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国語 / 越語下

至於玄月,王召范蠡而問焉,曰:「諺有之曰:『觥飯不及壺飧。』今歲晚矣,子將奈何?」對曰:「微君王之言,臣故將謁之。臣聞從時者,猶救火、追亡人也,蹶而趨之,唯恐弗及。」王曰:「諾。」遂興師伐吳,至於五湖。 吳人聞之,出而挑戰,一日五反。王弗忍,欲許之。范蠡進諫曰:「夫謀之廊廟,失之中原,其可乎?王姑勿許也。臣聞之,得時無怠,時不再來,天予不取,反為之災。贏縮轉化,後將悔之。天節固然,唯謀不遷。」王曰:「諾。」弗許。 范蠡曰:「臣聞古之善用兵者,贏縮以為常,四時以為紀,無過天極,究數而止。天道皇皇,日月以為常,明者以為法,微者則是行。陽至而陰,陰至而陽;日困而還,月盈而匡。古之善用兵者,因天地之常,與之俱行。後則用陰,先則用陽;近則用柔,遠則用剛。後無陰蔽,先無陽察,用人無藝,往從其所剛彊以禦,陽節不盡,不死其野。彼來從我,固守勿與。若將與之,必因天地之災,又觀其民之饑飽勞逸以參之。盡其陽節、盈吾陰節而奪之。宜為人客,剛彊而力疾;陽節不盡,輕而不可取。宜為人主,安徐而重固;陰節不盡,柔而不可迫。凡陳之道,設右以為牝,益左以為牡,蚤晏無失,必順天道,周旋無究。今其來也,剛彊而力疾,王姑待之。」王曰:「諾。」弗與戰。

新字:至於玄月,王召范蠡而問焉,曰:「諺有之曰:『觥飯不及壺飧。』今歳晩矣,子将奈何?」対曰:「微君王之言,臣故将謁之。臣聞従時者,猶救火、追亡人也,蹶而趨之,唯恐弗及。」王曰:「諾。」遂興師伐呉,至於五湖。 呉人聞之,出而挑戦,一日五反。王弗忍,欲許之。范蠡進諫曰:「夫謀之廊廟,失之中原,其可乎?王姑勿許也。臣聞之,得時無怠,時不再来,天予不取,反為之災。贏縮転化,後将悔之。天節固然,唯謀不遷。」王曰:「諾。」弗許。 范蠡曰:「臣聞古之善用兵者,贏縮以為常,四時以為紀,無過天極,究数而止。天道皇皇,日月以為常,明者以為法,微者則是行。陽至而陰,陰至而陽;日困而還,月盈而匡。古之善用兵者,因天地之常,与之倶行。後則用陰,先則用陽;近則用柔,遠則用剛。後無陰蔽,先無陽察,用人無芸,往従其所剛彊以禦,陽節不尽,不死其野。彼来従我,固守勿与。若将与之,必因天地之災,又観其民之饑飽労逸以参之。尽其陽節、盈吾陰節而奪之。宜為人客,剛彊而力疾;陽節不尽,軽而不可取。宜為人主,安徐而重固;陰節不尽,柔而不可迫。凡陳之道,設右以為牝,益左以為牡,蚤晏無失,必順天道,周旋無究。今其来也,剛彊而力疾,王姑待之。」王曰:「諾。」弗与戦。

書き下し

玄月に至りて、王范蠡を召して問いて曰く、「諺に之れ有り、曰く、『觥飯(こうはん)は壺飧(こそん)に及ばず』と。今歳晩(く)れたり。子将に奈何せんとする」と。対えて曰く、「君王の言微(な)かりせば、臣故より将に之を謁(こ)わんとせり。臣聞く、時に従う者は、猶お火を救い、亡人を追うがごとし。蹶(はし)りて之に趨(おもむ)くも、唯及ばざらんことを恐ると」と。王曰く、「諾」と。遂に師を興して呉を伐ち、五湖に至る。 呉人之を聞き、出でて戦いを挑み、一日に五たび反(かえ)る。王忍びず、之を許さんと欲す。范蠡進み諫めて曰く、「夫れ之を廊廟に謀りて、之を中原に失う。其れ可ならんや。王姑く許すこと勿かれ。臣之を聞く、時を得ては怠ること無かれ、時は再び来たらず、天予うるに取らざれば、反って之が災いを為すと。贏縮(えいしゅく)転化すれば、後に将に悔いんとす。天節固より然り。唯謀のみ遷らず」と。王曰く、「諾」と。許さず。 范蠡曰く、「臣聞く、古の善く兵を用うる者は、贏縮以て常と為し、四時以て紀と為し、天極を過ぐること無く、数を究めて止む。天道皇皇として、日月以て常と為す。明なる者は以て法と為し、微なる者は則ち是れ行う。陽至りて陰、陰至りて陽。日困(きわ)まりて還り、月盈ちて匡(か)く。古の善く兵を用うる者は、天地の常に因りて、之と倶に行う。後るれば則ち陰を用い、先んずれば則ち陽を用う。近ければ則ち柔を用い、遠ければ則ち剛を用う。後るるも陰蔽無く、先んずるも陽察無く、人を用うるに藝(げい)無し。往きて其の所に従い、剛彊以て禦がば、陽節尽きず、其の野に死せず。彼来たりて我に従わば、固く守りて与にすること勿かれ。若し将に之と与にせんとせば、必ず天地の災いに因り、又其の民の饑飽労逸を観て以て之を参(まじ)えよ。其の陽節を尽くし、吾が陰節を盈たして之を奪え。宜しく人の客と為るべきは、剛彊にして力疾(すみ)やかなり。陽節尽きずんば、軽くして取るべからず。宜しく人の主と為るべきは、安徐にして重固なり。陰節尽きずんば、柔にして迫るべからず。凡そ陳の道は、右を設けて以て牝と為し、左を益して以て牡と為し、蚤晏(そうあん)失うこと無く、必ず天道に順い、周旋して究まること無し。今其の来たるや、剛彊にして力疾やかなり。王姑く之を待て」と。王曰く、「諾」と。与に戦わず。

