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国語 / 楚語下

鬥且廷見令尹子常,子常與之語,問蓄貨聚馬。歸以語其弟,曰:「楚其亡乎!不然,令尹其不免乎。吾見令尹,令尹問蓄聚積實,如餓豺狼焉,殆必亡者也。 「夫古者聚貨不妨民衣食之利,聚馬不害民之財用,國馬足以行軍,公馬足以稱賦,不是過也。公貨足以賓獻,家貨足以共用,不是過也。夫貨、馬郵則闕於民,民多闕則有離叛之心,將何以封矣。 「昔鬥子文三舍令尹,無一日之積,恤民之故也。成王聞子文之朝不及夕也,於是乎每朝設脯一束、糗一筐,以羞子文。至於今秩之。成王每出子文之祿,必逃,王止而後復。人謂子文曰:『人生求富,而子逃之,何也?』對曰:『夫從政者,以庇民也。民多曠者,而我取富焉,是勤民以自封也,死無日矣。我逃死,非逃富也。』故莊王之世,滅若敖氏,唯子文之後在,至於今處鄖,為楚良臣。是不先恤民而後己之富乎? 「今子常,先大夫之後也,而相楚君無令名於四方。民之羸餒,日已甚矣。四境盈壘,道殣相望,盜賊司目,民無所放。是之不恤,而蓄聚不厭,其速怨於民多矣。積貨滋多,蓄怨滋厚,不亡何待。 「夫民心之慍也,若防大川焉,潰而所犯必大矣。子常其能賢於成、靈乎?成不禮於穆,願食熊蹯,不獲而死。靈不顧於民,一國棄之,如遺跡焉。子常為政,而無禮不顧甚於成、靈,其獨何力以待之!」期年,乃有柏舉之戰,子常奔鄭,昭王奔隨。

新字:鬥且廷見令尹子常,子常与之語,問蓄貨聚馬。帰以語其弟,曰:「楚其亡乎!不然,令尹其不免乎。吾見令尹,令尹問蓄聚積実,如餓豺狼焉,殆必亡者也。 「夫古者聚貨不妨民衣食之利,聚馬不害民之財用,国馬足以行軍,公馬足以称賦,不是過也。公貨足以賓献,家貨足以共用,不是過也。夫貨、馬郵則闕於民,民多闕則有離叛之心,将何以封矣。 「昔鬥子文三舎令尹,無一日之積,恤民之故也。成王聞子文之朝不及夕也,於是乎毎朝設脯一束、糗一筐,以羞子文。至於今秩之。成王毎出子文之禄,必逃,王止而後復。人謂子文曰:『人生求富,而子逃之,何也?』対曰:『夫従政者,以庇民也。民多曠者,而我取富焉,是勤民以自封也,死無日矣。我逃死,非逃富也。』故荘王之世,滅若敖氏,唯子文之後在,至於今処鄖,為楚良臣。是不先恤民而後己之富乎? 「今子常,先大夫之後也,而相楚君無令名於四方。民之羸餒,日已甚矣。四境盈塁,道殣相望,盗賊司目,民無所放。是之不恤,而蓄聚不厭,其速怨於民多矣。積貨滋多,蓄怨滋厚,不亡何待。 「夫民心之慍也,若防大川焉,潰而所犯必大矣。子常其能賢於成、霊乎?成不礼於穆,願食熊蹯,不獲而死。霊不顧於民,一国棄之,如遺跡焉。子常為政,而無礼不顧甚於成、霊,其独何力以待之!」期年,乃有柏舉之戦,子常奔鄭,昭王奔随。

