国語 / 呉語
吳王夫差既退于黃池,乃使王孫苟告勞于周,曰:「昔者楚人為不道,不承共王事,以遠我一二兄弟之國。吾先君闔廬不貰不忍,被甲帶劍,挺鈹搢鐸,以與楚昭王毒逐於中原柏舉。天舍其衷,楚師敗績,王去其國,遂至于郢。王總其百執事,以奉其社稷之祭。其父子、昆弟不相能,夫概王作亂,是以復歸於吳。今齊侯壬不鑒於楚。又不承共王命,以遠我一二兄弟之國。夫差不貰不忍,被甲帶劍,挺鈹搢鐸,遵汶伐博,簦笠相望於艾陵。天舍其衷,齊師還。夫差豈敢自多,文、武寔舍其衷。歸不稔於歲,余沿江泝淮,闕溝深水,出於商、魯之閒,以徹於兄弟之國。夫差克有成事,敢使苟告於下執事。」 周王答曰:「苟,伯父令女來,明紹享余一人,若余嘉之。昔周室逢天之降禍,遭民之不祥,余心豈忘憂恤,不唯下土之不康靖。今伯父曰:『戮力同德。』伯父若能然,余一人兼受而介福。伯父多歷年以沒元身,伯父秉德已侈大哉!」
新字:呉王夫差既退于黄池,乃使王孫苟告労于周,曰:「昔者楚人為不道,不承共王事,以遠我一二兄弟之国。吾先君闔廬不貰不忍,被甲帯剣,挺鈹搢鐸,以与楚昭王毒逐於中原柏舉。天舎其衷,楚師敗績,王去其国,遂至于郢。王総其百執事,以奉其社稷之祭。其父子、昆弟不相能,夫概王作乱,是以復帰於呉。今斉侯壬不鑒於楚。又不承共王命,以遠我一二兄弟之国。夫差不貰不忍,被甲帯剣,挺鈹搢鐸,遵汶伐博,簦笠相望於艾陵。天舎其衷,斉師還。夫差豈敢自多,文、武寔舎其衷。帰不稔於歳,余沿江泝淮,闕溝深水,出於商、魯之閒,以徹於兄弟之国。夫差克有成事,敢使苟告於下執事。」 周王答曰:「苟,伯父令女来,明紹享余一人,若余嘉之。昔周室逢天之降禍,遭民之不祥,余心豈忘憂恤,不唯下土之不康靖。今伯父曰:『戮力同徳。』伯父若能然,余一人兼受而介福。伯父多歴年以没元身,伯父秉徳已侈大哉!」
書き下し
呉王夫差既に黄池より退き、乃ち王孫苟(おうそんこう)をして労を周に告げしめて曰く、「昔者楚人不道を為し、共(きょう)に王事を承けず、以て我が一二の兄弟の国を遠ざく。吾が先君闔廬(こうりょ)貰(ゆる)さず忍びず、甲を被り剣を帯び、鈹(ひ)を挺(ぬ)き鐸を搢(ふ)るい、以て楚の昭王と中原の柏挙(はくきょ)に毒逐す。天其の衷を舎(ほどこ)し、楚の師敗績し、王其の国を去り、遂に郢(えい)に至る。王其の百執事を総べ、以て其の社稷の祭を奉ず。其の父子・昆弟相能(よ)からず、夫概王(ふがいおう)乱を作す。是を以て復た呉に帰る。今斉侯壬(じん)楚に鑒(かんが)みず、又共に王命を承けず、以て我が一二の兄弟の国を遠ざく。夫差貰さず忍びず、甲を被り剣を帯び、鈹を挺き鐸を搢るい、汶に遵いて博を伐ち、簦笠(とうりゅう)艾陵に相望む。天其の衷を舎し、斉の師還る。夫差豈に敢えて自ら多とせんや。文・武寔に其の衷を舎せり。帰りて歳に稔らざるに、余江に沿い淮を泝り、溝を闕ち水を深くし、商・魯の閒に出でて、以て兄弟の国に徹す。夫差克く成事有り。敢えて苟をして下執事に告げしむ」と。 周王答えて曰く、「苟、伯父女(なんじ)をして来たらしめ、明らかに余一人に紹享(しょうきょう)す。若(ここ)に余之を嘉す。昔周室天の禍を降すに逢い、民の不祥に遭う。余が心豈に憂恤を忘れんや、唯下土の康靖ならざるのみならず。今伯父曰く、『力を戮(あわ)せ徳を同じくせん』と。伯父若し能く然らば、余一人兼ねて受けて而(なんじ)を介福せん。伯父多く年を歴て以て元身を没えよ。伯父徳を秉ること已に侈大なるかな」と。
現代語訳
