざれば則ち乱る、察せざる可からざるなり。且つ韓子の斬る所若し罪人ならば、郄子奚ぞ分かたん。斬ること若し罪人に非ざれば、則ち已に之を斬れり、而して郄子乃ち至る、是れ韓子の謗已に成りて郄子且つ後れて至るなり。夫れ郄子の「以て徇へよ」と曰ふは、以て人を斬るの謗を分かつに足らずして、又徇ふるの謗を生ず。是れ子謗を分かつと言ふか。昔者紂炮烙を為る、崇侯・悪来又渉る者の脛を斬れと曰ふ、奚ぞ紂の謗を分かたん。且つ民の上に望むや甚だし、韓子得ざれば、且に郄子の之を得んことを望まんとす。今郄子俱に得ず、則ち民上に望みを絶たん。故に曰く、郄子の言は謗を分かつに非ず、謗を益すなり、と。且つ郄子の往きて罪を救ふや、韓子を以て非と為すなり。其の非と為す所以を道はずして、之に「以て徇へよ」と勧む、是れ韓子をして其の過を知らざらしむるなり。夫れ下は民をして望みを上に絶たしめ、又韓子をして其の失を知らざらしむ、吾未だ郄子の謗を分かつ所以の者を得ざるなり。桓公管仲の束縛を解きて之を相とす。管仲曰く、「臣寵有り、然り而して臣卑し」と。公曰く、「子をして高・国の上に立たしめん」と。管仲曰く、「臣貴し、然り而して臣貧し」と。公曰く、「子をして三帰の家を有たしめん」と。管仲曰く、「臣富めり、然り而して臣䟽し」と。是に於て立てて以て仲父と為す。
現代語訳
そこで郄献子は「なぜ(その死体を)さらして見せしめにしないのか」と言った。郄献子の御者が「先ほどは救おうとなさっていたのではありませんか」と言うと、郄献子は「私が(韓献子と)謗りを分かち合わないでいられようか」と言った。ある人が言う。郄献子の言葉はよく考えてみなければならない。これは謗りを分かち合うことにはならない。韓献子が斬った者がもし罪人なら、救ってはならない。罪人を救うのは法が崩れる原因であり、法が崩れれば国が乱れる。もし罪人でなければ、さらして見せしめにせよと勧めてはならない。見せしめを勧めるのは無実の者に重ねて罪を加えることであり、無実の者に重ねて罪を加えるのは民の怨みを招くもとであり、民が怨めば国は危うくなる。郄献子の言葉は、国を危うくしなければ乱れさせるものであり、よく考えてみなければならない。しかも韓献子が斬ったのがもし罪人なら、郄献子が分かち合う謗りなどない。もし罪人でなかったなら、すでに斬ってしまった後に郄献子が着いたのだから、韓献子への謗りはすでに生じており、郄献子は遅れて来たのである。郄献子が「さらして見せしめにせよ」と言ったのは、人を斬ったという謗りを分かち合うには足りず、さらに見せしめにしたという謗りを生むだけである。これで謗りを分かち合ったといえようか。昔、殷の紂王が炮烙の刑を作ると、崇侯や悪来はさらに川を渡る者の脛を斬れと言ったが、それでどうして紂王の謗りを分かち合えたであろうか。しかも民が上に期待する気持ちはたいへん強く、韓献子に正しさを得られなければ、郄献子に得られることを期待する。いま郄献子もそれを得させなければ、民は上への期待を絶つであろう。だから郄献子の言葉は謗りを分かち合うのではなく、謗りを増すものだというのである。しかも郄献子が罪人を救いに行ったのは、韓献子が間違っていると思ったからである。その間違っている理由を言わずに「さらして見せしめにせよ」と勧めたのは、韓献子に自分の過ちを知らせないことになる。