告志篇 / 忠孝は身分に応じた順序で尽くす
今世にはよく父母を養ひ、衣食等の世話行屆き候を孝子と唱へ候處、これも孝の一端には候へども、庶人の孝にて士の孝とは申し難く存候、孝經にも、天子より庶人に至るまで、其立塲により孝にも夫夫次第有之樣相見え候、扨又人々、天祖、東照宮の御恩を報んとて惡しく心得違ひ、眼前の君父をもさし置、たゞちに天朝、公邊へ忠を盡さむと思はゞ、却て僭亂の罪のがるまじく候、されば忠も其身分により次第有之事に候へば、前にもいへる如く、兎に角に面々の身分を考へ、眞實に心を用候はゞ、自ら過不及も有之間敷候、申迄は無之候へども、天祖の恩賚にて萬民生育いたし、東照宮の德澤にて國家太平に相成、先君先祖の餘慶にて面々祿位を保ち居候處、年を經世を歷るに從ひ、本を忘れ恩を忘れ候は愚なる事ならずや、恐多くも今の天朝はまさしく天祖の日嗣に被爲渡、今の 將軍家は即ち東照宮の神孫に被爲在、乍不肖我等は 威公の血脉を傳へ、各は先祖々々の家系を繼來候事に候へば、此所能ゝ相辨へ、天祖、東照宮の御恩を報んとならば、先君先祖の恩を報んと心懸候外有之間敷候、先君先祖の恩を報んとならば、眼前の君父に忠孝を盡し候外有之間敷候、萬一右之外に忠孝の道ありといはゞ、皆是異端邪說と存候間、忠孝一致と相辨へ、心得違無之樣致度事に候、
新字:今世にはよく父母を養ひ、衣食等の世話行届き候を孝子と唱へ候処、これも孝の一端には候へども、庶人の孝にて士の孝とは申し難く存候、孝経にも、天子より庶人に至るまで、其立塲により孝にも夫夫次第有之様相見え候、扨又人々、天祖、東照宮の御恩を報んとて悪しく心得違ひ、眼前の君父をもさし置、たゞちに天朝、公辺へ忠を尽さむと思はゞ、却て僭乱の罪のがるまじく候、されば忠も其身分により次第有之事に候へば、前にもいへる如く、兎に角に面々の身分を考へ、真実に心を用候はゞ、自ら過不及も有之間敷候、申迄は無之候へども、天祖の恩賚にて万民生育いたし、東照宮の徳沢にて国家太平に相成、先君先祖の余慶にて面々禄位を保ち居候処、年を経世を歴るに従ひ、本を忘れ恩を忘れ候は愚なる事ならずや、恐多くも今の天朝はまさしく天祖の日嗣に被為渡、今の 将軍家は即ち東照宮の神孫に被為在、乍不肖我等は 威公の血脉を伝へ、各は先祖々々の家系を継来候事に候へば、此所能ゝ相弁へ、天祖、東照宮の御恩を報んとならば、先君先祖の恩を報んと心懸候外有之間敷候、先君先祖の恩を報んとならば、眼前の君父に忠孝を尽し候外有之間敷候、万一右之外に忠孝の道ありといはゞ、皆是異端邪説と存候間、忠孝一致と相弁へ、心得違無之様致度事に候、
書き下し
今世にはよく父母を養ひ、衣食等の世話行屆き候を孝子と唱へ候處、これも孝の一端には候へども、庶人の孝にて士の孝とは申し難く存候、孝經にも、天子より庶人に至るまで、其立塲により孝にも夫夫次第有之樣相見え候、扨又人々、天祖、東照宮の御恩を報んとて惡しく心得違ひ、眼前の君父をもさし置、たゞちに天朝、公邊へ忠を盡さむと思はゞ、却て僭亂の罪のがるまじく候、されば忠も其身分により次第有之事に候へば、前にもいへる如く、兎に角に面々の身分を考へ、眞實に心を用候はゞ、自ら過不及も有之間敷候、申迄は無之候へども、天祖の恩賚にて萬民生育いたし、東照宮の德澤にて國家太平に相成、先君先祖の餘慶にて面々祿位を保ち居候處、年を經世を歷るに從ひ、本を忘れ恩を忘れ候は愚なる事ならずや、恐多くも今の天朝はまさしく天祖の日嗣に被爲渡、今の 將軍家は即ち東照宮の神孫に被爲在、乍不肖我等は 威公の血脉を傳へ、各は先祖々々の家系を繼來候事に候へば、此所能ゝ相辨へ、天祖、東照宮の御恩を報んとならば、先君先祖の恩を報んと心懸候外有之間敷候、先君先祖の恩を報んとならば、眼前の君父に忠孝を盡し候外有之間敷候、萬一右之外に忠孝の道ありといはゞ、皆是異端邪說と存候間、忠孝一致と相辨へ、心得違無之樣致度事に候、
