国語 / 呉語
王乃之壇列,鼓而行之,至於軍,斬有罪者以徇,曰:「莫如此以環瑱通相問也。」明日徙舍,斬有罪者以徇,曰:「莫如此不從其伍之令。」明日徙舍,斬有罪者以徇,曰:「莫如此不用王命。」明日徙舍,至於禦兒,斬有罪者以徇,曰:「莫如此淫逸不可禁也。」 王乃命有司大徇於軍,曰:「有父母耆老而無昆弟者,以告。」王親命之曰:「我有大事,子有父母耆老,而子為我死,子之父母將轉於溝壑,子為我禮已重矣。子歸,歿而父母之世。後若有事,吾與子圖之。」明日徇於軍,曰:「有兄弟四五人皆在此者,以告。」王親命之曰:「我有大事,子有昆弟四五人皆在此,事若不捷,則是盡也。擇子之所欲歸者一人。」明日徇於軍,曰:「有眩瞀之疾者,以告。」王親命之曰:「我有大事,子有眩瞀之疾,其歸若已。後若有事,吾與子圖之。」明日徇於軍,曰:「筋力不足以勝甲兵,志行不足以聽命者歸,莫告。」明日,遷軍接龢,斬有罪者以徇,曰:「莫如此志行不果。」於是人有致死之心。王乃命有司大徇於軍,曰:「謂二三子歸而不歸,處而不處,進而不進,退而不退,左而不左,右而不右,身斬,妻子鬻。」
新字:王乃之壇列,鼓而行之,至於軍,斬有罪者以徇,曰:「莫如此以環瑱通相問也。」明日徙舎,斬有罪者以徇,曰:「莫如此不従其伍之令。」明日徙舎,斬有罪者以徇,曰:「莫如此不用王命。」明日徙舎,至於禦児,斬有罪者以徇,曰:「莫如此淫逸不可禁也。」 王乃命有司大徇於軍,曰:「有父母耆老而無昆弟者,以告。」王親命之曰:「我有大事,子有父母耆老,而子為我死,子之父母将転於溝壑,子為我礼已重矣。子帰,歿而父母之世。後若有事,吾与子図之。」明日徇於軍,曰:「有兄弟四五人皆在此者,以告。」王親命之曰:「我有大事,子有昆弟四五人皆在此,事若不捷,則是尽也。択子之所欲帰者一人。」明日徇於軍,曰:「有眩瞀之疾者,以告。」王親命之曰:「我有大事,子有眩瞀之疾,其帰若已。後若有事,吾与子図之。」明日徇於軍,曰:「筋力不足以勝甲兵,志行不足以聴命者帰,莫告。」明日,遷軍接龢,斬有罪者以徇,曰:「莫如此志行不果。」於是人有致死之心。王乃命有司大徇於軍,曰:「謂二三子帰而不帰,処而不処,進而不進,退而不退,左而不左,右而不右,身斬,妻子鬻。」
書き下し
王乃ち壇列に之(ゆ)き、鼓して之を行(や)り、軍に至り、罪有る者を斬りて以て徇(とな)えて曰く、「此の如く環瑱(かんてん)を以て通じて相問(おく)ること莫かれ」と。明日舎を徙(うつ)し、罪有る者を斬りて以て徇えて曰く、「此の如く其の伍の令に従わざること莫かれ」と。明日舎を徙し、罪有る者を斬りて以て徇えて曰く、「此の如く王命を用いざること莫かれ」と。明日舎を徙し、禦児に至り、罪有る者を斬りて以て徇えて曰く、「此の如く淫逸にして禁ずべからざること莫かれ」と。 王乃ち有司に命じて大いに軍に徇えしめて曰く、「父母耆老(きろう)有りて昆弟無き者は、以て告げよ」と。王親ら之に命じて曰く、「我に大事有り。子に父母耆老有り。而るに子我が為に死せば、子の父母将に溝壑(こうがく)に転ぜんとす。子の我が為にする礼已に重し。子帰りて、而(なんじ)の父母の世を歿(お)えよ。後若し事有らば、吾子と之を図らん」と。明日軍に徇えて曰く、「兄弟四五人有りて皆此に在る者は、以て告げよ」と。王親ら之に命じて曰く、「我に大事有り。子に昆弟四五人有りて皆此に在り。事若し捷(か)たずんば、則ち是れ尽きん。子の帰らんと欲する所の者一人を択べ」と。明日軍に徇えて曰く、「眩瞀(げんぼう)の疾有る者は、以て告げよ」と。王親ら之に命じて曰く、「我に大事有り。子に眩瞀の疾有り。其れ帰りて若(なんじ)已(や)めよ。後若し事有らば、吾子と之を図らん」と。明日軍に徇えて曰く、「筋力以て甲兵に勝(た)うるに足らず、志行以て命を聴くに足らざる者は帰れ。告ぐること莫かれ」と。明日、軍を遷して接龢(せつわ)し、罪有る者を斬りて以て徇えて曰く、「此の如く志行果たさざること莫かれ」と。是に於いて人致死の心有り。王乃ち有司に命じて大いに軍に徇えしめて曰く、「二三子に帰れと謂いて帰らず、処(お)れと謂いて処らず、進めと謂いて進まず、退けと謂いて退かず、左せよと謂いて左せず、右せよと謂いて右せずんば、身は斬られ、妻子は鬻(ひさ)がれん」と。