呉王夫差は黄池から引き揚げると、王孫苟(呉の大夫)を周に遣わして功を報告させた。「昔、楚の人々は道にはずれたことをし、つつしんで王の務めを果たさず、わが同姓の兄弟の国々を王室から遠ざけました。わが先君闔廬はそれを許さず、見過ごしにできず、鎧をまとい剣を帯び、長剣を抜き放ち鐸を振り鳴らして、楚の昭王と柏挙の原野で激しく戦い、追い散らしました。天は善き心を呉にお恵みくださり、楚の軍は大敗し、楚王は国を捨てて逃れ、呉軍はついに郢(楚の都)に至りました。王(闔廬)は楚の百官を取りまとめて、楚の社稷の祭りを奉じさせました。ところが楚の父子兄弟が互いに和せず、そのうえ呉では夫概王(闔廬の弟)が乱を起こしたので、呉に引き返したのです。いま斉侯壬(斉の簡公)は楚の例を鑑とせず、またつつしんで王命を承けず、わが同姓の兄弟の国々を王室から遠ざけています。夫差はそれを許さず、見過ごしにできず、鎧をまとい剣を帯び、長剣を抜き放ち鐸を振り鳴らして、汶水に沿って博(斉の邑)を討ち、雨具の笠が艾陵まで途切れず続くほどの行軍をいたしました。天は善き心を呉にお恵みくださり、斉の軍は退きました。夫差がどうして自分の手柄と誇りましょう。まことに文王・武王の御霊が善き心をお恵みくださったのです。国に帰ると、その年の実りも待たずに、わたしは長江に沿い淮水をさかのぼり、運河を掘って水を深くし、宋(商)と魯の間に出て、兄弟の国々へ道を通じさせました。夫差はこうして事を成し遂げることができました。あえて苟を遣わして、お役人の方々に申し上げる次第です」 周王は答えて言った。「苟よ、伯父(呉王)がそなたを遣わしてきて、わたし一人に礼を尽くして仕えるのをはっきり示してくれた。わたしはこれを喜ばしく思う。昔、周の王室は天が禍いを降すのに遭い、民の不幸にも見舞われた。わたしの心が、どうして憂いいたわることを忘れようか。ただ地上の世が安らかでないのを憂えるばかりではない。いま伯父は『力を合わせ徳を同じくしよう』と言ってくれる。伯父がもし本当にそうしてくれるなら、わたし一人がそれを受け、そなたにも大いなる福を与えよう。伯父よ、長く年を重ね、善き身のまま生涯を終えられよ。伯父が徳を保つことは、なんと広く大きいことか」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
国語・呉語董褐将に還らんとするに、王左畸(さき)を称(よ)びて曰く、「少司馬茲(し)と王士五人とを摂(と)らえて、王の前に坐せしめよ」と。乃ち皆進み、自ら客の前に𠜲(くびき)りて以て客に酬(むく)ゆ。 董褐既に命を致し、乃ち趙鞅(ちょうおう)に告げて曰く、「臣呉王の色を観るに、大憂有るに類(に)たり。小なれば則ち嬖妾・嫡子死し、不(しから)ずんば則ち国に大難有り。大なれば則ち越呉に入れるならん。将に毒せんとす。与に戦うべからず。主其れ之に先んずるを許して、以て危うきを待つこと無かれ。然れども徒(いたず)らに許すべからざるなり」と。趙鞅許諾す。 晋乃ち董褐をして復命せしめて曰く、「寡君未だ敢えて兵を観(しめ)して身ら見えず、褐をして復命せしめて曰く、『曩(さき)の君の言に、周室既に卑く、諸侯天子に礼を失う、請う陽卜(ようぼく)に貞(ただ)して、文・武の諸侯を収めんと。孤以下天子に密邇(みつじ)して、罪を逃るる所無く、訊譲(じんじょう)日に至る。曰く、昔呉の伯父失わず、春秋必ず諸侯を率いて以て余一人を顧み在りき。