現代語訳
今の世では、よく父母を養い衣食などの世話が行き届く者を孝子と呼んでいますが、これも孝の一端ではあっても庶人の孝であって、士の孝とは言いがたいと思います。『孝経』にも、天子から庶人に至るまで、その立場によって孝にもそれぞれ順序があるように見えます。さてまた、人々が天祖・東照宮の御恩に報いようとして誤った考えをし、目の前の君や父をさしおいて、直接に朝廷や公辺へ忠を尽くそうと思うなら、かえって僭乱の罪を免れないでしょう。ですから忠も身分によって順序があるのですから、前にも言ったとおり、ともかく各自の身分を考えて真実に心を用いれば、おのずと過不足はありません。言うまでもありませんが、天祖の恵みで万民が生育し、東照宮の恩徳で国家が太平となり、先君・先祖の余慶で各自が禄位を保っているのに、年を経て世を経るにつれて本を忘れ恩を忘れるのは愚かなことではないでしょうか。恐れ多くも今の朝廷はまさしく天祖の日嗣であり、今の将軍家は東照宮の神孫であり、不肖ながら私は威公の血脈を伝え、あなた方は先祖代々の家系を継いできたのですから、ここをよくわきまえ、天祖・東照宮の御恩に報いようとするなら、先君・先祖の恩に報いようと心がける以外にありません。先君・先祖の恩に報いようとするなら、目の前の君父に忠孝を尽くす以外にありません。万一これ以外に忠孝の道があると言う者がいれば、それはみな異端邪説と思いますので、忠孝は一致するものとわきまえ、心得違いのないようにしたいものです。
解説
この章句が説くこと
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『弘道館記述義』・集衆思・告志篇に見る報本酬恩と分を守る心臣彪謹んで案ずるに、臣下の君上に於けるや一体なり。子孫の祖先に於けるや一気なり。臣子既に其の徳を脩め、道芸を行ひ、以て君父に事へ、人君其の衆思群力を集め、以て祖宗に報いば、則ち君臣上下の、斯の道を推弘する所以の者、孰れか大ならん。祖宗の志是に於いて墜ちず、神皇の霊、豈に感格せざるの理有らんや。然れども其の本を要するに唯我が躬行を慎み我が君父に事ふるに在り、固より分を犯し等を踰え高遠に鶩するに在らず。曩者我が公の始めて国に就くや、親ら一書を述べ、国中の子弟に諭し、名づけて告志篇と曰ふ。其の言は皆士大夫躬行の要にして、其の忠孝の大節に於いては、蓋し尤も思ひを致す。其の略に言有り、曰く、天下万姓煦育の恩は天祖に本づき、二百余年太平の化は東照宮に原づく。而して士大夫各其の禄位を保つ者は、皆先君先祖の余沢なり。其の本を思ひ其の恩に酬ゆる者は、臣子の志を立つる第一義たり。恭しく惟みるに天皇は実に天祖の嗣を承け、大将軍は則ち東照宮の統を纘ぐ。寡人は無似なりと雖も、亦威公の胤を忝くし、士大夫は皆祖先の後を襲ふ。則ち貴賤と無く大小と無く、各其の父母に孝に、其の長上に忠にして、報本酬恩の義並び挙がらん。若し其の君父を慢り、直ちに忠を朝廷と覇府とに尽くさんと欲せば、則ち分を犯し等を踰ゆるの甚だしきにして、適に以て僭乱の罪を取るのみと。公の再び国に就くに及び、乃ち斯の館を建て以て子弟を教養し、又斯の記を撰して以て其の大綱を掲ぐ。其の道義を闡明し名教を維持する所以は、実に以て天下後世の訓と為すべし。豈に特に一国の士民、方を知るのみならんや。学者能く斯の記を読み、斯の道の淵源を知り、参ずるに告志の篇を以てし、躬行実践の業に従事せば、則ち庶幾はくは公の盛意に負かざらん。斯の館を建て以て其の治教を統ぶる者は誰ぞ。権中納言従三位源朝臣某なり。
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