現代語訳
王は兵を講じ誓いを立てる野外の壇に赴き、太鼓を打って軍を進発させた。軍営に着くと、罪を犯した者を斬ってさらし、「このように金玉の環や耳飾りを贈って賄賂を通じ合ってはならぬ」と触れ回らせた。翌日、陣を移すと、また罪人を斬ってさらし、「このように自分の隊伍の命令に従わないことがあってはならぬ」と触れさせた。翌日、陣を移すと、また罪人を斬ってさらし、「このように王の命令を用いないことがあってはならぬ」と触れさせた。翌日、陣を移して禦児に至ると、また罪人を斬ってさらし、「このように放縦で抑えのきかないことがあってはならぬ」と触れさせた。 王は役人に命じて、軍中に大いに触れさせた。「年老いた父母がいて、ほかに兄弟のいない者は申し出よ」。王は自らその者たちに言い渡した。「わたしには大事がある。そなたには年老いた父母がいる。そなたがわたしのために死ねば、父母は野垂れ死にして溝や谷に転がることになろう。そなたがわたしに尽くしてくれた礼は、もう十分に重い。そなたは帰って、父母の生涯を見届けよ。後日また事があれば、そのときはそなたと相談しよう」。翌日、軍中に触れさせた。「兄弟が四、五人いて、みなここに来ている者は申し出よ」。王は自ら言い渡した。「わたしには大事がある。そなたたちは兄弟四、五人がみなここにいる。もし戦に勝てなければ、一家が絶えてしまう。帰したい者を一人選ぶがよい」。翌日、軍中に触れさせた。「目がくらむ病のある者は申し出よ」。王は自ら言い渡した。「わたしには大事がある。そなたには目がくらむ病がある。帰って休むがよい。後日また事があれば、そのときはそなたと相談しよう」。翌日、軍中に触れさせた。「力が足りずに武具や武器に耐えられない者、心構えが足りずに命令に従えない者は帰れ。申し出る必要はない」。翌日、軍を移して上下の心を和合させ、罪人を斬ってさらし、「このように心構えが果断でないことがあってはならぬ」と触れさせた。こうして兵士たちはみな死を覚悟する心を持つようになった。王は役人に命じて、軍中に大いに触れさせた。「諸君に帰れと言うのに帰らず、とどまれと言うのにとどまらず、進めと言うのに進まず、退けと言うのに退かず、左へと言うのに左へ行かず、右へと言うのに右へ行かない者は、その身を斬り、妻子を奴婢として売り払う」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)申し候は、「しおがれ浪人などと云うは、難儀千万(なんぎせんばん)この上なき様に皆人思うて、その期(ご)には殊(こと)の外(ほか)しおがれ草臥(くたび)るる事なり。浪人して後(のち)は左程(さほど)にはなきものなり。今一度(いまいちど)浪人仕(つかまつ)りたし。」と云う。もっともの事なり。死の道も、平生(へいぜい)に死習(しになら)うては、心安(こころやす)く死ぬべき事なり。奉公人の打留(うちどめ)は浪人切腹(せっぷく)に極(きわ)まりたると、兼ねて覚悟すべきなり。災難は前方(ぜんぽう)了簡(りょうけん)したる程には無きものなるを、先を量(はか)つて苦しむは愚かなる事なり。
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葉隠・聞書第一打返しの仕様(しよう)は、踏懸けて切り殺さるるまでなり。これにて恥(はじ)にならぬなり。仕果(しは)たすべしと思ふゆゑ、間(ま)に合はず。向(むこう)は大勢(おおぜい)などと云ひて時を移し、しまり止(どめ)になる相談に極(きわ)まるなり。相手何千人もあれ、片端(かたはし)より撫切(なでぎ)りと思ひ定めて、立ち向ふまでにて成就(じょうじゅ)なり。多分(たぶん)仕(し)済ますものなり。又(また)浅野殿(あさのどの)浪人(ろうにん)夜討(ようち)も、泉岳寺(せんがくじ)にて腹切らぬが落度(おちど)なり。又主(しゅ)を討たせて、敵(かたき)を討つ事延び延びなり。