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告志篇 / 学問なき勇は士にあらず

戰陣に臨みて勝敗を明らめ、生死を決し義理を分つ、學問にあらずしてそも〱また孰ぞや、然るに當世無學の士、是非黑白のわかちもなく、士は武藝を事として死べき塲にあらでも死す、學問は書生の事也、するにたらず學にたらず、せざるのみにあらず、又したがつてこれをそしる、是皆生を愛み死を畏るゝ者の言葉、士とするにたらざるべし、士たらんもの死は分内の事なり、只義に處するをもて難しとす、されば己れ死すべき塲なりとおもへる、かへつて死すまじき所にや、山賊强盜のたぐひ、死を見ること歸するがごとし、もし命を愛まぬをのみ士といはゞ、これらの人も士なるべし、かの禽獸すら鬪に臨んで命をかへりみず、もしよく鬪ひよく死するを以て士とせば、鷄犬のたぐひも士なるべしや、云々との給へり、其外 公には甚く文學の御世話ありける事、各も奉承知候事にて、申迄も無之間、能ゝ文武の一致なる儀を辨へ、兎に角に、修行專一に心懸、何事を學ぶとも、年月を賴まず、學んと志さば速に學ぶべし、勤向繁多、家事繁多と、一ゝ數へ立てゝいへば、ひまなきが如くなれども、己れの好む事するひまはある事なれば、好みさへすれば何事にても大方出來ぬといふはある間敷なり、何程勇力ありても、習はぬ武藝はする事あたはざるが如く、何程才氣ありても、生れのまゝにて學問せざれば、古今にくらきゆゑ、よき了簡分別も出申間敷候、南蠻鐵も數度の鍛を得て、名刀の名を得、白玉も磨瑳の數を經て、夜光の名は得る事なれば、生れのまゝにさし置かず、文武とも、壯年の者は猶更精を勵み候樣に致度候、

新字:戦陣に臨みて勝敗を明らめ、生死を決し義理を分つ、学問にあらずしてそも〱また孰ぞや、然るに当世無学の士、是非黒白のわかちもなく、士は武芸を事として死べき塲にあらでも死す、学問は書生の事也、するにたらず学にたらず、せざるのみにあらず、又したがつてこれをそしる、是皆生を愛み死を畏るゝ者の言葉、士とするにたらざるべし、士たらんもの死は分内の事なり、只義に処するをもて難しとす、されば己れ死すべき塲なりとおもへる、かへつて死すまじき所にや、山賊強盗のたぐひ、死を見ること帰するがごとし、もし命を愛まぬをのみ士といはゞ、これらの人も士なるべし、かの禽獣すら闘に臨んで命をかへりみず、もしよく闘ひよく死するを以て士とせば、鶏犬のたぐひも士なるべしや、云々との給へり、其外 公には甚く文学の御世話ありける事、各も奉承知候事にて、申迄も無之間、能ゝ文武の一致なる儀を弁へ、兎に角に、修行専一に心懸、何事を学ぶとも、年月を頼まず、学んと志さば速に学ぶべし、勤向繁多、家事繁多と、一ゝ数へ立てゝいへば、ひまなきが如くなれども、己れの好む事するひまはある事なれば、好みさへすれば何事にても大方出来ぬといふはある間敷なり、何程勇力ありても、習はぬ武芸はする事あたはざるが如く、何程才気ありても、生れのまゝにて学問せざれば、古今にくらきゆゑ、よき了簡分別も出申間敷候、南蠻鉄も数度の鍛を得て、名刀の名を得、白玉も磨瑳の数を経て、夜光の名は得る事なれば、生れのまゝにさし置かず、文武とも、壮年の者は猶更精を励み候様に致度候、