今伯父蛮・荊の虞(うれ)い有り、礼世々続かず。用て孤に命じて礼もて周公を佐け、以て我が一二の兄弟の国に見えしめ、以て君の憂いを休めしむと。今君王を東海に掩(おお)いて、淫名を以て天子に聞こゆ。君に短垣有りて、自ら之を踰(こ)ゆ。況んや蛮・荊は則ち何ぞ周室に有らんや。夫れ命圭(めいけい)に命有り、固より呉伯と曰いて、呉王と曰わず。諸侯是を以て敢えて辞す。夫れ諸侯に二君無く、周に二王無し。君若し天子を卑しむること無く、以て其の不祥を干(おか)さずして、呉公と曰わば、孤敢えて君命に順従して長弟せざらんや』と。許諾す」と。 呉王許諾し、乃ち退きて幕に就きて会す。呉公先ず歃(すす)り、晋侯之に亜(つ)ぐ。呉王既に会し、越の聞こえ愈(いよいよ)章らかなり。斉・宋の己の害と為らんことを恐れ、乃ち王孫雒に命じて先ず勇獲(ゆうかく)と徒師を帥い、以て宋に過賓と為り、以て其の北郛を焚きて之を過ぎしむ。
-
国語・呉語呉王夫差既に申胥を殺し、歳に稔(みの)らざるに、乃ち師を起こして北征す。闕(うが)ちて深溝を為(つく)り、商・魯の閒に通じ、北は之を沂(き)に属(つら)ね、西は之を済(せい)に属ね、以て晋公午(ご)に黄池(こうち)に会す。 是に於いて越王句践乃ち范蠡(はんれい)・舌庸(ぜつよう)に命じ、師を率いて海に沿い淮を泝(さかのぼ)りて以て呉の路を絶たしむ。王子友を姑熊夷(こゆうい)に敗る。越王句践乃ち中軍を率いて江を泝りて以て呉を襲い、其の郛(ふ)に入り、其の姑蘇を焚き、其の大舟を徙(うつ)す。 呉・晋長を争いて未だ成らず。辺遽(へんきょ)乃ち至り、越の乱を以て告ぐ。呉王懼れ、乃ち大夫を合わせて謀りて曰く、「越不道を為し、其の斉盟に背く。今吾が道路修遠なり。会すること無くして帰ると、会に与(あずか)りて晋を先にすると、孰れか利ならん」と。王孫雒(おうそんらく)曰く、「夫れ危事は歯(よわい)せず。雒敢えて先ず対えん。二者利なる莫し。会すること無くして帰らば、越の聞こえ章(あき)らかならん。民懼れて走り、遠くして正(ゆ)き就く無からん。斉・宋・徐・夷曰わん、『呉既に敗れたり』と。将に溝を夾(はさ)みて我を㢋(う)たんとす。我生命無からん。会して晋を先にせば、晋既に諸侯の柄を執りて以て我に臨み、将に其の志を成して以て天子に見えんとす。吾之を須(ま)つこと能わず、之を去るに忍びず。若し越の聞こえ愈(いよいよ)章らかならば、吾が民叛かんことを恐る。必ず会して之に先んぜよ」と。 王乃ち歩みて王孫雒に就きて曰く、「之に先んずるに、之を図ること将に若何せん」と。王孫雒曰く、「王其れ疑うこと無かれ。吾が道路悠遠なり。必ず二命有ること無くして、焉(すなわ)ち以て事を済すべし」と。王孫雒進み、顧みて諸大夫に揖(ゆう)して曰く、「危事は以て安と為すべからず、死事は以て生と為すべからずんば、則ち智を貴しと為すこと無からん。民の死を悪みて貴富にして以て長く没せんことを欲するや、我と同じ。然りと雖も、彼は其の国に近く、遷(うつ)ること有り。我は慮を絶ち、遷ること無し。彼豈に能く我と此の危事を行わんや。君に事うるの勇謀、此に於いて之を用いよ。今夕必ず挑戦して、以て民心を広くせん。請う王士を励まして、以て其の朋勢を奮わしめよ。之を勧むるに高位重畜を以てし、刑戮を備えて以て其の励まざる者を辱しめ、各々其の死を軽んぜしめよ。彼将に戦わずして我を先にせんとす。我既に諸侯の柄を執らば、歳の穫られざるを以て、誅すること有ること無くして、先ず之を罷めしめば、諸侯必ず説(よろこ)ばん。既にして皆其の地に入らば、王安んじて志を挺(ゆる)め、一日は惕(はや)く、一日は留(おそ)く、以て安んじて王の志を歩ましめよ。必ず設くるに此の民を以て、江・淮の閒に封ぜば、乃ち能く呉に至らん」と。呉王許諾す。