若(も)し、その内に吉良殿(きらどの)病死の時は残念千万なり。上方衆(かみがたしゅう)は智慧(ちえ)かしこきゆゑ、褒めらるる仕様は上手(じょうず)なれども、長崎喧嘩(ながさきけんか)の様に無分別(むふんべつ)にする事はならぬなり。又曾我殿(そがどの)夜討も殊(こと)の外(ほか)の延引(えんいん)。幕(まく)の紋(もん)見物(けんぶつ)の時、祐成(すけなり)図(ず)をはづしたり。不運の事なり。五郎(ごろう)申し様(よう)見事なり。総(そう)じてかやうの批判(ひはん)はせぬものなれども、これも武道(ぶどう)の吟味(ぎんみ)なれば申すなり。前方(ぜんぽう)に吟味して置かねば、行(ゆ)き当りて分別(ふんべつ)出来(でき)合はぬゆゑ、おおかた恥になり候。話を聞き覚え、物の本を見るも、かねての覚悟のためなり。就中(なかんずく)、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々(ひびよよ)に箇条(かじょう)を立てて吟味すべき事なり。時の行掛(ゆきがか)りにて勝負はあるべし。恥をかかぬ仕様は別(べつ)なり。死ぬまでなり。これには智慧も業(わざ)も入らぬなり。死ぬまでといふは勝負を考へず、無二無三(むにむざん)に死狂(しにぐる)ひするばかりなり。これにて夢(ゆめ)覚むるなり。
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論語・憲問篇子曰く、『士にして居を懐(おも)えば、以て士と為すに足らず。』
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葉隠・聞書第一途中にて俄雨(にわかあめ)にあいて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下(のきした)などを通りても、濡るる濡るる事は替わらざるなり。初めより思いはまりて濡るる濡るる時、心に苦しみなく濡るる濡るる事は同じ。これ万(よろ)づにわたる心得なり。
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史記 刺客列伝是に於て太子豫め天下の利き匕首を求め、趙人徐夫人の匕首を得、之を百金に取り、工をして薬を以て之を焠かしめ、以て人に試むるに、血縷を濡らし、人立ちどころに死せざる者無し。乃ち装して荊卿を遣らんと為す。燕国に勇士秦舞陽有り。年十三にして人を殺す。人敢て忤視せず。乃ち秦舞陽をして副と為さしむ。荊軻待つ所有り、与に倶にせんと欲す。其の人遠きに居りて未だ来たらず。而して為に行を治む。頃之、未だ発せず。太子之を遅しとし、其の改悔せんことを疑ひ、乃ち復た請ひて曰く、「日已に尽きたり。荊卿豈に意有らんや。丹請ふ、先づ秦舞陽を遣るを得ん」と。荊軻怒り、太子を叱して曰く、「何ぞ太子の遣るや。往きて返らざる者は、豎子なり。且つ一匕首を提げて不測の彊秦に入る。僕の留まる所以の者は、吾が客を待ちて与に倶にせんとすればなり。今太子之を遅しとす。請ふ辞して決せん」と。遂に発す。太子及び賓客の其の事を知る者、皆白衣冠して以て之を送る。易水の上に至り、既に祖して、道を取る。高漸離筑を撃ち、荊軻和して歌ひ、変徴の声を為す。士皆涙を垂れて涕泣す。又前みて歌を為りて曰く、「風蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去りて復た還らず」と。復た羽声を為して慷慨す。士皆目を瞋らし、髪尽く上りて冠を指す。是に於て荊軻車に就きて去り、終に已に顧みず。遂に秦に至り、
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葉隠・聞書第一古人(こじん)の覚悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云う事あり。それ故に、古老(ころう)は年をかくすといえり。
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