現代語訳

その年の九月になって、王は范蠡を呼んで尋ねた。「諺に『豪勢なごちそうは、手近な一椀の汁飯に及ばない』というではないか。今年もはや暮れようとしている。あなたはどうするつもりか」。范蠡は答えた。「君王のお言葉がなくとも、私のほうからもともと出兵をお願いしようと思っておりました。時に従う者は、火事を消しに行くときや、逃げた者を追うときのようなもので、つまずきながら走って行っても、なお間に合わないのではと恐れるものだと聞いております」。王は「わかった」と言い、ついに軍を起こして呉を討ち、五湖に至った。 呉の人々はこれを聞くと、出てきて戦いを挑み、一日に五度も押し寄せては引き返した。王は我慢しきれずに、その挑戦に応じようとした。范蠡が進み出て諫めた。「朝廷で練り上げた謀を、戦場で失ってよいものでしょうか。王よ、しばらく応じてはなりません。私はこう聞いております。時を得たら怠ってはならない、時は二度と来ない、天が与えるのに取らなければ、かえって災いとなると。進退の形勢は移り変わるもので、いま動けば後で悔いることになります。天の節目とはもともとそういうものです。ただ謀だけは、移ろわせてはなりません」。王は「わかった」と言い、戦いに応じなかった。 范蠡は言った。「私はこう聞いております。昔の兵をよく用いた者は、進むことと退くことを常の道とし、四季の巡りをのりとし、天道の極みを越えず、その数を窮めたところで止まったと。天の道はあかあかと明らかで、日と月をそのしるしとしています。日月が満ちて明るいときはそれに倣って進み取り、欠けてかすかなときはそれに倣って身を潜めます。陽が極まれば陰となり、陰が極まれば陽となる。日は窮まればまた巡り返り、月は満ちれば欠けていく。昔の兵をよく用いた者は、この天地の常の道に従って、ともに動いたのです。後から動くときには陰、すなわち重く静かな守りを用い、先に動くときには陽、すなわち軽く速い攻めを用います。敵が近ければ柔らかく出て弱く見せ、遠ければ剛く出て威を張ります。後から動いても陰に閉じこもりすぎず、先に動いても陽にあらわになりすぎず、兵の用い方には決まった型を持ちません。敵の所へ攻めて行って、敵がなお剛く強く防ぐなら、それは敵の陽の気がまだ尽きていないのですから、敵の野で命を落とすような戦いはしません。敵が攻めてきてこちらに迫るなら、固く守って相手にしてはなりません。もし戦おうとするなら、必ず天地の災いに乗じ、さらに敵の民の飢えと満腹、疲れと安逸を見比べて、あわせて判断するのです。敵の陽の気を尽きさせ、わが陰の気を満たしてから、奪い取るのです。攻める側に立つべき者は、剛く強く、動きが速いものです。その陽の気が尽きないうちは、軽やかでつかまえられません。守る側に立つべき者は、落ち着いてゆったりとし、重く固いものです。その陰の気が尽きないうちは、柔らかで押し切ることができません。およそ陣立ての道は、右を設けて牝(受け)とし、左を増して牡(攻め)とし、早い遅いの機を失わず、必ず天の道に従い、巡りめぐって窮まることがありません。いま呉が攻めてくるさまは、剛く強く動きも速い。王よ、いましばらくお待ちください」。王は「わかった」と言い、呉とは戦わなかった。

解説

待ち続けた越が、ついに兵を起こす場面である。韋昭注は「玄月」を九月とし、魯の哀公十六年九月のことで、翌年三月に越が呉を伐ったと注する。句践が「觥飯は壺飧に及ばず」、豪勢な食事の支度を待つより手近な一椀で飢えをしのげという諺を引いて促すと、范蠡は、時に従うのは火を消し逃げる者を追うようなものだと、今度は即座に応じた。ところが戦場で呉が一日に五度も挑んでくると、応戦しようとする王を止める。朝廷で練った謀を戦場で失ってはならない、天の節目は移ろうが謀は移ろわせないという。続けて陰陽の転化を用兵に当てはめ、敵の陽の気、すなわち攻める勢いが尽き、こちらの陰の気が満ちるのを待って奪えと説く。待てと言った者が機と見れば走り、走り出した後にまた待てと言う。この一貫した時の読み方こそが范蠡の真骨頂である。

この章句が説くこと

国語越語陰陽兵法時

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