国語 / 呉語
吳王夫差還自黃池,息民不戒。越大夫種乃唱謀曰:「吾謂吳王將遂涉吾地,今罷師而不戒以忘我,我不可以怠。日臣嘗卜於天,今吳民既罷,而大荒薦饑,市無赤米,而囷鹿空虛,其民必移就蒲蠃於東海之濱。天占既兆,人事又見,我蔑卜筮矣。王若今起師以會,奪之利,無使夫悛。夫吳之邊鄙遠者,罷而未至,吳王將恥不戰,必不須至之會也,而以中國之師與我戰。若事幸而從我,我遂踐其地,其至者亦將不能之會也已,吾用禦兒臨之。吳王若慍而又戰,奔遂可出。若不戰而結成,王安厚取名而去之。」越王曰:「善哉!」乃大戒師,將伐吳。
新字:呉王夫差還自黄池,息民不戒。越大夫種乃唱謀曰:「吾謂呉王将遂渉吾地,今罷師而不戒以忘我,我不可以怠。日臣嘗卜於天,今呉民既罷,而大荒薦饑,市無赤米,而囷鹿空虚,其民必移就蒲蠃於東海之浜。天占既兆,人事又見,我蔑卜筮矣。王若今起師以会,奪之利,無使夫悛。夫呉之辺鄙遠者,罷而未至,呉王将恥不戦,必不須至之会也,而以中国之師与我戦。若事幸而従我,我遂践其地,其至者亦将不能之会也已,吾用禦児臨之。呉王若慍而又戦,奔遂可出。若不戦而結成,王安厚取名而去之。」越王曰:「善哉!」乃大戒師,将伐呉。
書き下し
呉王夫差黄池より還り、民を息(やす)めて戒めず。越の大夫種乃ち謀を唱えて曰く、「吾謂えらく、呉王将に遂に吾が地に渉らんとすと。今師を罷めて戒めず、以て我を忘る。我以て怠るべからず。日(さき)に臣嘗て天に卜せり。今呉の民既に罷(つか)れて、大荒薦(しき)りに饑え、市に赤米無く、而して囷鹿(きんろく)空虚なり。其の民必ず移りて蒲蠃(ほら)に東海の浜に就かん。天占既に兆し、人事又見(あら)わる。我卜筮すること蔑(な)し。王若し今師を起こして以て会せば、之が利を奪い、夫(か)れをして悛(あらた)めしむること無からん。夫れ呉の辺鄙の遠き者は、罷(かえ)りて未だ至らず。呉王将に戦わざるを恥じて、必ず至るを須(ま)つの会をせずして、中国の師を以て我と戦わんとす。若し事幸いにして我に従わば、我遂に其の地を践まん。其の至る者も亦将に之れ会すること能わざらんのみ。吾禦児(ぎょじ)を用て之に臨まん。呉王若し慍りて又戦わば、奔(はし)りて遂に出ずべし。若し戦わずして成を結ばば、王安んじて厚く名を取りて之を去らん」と。越王曰く、「善いかな」と。乃ち大いに師を戒め、将に呉を伐たんとす。
現代語訳
呉王夫差は黄池から帰ると、民を休ませ、越への警戒を怠った。越の大夫種は率先して謀を唱えた。「私は、呉王はそのまま越の地に攻め込んでくるだろうと思っていました。ところが今、呉は軍を解いて警戒もせず、われらのことを忘れています。われらは怠ってはなりません。以前、私は天に占ったことがあります。いま呉の民はすでに疲れ果て、大凶作が重なって飢えに苦しみ、市場には粗末な赤米すらなく、丸い米倉も四角い米倉も空っぽです。その民はきっと東海の浜辺に移って、水草や貝を採って食いつなぐでしょう。天の占いにはすでに兆しが現れ、人の世の事にも怨みの声が現れています。われらはもはや卜筮に問うまでもありません。王がもし今、軍を起こして攻めかかれば、呉の利を奪い、彼らに立て直す暇を与えずにすみます。呉の辺境の遠い地の兵は、国に帰ってきたばかりでまだ集まっていません。呉王は戦わないことを恥じて、必ずや遠方の兵の到着を待たずに、都の近くの兵だけでわれらと戦うでしょう。もし事が幸いにしてわれらの思いどおりに運べば、われらはそのまま呉の地を踏みしだくことができます。遅れて駆けつけた兵も、もはや合流はかないません。われらは禦児(越の北境の地)を拠点として呉に臨みましょう。呉王がもし怒ってまた戦いを挑んでくれば、敗走させて追い出すことができます。もし戦わずに和睦を結ぼうとするなら、王はゆったりと大きな名声を手にして引き揚げればよいのです」。越王は「よろしい」と言い、大いに軍を整えて呉を討とうとした。
解説
この章句が説くこと
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