書き下し

戰陣に臨みて勝敗を明らめ、生死を決し義理を分つ、學問にあらずしてそも〱また孰ぞや、然るに當世無學の士、是非黑白のわかちもなく、士は武藝を事として死べき塲にあらでも死す、學問は書生の事也、するにたらず學にたらず、せざるのみにあらず、又したがつてこれをそしる、是皆生を愛み死を畏るゝ者の言葉、士とするにたらざるべし、士たらんもの死は分内の事なり、只義に處するをもて難しとす、されば己れ死すべき塲なりとおもへる、かへつて死すまじき所にや、山賊强盜のたぐひ、死を見ること歸するがごとし、もし命を愛まぬをのみ士といはゞ、これらの人も士なるべし、かの禽獸すら鬪に臨んで命をかへりみず、もしよく鬪ひよく死するを以て士とせば、鷄犬のたぐひも士なるべしや、云々との給へり、其外 公には甚く文學の御世話ありける事、各も奉承知候事にて、申迄も無之間、能ゝ文武の一致なる儀を辨へ、兎に角に、修行專一に心懸、何事を學ぶとも、年月を賴まず、學んと志さば速に學ぶべし、勤向繁多、家事繁多と、一ゝ數へ立てゝいへば、ひまなきが如くなれども、己れの好む事するひまはある事なれば、好みさへすれば何事にても大方出來ぬといふはある間敷なり、何程勇力ありても、習はぬ武藝はする事あたはざるが如く、何程才氣ありても、生れのまゝにて學問せざれば、古今にくらきゆゑ、よき了簡分別も出申間敷候、南蠻鐵も數度の鍛を得て、名刀の名を得、白玉も磨瑳の數を經て、夜光の名は得る事なれば、生れのまゝにさし置かず、文武とも、壯年の者は猶更精を勵み候樣に致度候、

現代語訳

戦陣に臨んで勝敗を明らかにし、生死を決め義理を分けるのは、学問でなくてそもそも何でしょうか、とおっしゃっています。ところが今の世の無学の士は、是非黒白の区別もなく、士は武芸を事とするもので死ぬべき場でもないのに死ぬ、学問は書生のすることで、するに足りず学ぶに足りないと言い、しないだけでなく、さらにそれをそしります。これはみな生を惜しみ死を恐れる者の言葉で、士とするに足りません。士たる者にとって死は本分の内のことです。ただ義に処することが難しいのです。ですから自分が死ぬべき場だと思っているところが、かえって死ぬべきでないところではないでしょうか。山賊強盗の類は、死を見ること帰るがごとくです。もし命を惜しまぬ者だけを士というなら、こういう人たちも士でしょう。鳥獣すら闘いに臨んで命をかえりみません。もしよく闘いよく死ぬ者を士とするなら、鶏や犬の類も士でしょうか、云々とおっしゃいました。そのほか、公におかれては学問の世話を非常にされたことは、あなた方も承知のことで、言うまでもありませんので、よく文武が一致していることをわきまえ、ともかく修行を第一に心がけ、何を学ぶにも、年月を当てにせず、学ぼうと志すなら速やかに学ぶべきです。勤めが忙しい、家事が忙しいと一つ一つ数え立てれば暇がないようですが、自分の好むことをする暇はあるのですから、好きでさえあれば大方のことができないということはないでしょう。どれほど勇力があっても習わない武芸はできないように、どれほど才気があっても生まれつきのままで学問をしなければ、古今に暗いために、よい思案も分別も出ないでしょう。南蛮鉄も数度の鍛えを経て名刀の名を得、白玉も磨きの回数を経て夜光の名を得るのですから、生まれつきのままにしておかず、文武とも、壮年の者はなおさら精を出して励むようにさせたいものです。

解説

学問を欠いた勇気は、是非を見分けられず、義に処することもできないと戒める章句です。死ぬことより義に処することが難しいと述べます。死や闘争を称えるのではなく、判断の軸としての学びの必要を読み取りたいところです。現代では、忙しさを理由に学びを後回しにしがちですが、好きなことをする暇はあるという指摘は耳が痛いものです。管理職は、自ら学ぶ時間を確保し、部下にも学ぶ習慣を促すことで、重要な局面で冷静な判断ができる組織を育てられます。

この章句が説くこと

告志篇徳川斉昭学問義に処する先延ばしを戒める鍛錬

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