下では民に上への期待を絶たせ、さらに韓献子に自分の過ちを知らせない。私には郄献子がどのように謗りを分かち合ったのか分からない。斉の桓公は管仲の縄を解いて宰相にした。管仲は言った。「私は寵愛を受けましたが、身分が低いのです」。桓公は「あなたを高氏・国氏(斉の世襲の上卿)の上に立たせよう」と言った。管仲は言った。「私は身分が高くなりましたが、貧しいのです」。桓公は「あなたに三帰の家を持たせよう」と言った。管仲は言った。「私は富みましたが、君とは疎遠です」。そこで桓公は管仲を仲父として立てた。
解説
関連する章句
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『韓非子』難一第三十六霄略曰く、「管仲賤を以て貴を治む可からずと為す、故に高・国の上を請ふ。貧を以て富を治む可からずと為す、故に三帰を請ふ。䟽を以て親を治む可からずと為す、故に仲父に処る。管仲は貪るに非ず、以て治に便するなり」と。或ひと曰く、今臧獲をして君令を奉じて卿相に詔げしむれば、敢て聴かざる莫し、卿相卑しくして臧獲尊きに非ざるなり、主令の加はる所、敢て従はざる莫きなり。今管仲の治をして桓公に縁らざらしめば、是れ君無きなり、国君無ければ以て治を為す可からず。若し桓公の威を負ひ、桓公の令を下さば、是れ臧獲の信ぜらるる所以なり、奚ぞ高・国・仲父の尊きを待ちて後に行はれんや。当世の事を行ひ、都丞の徴令を下す者は、尊貴を辟けず、卑賤に就かず。故に之を行ひて法ならば、巷伯と雖も卿相に信ぜらる。之を行ひて法に非ざれば、大吏と雖も民萌に詘す。今管仲尊主明法を務めずして、寵を増し爵を益すを事とす、是れ管仲富貴を貪欲するに非ざれば、必ず闇くして術を知らざるなり。故に曰く、管仲に失行有り、霄略に過誉有り、と。韓の宣王樛留に問ふ、「吾公仲・公叔を両用せんと欲す、其れ可ならんか」と。樛留対へて曰く、「昔魏は楼・翟を両用して西河を亡ひ、楚は昭・景を両用して鄢・郢を亡ふ。今君公仲・公叔を両用せば、此れ必ず将に事を争ひて外に市せんとす、則ち国必ず憂へん」と。或ひと曰く、昔者斉の桓公管仲・鮑叔を両用し、成湯伊尹・仲虺を両用す。夫れ臣を両用するは国の憂ひならば、則ち是れ桓公は霸たらず、成湯は王たらざるなり。湣王一たび淖歯を用ひて、身東廟に死し、主父一たび李兌を用ひて、食を減ぜられて死す。
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『韓非子』難一第三十六師曠の行も亦明らかにす可からざるなり、姦臣をして極諫を襲ひて弑君の道を飾らしむ。両つながら明らかなりと謂ふ可からず、此れ両つながら過つと為す。故に曰く、平公は君道を失ひ、師曠も亦臣礼を失ふ、と。斉の桓公の時、処士有り小臣稷と曰ふ、桓公三たび往けども見ゆるを得ず。桓公曰く、「吾聞く、布衣の士は爵禄を軽んぜざれば、以て万乗の主を易る無し。万乗の主は仁義を好まざれば、亦以て布衣の士に下る無し」と。是に於て五たび往きて乃ち之に見ゆるを得たり。或ひと曰く、桓公は仁義を知らず。夫れ仁義なる者は、天下の害を憂へ、一国の患に趨き、卑辱を避けざる、之を仁義と謂ふ。故に伊尹は中国を以て乱と為し、宰と為るを道として湯に干め、百里奚は秦を以て乱と為し、虜と為るを道として穆公に干む、皆天下の害を憂へ、一国の患に趨き、卑辱を辞せず、故に之を仁義と謂ふ。