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告志篇 / 文武は一致する、学びを出どころで退けない

文武の道も亦一致と存候、凡そ武士たるもの武道を不勵して不叶儀は各も承知之事に候へども、不學文盲にては不相濟事と存候、兒童も知たる通り、今川了俊が不知文道武道遂に不得勝利といへるは、其言淺きに似たれども其旨深しと思ふ、然るに不學の者文道は漢國の敎なりとて嘲り笑ひ、又たま〱學びたる者は其道に泥み、堯舜は天祖、天孫よりも難有ものと、心得違ふ者なきにしもあらず、我等淺學にて古今に暗けれども、幼きより神聖の道を學び、つら〱思ふに、君臣父子の大倫は勿論、祭祀を崇び本に報るの道より、勇武を尙び恥を知るの義に至るまで、皆神代のむかしより備りたる事にて、忠孝文武抔いふ文字こそなけれ、其道はまさしく、神國の大道と存候、其上風俗の美なること、異邦にすぐれ、威稜の健さと、四夷にふるひ、何も事缺たることあらざれども、後の聖君賢主殊更に人に取善をなし給ひ、經書賢人を異國に求め給ひたるゆゑ、漢土の書籍渡り來て、孔子の道も傳り、神國の道ます〱明に、制度も追ゝに備りたる事なれば、神國にて孔子の道を學ぶ人は、孔子の堯舜を尊べるが如くに、天祖、天孫を奉仰候てこそ孔子の道にも叶ふべければ、漢土の道も 神國の人學ぶ時は、即ち 神國を尊ぶの道なるべければ、漢國の道なり迚しりぞくべきにあらず、彼蠻夷の佛敎をば我々信向し、我父母先祖をすら佛抔と唱へながら、獨文道に至ては漢國の敎なりとて學ばざるは、迷へるの甚しきならずや、能ゝ此儀を辨へ、文道をゆるかせにせざる樣存候、是我等の申候言には無之、義公の遺訓にも、士の大節に臨みて嫌疑を定め、

新字:文武の道も亦一致と存候、凡そ武士たるもの武道を不励して不叶儀は各も承知之事に候へども、不学文盲にては不相済事と存候、児童も知たる通り、今川了俊が不知文道武道遂に不得勝利といへるは、其言浅きに似たれども其旨深しと思ふ、然るに不学の者文道は漢国の教なりとて嘲り笑ひ、又たま〱学びたる者は其道に泥み、堯舜は天祖、天孫よりも難有ものと、心得違ふ者なきにしもあらず、我等浅学にて古今に暗けれども、幼きより神聖の道を学び、つら〱思ふに、君臣父子の大倫は勿論、祭祀を崇び本に報るの道より、勇武を尚び恥を知るの義に至るまで、皆神代のむかしより備りたる事にて、忠孝文武抔いふ文字こそなけれ、其道はまさしく、神国の大道と存候、其上風俗の美なること、異邦にすぐれ、威稜の健さと、四夷にふるひ、何も事欠たることあらざれども、後の聖君賢主殊更に人に取善をなし給ひ、経書賢人を異国に求め給ひたるゆゑ、漢土の書籍渡り来て、孔子の道も伝り、神国の道ます〱明に、制度も追ゝに備りたる事なれば、神国にて孔子の道を学ぶ人は、孔子の堯舜を尊べるが如くに、天祖、天孫を奉仰候てこそ孔子の道にも叶ふべければ、漢土の道も 神国の人学ぶ時は、即ち 神国を尊ぶの道なるべければ、漢国の道なり迚しりぞくべきにあらず、彼蠻夷の仏教をば我々信向し、我父母先祖をすら仏抔と唱へながら、独文道に至ては漢国の教なりとて学ばざるは、迷へるの甚しきならずや、能ゝ此儀を弁へ、文道をゆるかせにせざる様存候、是我等の申候言には無之、義公の遺訓にも、士の大節に臨みて嫌疑を定め、