-
国語・呉語呉王夫差既に越の成を許し、乃ち大いに師徒を戒め、将に以て斉を伐たんとす。申胥進み諫めて曰く、「昔天越を以て呉に賜うも、王受けず。夫れ天命は反(かえ)ること有り。今越王句践恐懼して其の謀を改め、其の愆令(けんれい)を舎(す)て、其の征賦を軽くし、民の善しとする所を施し、民の悪む所を去り、身自ら約にし、其の衆庶を裕(ゆた)かにし、其の民殷衆にして、以て甲兵多し。越の呉に在るは、猶お人の腹心の疾有るがごとし。夫れ越王の呉を敗るを忘れざるや、其の心に於いて侙然(ちょくぜん)たり。士を服して以て吾が閒(すき)を伺う。今王越を是れ図らずして、斉・魯を以て憂いと為す。夫れ斉・魯は諸(これ)を疾に譬うれば、疥癬(かいせん)なり。豈に能く江・淮を渉りて我と此の地を争わんや。将に必ず越実に呉の土を有たんとす。 「王其れ盍ぞ亦人に鑑みて、水に鑑みること無からざる。昔楚の霊王君たらず、其の臣箴諫すれども以て入れず。乃ち台を章華の上に築き、闕(うが)ちて石郭を為(つく)り、漢を陂(つつみ)して、以て帝舜に象る。楚国を罷弊して、以て陳・蔡を閒(うかが)う。方城の内を修めず、諸夏を踰えて東国を図り、沮(しょ)・汾(ふん)に三歳にして以て呉・越を服せんとす。其の民饑労の殃(わざわい)に忍びず、三軍王に乾谿(かんけい)に叛く。王親ら独り行き、山林の中に屏営(へいえい)仿偟(ほうこう)し、三日にして乃ち其の涓人(けんじん)疇(ちゅう)を見る。王之を呼びて曰く、『余食らわざること三日なり』と。疇趨りて進み、王其の股を枕として以て地に寝ぬ。王寐(い)ぬるや、疇王を枕するに墣(つちくれ)を以てして之を去る。王覚めて見ること無きなり。乃ち匍匐して将に棘闈(きょくい)に入らんとす。棘闈納れず。乃ち芋尹(うい)申亥(しんがい)氏に入る。王縊(くび)る。申亥王を負いて以て帰り、之を其の室に土埋す。此の志や、豈に遽(にわ)かに諸侯の耳に忘れられんや。 「今王既に鯀・禹の功を変じて、高きを高くし下きを下くし、以て民を姑蘇に罷(つか)らす。天吾が食を奪い、都鄙荐(しき)りに饑う。今王将に天に很(もと)りて斉を伐たんとす。夫れ呉の民離る。体に傾く所有り。譬えば群獣の如く然り。一个(いっか)矢を負えば、将に百群皆奔らんとす。王其れ方(みち)の収むる無からん。越人必ず来たりて我を襲わん。王之を悔ゆと雖も、其れ猶お及ぶこと有らんや」と。 王聴かず。十二年、遂に斉を伐つ。斉人与(とも)に艾陵(がいりょう)に戦い、斉の師敗績し、呉人功有り。
-
国語・呉語呉王夫差既に斉人に艾陵に勝ち、乃ち行人奚斯(けいし)をして言を斉に釈(と)かしめて曰く、「寡人不腆(ふてん)の呉国の役を帥い、汶(ぶん)の上に遵(したが)い、敢えて左右せず、唯好(よしみ)の故なり。今大夫国子其の衆庶を興して、以て呉国の師徒を犯猟す。天若し罪有るを知らずんば、則ち何を以て下国をして勝たしめんや」と。
-