今桓公万乗の勢を以て、匹夫の士に下り、将に斉国を憂へんと欲す、而るに小臣行はず、小臣の民を忘るるを見るなり。民を忘るるは仁義と謂ふ可からず。仁義なる者は、人臣の礼を失はず、君臣の位を敗らざる者なり。是の故に四封の内、禽を執りて朝するを名づけて臣と曰ひ、臣吏職を分かち事を受くるを名づけて萌と曰ふ。今小臣民萌の衆に在りて、君上の欲に逆らふ、故に仁義と謂ふ可からず。仁義在らず、桓公又従ひて之を礼す。小臣をして智能有りて桓公を遁れしめば、是れ隠なり、宜しく刑すべし。若し智能無くして虚しく驕りて桓公に矜らば、是れ誣なり、宜しく戮すべし。小臣の行は、刑に非ざれば則ち戮なり。桓公臣主の理を領する能はずして刑戮の人を礼す、是れ桓公上を軽んじ君を侮るの俗を以て斉国に教ふるなり、治を為す所以に非ざるなり。故に曰く、桓公は仁義を知らず、と。靡笄の役、韓献子将に人を斬らんとす。郄献子之を聞き、駕して往きて之を救はんとす。至る比ほひ、則ち已に之を斬れり。
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『韓非子』難一第三十六将に天下を治めんとするに、庸主の易しとする所を釈てて、堯・舜の難しとする所を道ふは、未だ与に政を為す可からざるなり」と。管仲病有り、桓公往きて之を問ひて、曰く、「仲父病む、不幸にして大命に卒せば、将に奚を以て寡人に告げんとする」と。管仲曰く、「君の言微かりせば、臣故より将に之を謁せんとす。願はくは君竪刁を去り、易牙を除き、衛の公子開方を遠ざけよ。易牙は君の為に味を主る、君惟だ人肉のみ未だ嘗めず、易牙其の子の首を烝して之を進む。夫れ人情其の子を愛せざる莫し、今其の子を愛せず、安んぞ能く君を愛せん。君妬みて内を好む、竪刁自ら宮して以て内を治む。人情其の身を愛せざる莫し、身すら且つ愛せず、安んぞ能く君を愛せん。開方君に事ふること十五年、斉・衛の間は数日の行を容れず、其の母を弃て、久しく宦して帰らず、其の母すら愛せず、安んぞ能く君を愛せん。臣之を聞く、『矜偽は長からず、蓋虚は久しからず』と。願はくは君此の三子なる者を去れ」と。管仲卒に死す、桓公行はず。桓公死するに及び、蟲戸を出づるも葬られず。或ひと曰く、管仲の桓公に告ぐる所以の者は、度有る者の言に非ざるなり。竪刁・易牙を去る所以の者は、其の身を愛せずして、君の欲に適ふを以てなり。曰く、「其の身を愛せず、安んぞ能く君を愛せん」と。然らば則ち臣に死力を尽くして以て其の主の為にする者有らば、管仲将に用ひざらんとするなり。曰く、「其の死力を愛せず、安んぞ能く君を愛せん」と。是れ君をして忠臣を去らしめんと欲するなり。且つ其の身を愛せざるを以て其の君を愛せざるを度るは、是れ将に管仲の公子糾に死する能はざるを以て其の桓公に死せざるを度らんとするなり、是れ管仲も亦去る所の域に在り。明主の道は然らず、民の欲する所を設けて以て其の功を求む、故に爵禄を為りて以て之を勧む。民の悪む所を設けて以て其の姦を禁ず、故に刑罰を為りて以て之を威す。慶賞信にして刑罰必なり、故に君功を臣に挙げて姦上に用ひられず、竪刁有りと雖も、其れ君を奈何せん。