書き下し

文武の道も亦一致と存候、凡そ武士たるもの武道を不勵して不叶儀は各も承知之事に候へども、不學文盲にては不相濟事と存候、兒童も知たる通り、今川了俊が不知文道武道遂に不得勝利といへるは、其言淺きに似たれども其旨深しと思ふ、然るに不學の者文道は漢國の敎なりとて嘲り笑ひ、又たま〱學びたる者は其道に泥み、堯舜は天祖、天孫よりも難有ものと、心得違ふ者なきにしもあらず、我等淺學にて古今に暗けれども、幼きより神聖の道を學び、つら〱思ふに、君臣父子の大倫は勿論、祭祀を崇び本に報るの道より、勇武を尙び恥を知るの義に至るまで、皆神代のむかしより備りたる事にて、忠孝文武抔いふ文字こそなけれ、其道はまさしく、神國の大道と存候、其上風俗の美なること、異邦にすぐれ、威稜の健さと、四夷にふるひ、何も事缺たることあらざれども、後の聖君賢主殊更に人に取善をなし給ひ、經書賢人を異國に求め給ひたるゆゑ、漢土の書籍渡り來て、孔子の道も傳り、神國の道ます〱明に、制度も追ゝに備りたる事なれば、神國にて孔子の道を學ぶ人は、孔子の堯舜を尊べるが如くに、天祖、天孫を奉仰候てこそ孔子の道にも叶ふべければ、漢土の道も 神國の人學ぶ時は、即ち 神國を尊ぶの道なるべければ、漢國の道なり迚しりぞくべきにあらず、彼蠻夷の佛敎をば我々信向し、我父母先祖をすら佛抔と唱へながら、獨文道に至ては漢國の敎なりとて學ばざるは、迷へるの甚しきならずや、能ゝ此儀を辨へ、文道をゆるかせにせざる樣存候、是我等の申候言には無之、義公の遺訓にも、士の大節に臨みて嫌疑を定め、

現代語訳

文と武の道もまた一致していると思います。およそ武士たる者が武道に励まなくてはならないことはあなた方も承知のとおりですが、学ばず無学であっては済みません。子どもでも知るとおり、今川了俊の「文道武道を知らなければ、ついに勝利を得ない」という言葉は、浅いようで趣旨は深いと思います。ところが無学の者は文道を漢国(中国)の教えだと嘲り笑い、またたまたま学んだ者はその道に溺れて、堯・舜は天祖・天孫よりもありがたいものだと心得違いをする者もないではありません。私は浅学で古今に暗いものの、幼い頃から神聖の道を学び、つくづく思うに、君臣父子の大倫はもちろん、祭祀を尊び本に報いる道から、勇武を尊び恥を知る義に至るまで、すべて神代の昔から備わっていたことで、忠孝文武などという文字こそありませんが、その道はまさしく神国の大道です。そのうえ風俗の美しさは外国にすぐれ、威光の強さは四方の異民族を震わせ、何も欠けたことはありませんが、後の聖君賢主がとくに人の善を取り入れられ、経書や賢人を外国に求められたので、中国の書物が渡来して孔子の道も伝わり、神国の道はますます明らかになり、制度も次第に整ったのです。ですから神国で孔子の道を学ぶ人は、孔子が堯・舜を尊んだように天祖・天孫を仰ぎ奉ってこそ孔子の道にもかなうのであり、中国の道も神国の人が学ぶ時は神国を尊ぶ道になるのですから、漢国の道だからといって退けるべきではありません。あの外国の仏教を私たちは信仰し、自分の父母や先祖までも仏などと呼びながら、文道だけは漢国の教えだからと学ばないのは、迷いの甚だしいものではないでしょうか。よくこの点をわきまえ、文道をおろそかにしないようにと思います。これは私が言い出したことではなく、義公の遺訓にも、士が大節に臨んで嫌疑を定め、

解説

文と武は別物ではなく一つだと説き、出自が外国の学問であっても、学ぶ側が自国の土台を持って取り入れればよいと述べます。国体論的な表現は当時の文脈として読みます。現代の組織でも、実務一辺倒で理論や学びを軽んじたり、逆に知識に偏って現場を軽んじたりする偏りが起こりがちです。管理職は現場の技と学びを両輪とし、出どころで学びを退けず、使えるものは取り入れる柔軟さを部下に示したいところです。

この章句が説くこと

告志篇徳川斉昭文武一致学問今川了俊義公

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人生を、一行の式にしてみた。

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