国語・呉語呉王夫差黄池より還り、民を息(やす)めて戒めず。越の大夫種乃ち謀を唱えて曰く、「吾謂えらく、呉王将に遂に吾が地に渉らんとすと。今師を罷めて戒めず、以て我を忘る。我以て怠るべからず。日(さき)に臣嘗て天に卜せり。今呉の民既に罷(つか)れて、大荒薦(しき)りに饑え、市に赤米無く、而して囷鹿(きんろく)空虚なり。其の民必ず移りて蒲蠃(ほら)に東海の浜に就かん。天占既に兆し、人事又見(あら)わる。我卜筮すること蔑(な)し。王若し今師を起こして以て会せば、之が利を奪い、夫(か)れをして悛(あらた)めしむること無からん。夫れ呉の辺鄙の遠き者は、罷(かえ)りて未だ至らず。呉王将に戦わざるを恥じて、必ず至るを須(ま)つの会をせずして、中国の師を以て我と戦わんとす。若し事幸いにして我に従わば、我遂に其の地を践まん。其の至る者も亦将に之れ会すること能わざらんのみ。吾禦児(ぎょじ)を用て之に臨まん。呉王若し慍りて又戦わば、奔(はし)りて遂に出ずべし。若し戦わずして成を結ばば、王安んじて厚く名を取りて之を去らん」と。越王曰く、「善いかな」と。乃ち大いに師を戒め、将に呉を伐たんとす。
-
国語・呉語是に於いて呉王師を起こし、江北に軍す。越王江南に軍す。越王乃ち其の師を中分して以て左右軍と為し、其の私卒君子六千人を以て中軍と為す。明日将に江に舟戦せんとし、昏に及んで、乃ち左軍をして枚(ばい)を銜(ふく)みて江を泝ること五里にして以て須(ま)たしめ、亦右軍をして枚を銜みて江を踰(わた)ること五里にして以て須たしむ。夜中、乃ち左軍・右軍に命じて江を渉り鼓を鳴らして水に中(あた)りて以て須たしむ。呉の師之を聞きて大いに駭きて曰く、「越人分かれて二師と為り、将に以て我が師を夾攻せんとす」と。乃ち旦を待たず、亦其の師を中分して、将に以て越を禦がんとす。越王乃ち其の中軍をして枚を銜みて潜かに渉り、鼓せず譟(さわ)がずして以て之を襲攻せしむ。呉の師大いに北(に)ぐ。越の左軍・右軍乃ち遂に渉りて之に従い、又大いに之を没(ぼつ)に敗り、又郊に之を敗る。三たび戦いて三たび北げ、乃ち呉に至る。越の師遂に呉国に入り、王台を囲む。 呉王懼れ、人をして成を行わしめて曰く、「昔不穀(ふこく)先に制を越君に委ね、君孤に告げて成を請い、男女服従す。孤越の先君を奈何(いかん)ともする無く、天の不祥を畏れ、敢えて祀を絶たず、君の成を許して、以て今に至る。今孤不道にして、罪を君王に得、君王以て親ら弊邑に辱くす。孤敢えて成を請う。男女服して臣御と為らん」と。越王曰く、「昔天越を以て呉に賜うも、呉受けず。今天呉を以て越に賜う。孤敢えて天の命を聴かずして、君の令を聴かんや」と。乃ち成を許さず。因りて人をして呉王に告げしめて曰く、「天呉を以て越に賜う。孤敢えて受けずんばあらず。民生の長からざるを以て、王其れ死すること無かれ。民の地上に生くるは、寓なり。其れ幾何ぞ。寡人其れ王を甬句東(ようこうとう)に達(いた)さん。夫婦三百、唯王の安んずる所にして、以て王の年を没えよ」と。夫差辞して曰く、「天既に禍を呉国に降す。前後に在らずして、孤の身に当たり、寔に宗廟社稷を失う。凡そ呉の土地人民、越既に之を有てり。孤何を以て天下に視(しめ)さん」と。夫差将に死せんとし、人をして子胥に説(つ)げしめて曰く、「死者をして知ること無からしめば、則ち已む。若し其れ知ること有らば、吾何の面目ありて以て員に見えんや」と。遂に自殺す。 越呉を滅ぼし、上(かみ)上国を征し、宋・鄭・魯・衛・陳・蔡の玉を執る君皆入朝す。夫れ唯能く其の群臣に下りて、以て其の謀を集めしが故なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る