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『韓非子』難二第三十七斉の桓公酒を飲みて酔ひ、其の冠を遺る、之を恥ぢて、三日朝せず。管仲曰く、「此れ有国の恥なり、公胡ぞ其れ之を雪ぐに政を以てせざる」と。公曰く、「胡ぞ其れ善きや」と。因りて倉囷を発して貧窮に賜ひ、囹圄を論じて薄罪を出だす。処ること三日にして民之を歌ひて曰く、「公胡ぞ復た冠を遺れざる」と。或ひと曰く、管仲は桓公の恥を小人に雪ぎて、桓公の恥を君子に生ず。桓公をして倉囷を発して貧窮に賜ひ、囹圄を論じて薄罪を出ださしむるは、義に非ざるなり、以て恥を雪ぐ可からず。
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『韓非子』難三第三十八且つ此れ亡王の俗、取・魯の民の自ら美とする所以にして、穆公独り之を貴ぶ、亦倒ならずや。文公出亡す。献公、寺人披をして之を蒲城に功めしむ。披、其の袪を斬る。文公、翟に奔る。恵公位に即き、又之を恵竇に功めしむるも、得ざるなり。文公国に反るに及び、披見えんことを求む。公曰く、「蒲城の役、君一宿を令するに、汝即ち至る。恵竇の難、君三宿を令するに、汝一宿す。何ぞ其れ速やかなるや。」披対へて曰く、「君令は二ならず。君の悪を除くには、惟だ堪へざるを恐る。蒲人・翟人、余に何か有らん。今公位に即く、其れ蒲・翟無からんや。且つ桓公は射鉤を置きて管仲を相とす。」君乃ち之に見ゆ。或ひと曰く、斉・晋の祀を絶つは、亦宜ならずや。
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『韓非子』十過第十斉・衛の間は十日の行に過ぎず、開方君に事ふるが為に、君に適はんと欲するの故に、十五年帰りて其の父母に見えず、此れ人情に非ざるなり。其の父母を之れ親しまざるに、又能く君を親しまんや」と。公曰く、「然らば則ち易牙は何如」と。管仲曰く、「不可なり。夫れ易牙は君の為に味を主る、君の未だ嘗て食はざる所は唯だ人肉のみ、易牙其の子の首を蒸して之を進む、君の知る所なり。人の情は其の子を愛せざるは莫し、今其の子を蒸して以て君に膳を為す、其の子を愛せず、又安んぞ能く君を愛せんや」と。公曰く、「然らば則ち孰か可なる」と。管仲曰く、「隰朋可なり。其の人と為りや、中を堅くして外に廉、欲少なくして信多し。夫れ中を堅くすれば、則ち以て表と為すに足り、外に廉なれば、則ち以て大任すべく、欲少なければ、則ち能く其の衆に臨み、信多ければ、則ち能く隣国に親しむ。此れ覇者の佐なり、君其れ之を用ゐよ」と。君曰く、「諾」と。居ること一年余にして、管仲死し、君遂に隰朋を用ゐずして豎刁に与す。刁事に莅むこと三年、桓公南のかた堂阜に遊び、豎刁易牙・衛の公子開方及び大臣を率ゐて乱を為す。桓公渇餒して南門の寝・公守の室に死し、身死して三月収められず、虫戸より出づ。故に桓公の兵天下に横行し、五伯の長と為るも、卒に其の臣に弑せられて、高名を滅ぼし、天下の笑ひと為る者は、何ぞや。管仲を用ゐざるの過ちなり。故に曰く、過ちて忠臣に聴かず、独り其の意を行へば、則ち其の高名を滅ぼして人の笑ひと為るの始めなり。奚をか内に力を量らずと謂ふ。昔者秦の宜陽を攻むるや、韓氏急なり。公仲朋韓君に謂ひて曰く、「与国は恃むべからざるなり、豈に張儀に因りて和を秦に為すに如かんや。因りて賂ふに名都を以てして南のかた与に楚を伐たば、是れ患ひ秦に解けて害楚に交はるなり」と。公曰く、「善し」と。乃ち公仲の行を警し、将に西のかた秦と和せんとす。