書き下し

闘且(とうしょ)令尹子常に廷見す。子常之と語り、貨を蓄え馬を聚むることを問う。帰りて以て其の弟に語りて曰く、「楚其れ亡びんか。然らずんば、令尹其れ免れざらん。吾令尹に見ゆるに、令尹蓄聚積実を問うこと、餓えたる豺狼(さいろう)の如し。殆ど必ず亡びん者なり。 「夫れ古は貨を聚むるも民の衣食の利を妨げず、馬を聚むるも民の財用を害せず。国馬は以て軍を行るに足り、公馬は以て賦に称(かな)うに足る、是に過ぎず。公貨は以て賓献に足り、家貨は以て共用に足る、是に過ぎず。夫れ貨・馬郵(す)ぐれば則ち民に闕く。民多く闕けば則ち離叛の心有り、将に何を以て封ぜん。 「昔闘子文三たび令尹を舎(す)てて、一日の積無し、民を恤(あわれ)むの故なり。成王子文の朝に夕に及ばざるを聞き、是に於てか朝ごとに脯(ほ)一束・糗(きゅう)一筐(きょう)を設けて、以て子文に羞(すす)む。今に至るまで之を秩す。成王子文の禄を出だすごとに、必ず逃る。王止めて而る後に復る。人子文に謂いて曰く、『人生は富を求む、而るに子之を逃るるは、何ぞや』と。対えて曰く、『夫れ政に従う者は、以て民を庇(おお)うなり。民曠(むな)しき者多くして、我富を取らば、是れ民を勤めて以て自ら封(こ)やすなり、死日無けん。我は死を逃るるなり、富を逃るるに非ざるなり』と。故に荘王の世、若敖氏を滅ぼすも、唯だ子文の後のみ在り、今に至るまで鄖(うん)に処り、楚の良臣と為る。是れ先ず民を恤みて己の富を後にするにあらずや。 「今子常は、先大夫の後なり。而るに楚君に相として令名四方に無し。民の羸餒(るいだい)、日に已に甚だし。四境塁に盈ち、道殣(どうきん)相望み、盗賊目を司(うかが)い、民放(よ)る所無し。是を之れ恤まずして、蓄聚厭かず、其の怨みを民に速(まね)くこと多し。積貨滋(ますます)多ければ、蓄怨滋厚し。亡びずして何をか待たん。 「夫れ民心の慍(いか)るや、大川を防ぐが若し。潰(つい)ゆれば犯す所必ず大なり。子常其れ能く成・霊より賢ならんか。成は穆に礼せず、熊蹯(ゆうはん)を食わんことを願うも、獲ずして死す。霊は民を顧みず、一国之を棄つること、遺跡の如し。子常政を為して、無礼不顧、成・霊より甚だし。其れ独り何の力を以てか之を待たん」と。期年にして、乃ち柏挙(はくきょ)の戦い有り。子常鄭に奔り、昭王随に奔る。

現代語訳

闘且(楚の大夫)が朝廷で令尹の子常(囊瓦)に会った。子常は闘且と語り合い、財貨を蓄え馬を集める方法を尋ねた。闘且は家に帰ると弟に言った。「楚は滅びるのではないか。そうでなければ、令尹が災いを免れないだろう。令尹に会ったところ、財を蓄え実入りを積み上げることばかり尋ね、その様子はまるで飢えた山犬や狼のようだった。きっと滅びる人だ。 「昔は財貨を集めても民の衣食の利を妨げず、馬を集めても民の財を損なわなかった。国の馬は軍を動かすのに足り、公卿の馬は定められた軍役を果たすのに足りればよく、それ以上は求めなかった。公の財貨は賓客への贈り物に足り、家の財貨は日々の用に足りればよく、それ以上は求めなかった。財貨や馬が度を越せば、民の側が欠ける。民の多くが欠ければ、離れ背く心が生じる。そうなれば何によって国を保てようか。 「昔、闘子文は三度令尹を辞めたが、一日分の蓄えもなかった。民を哀れんでいたからだ。成王は子文が朝の食事はあっても夕の食事に事欠くと聞いて、毎朝干し肉一束と干し飯一籠を用意して子文に贈らせた。それは今でも令尹の俸禄として定められている。成王が子文に禄を与えようとするたびに、子文は必ず逃げ隠れ、王が取りやめると戻ってきた。ある人が子文に言った。『人は生きていれば富を求めるものなのに、あなたはそれから逃げるのはなぜですか。』子文は答えた。『政治に携わる者は、民を守るためにいる。民に貧しい者が多いのに、自分が富を取れば、民を苦しめて自分を肥やすことになる。それでは死ぬ日も遠くない。私は死から逃げているのであって、富から逃げているのではない。』だから荘王の世に若敖氏が滅ぼされたときも、子文の子孫だけは残され、今に至るまで鄖に住み、楚のよい臣となっている。これはまず民を哀れみ、自分の富を後回しにしたからではないか。 「いま子常は、先の大夫の子孫でありながら、楚の君の宰相として四方によい評判がない。民の痩せ衰えと飢えは、日ごとにひどくなっている。国境には砦がひしめき、道には飢え死にした者の屍が並び、盗賊が隙をうかがって、民は頼るところがない。それを哀れもうともせず、蓄えることに飽きることがない。民の恨みを招くことが多すぎる。財を積めば積むほど、恨みも厚く積もる。滅びないで何を待つというのか。 「民の心の怒りは、大河をせき止めているようなものだ。堤が崩れれば、その被害は必ず大きい。子常は成王や霊王より賢いだろうか。成王は子の穆王に礼を欠いたため、熊の掌を食べたいと願いながら得られずに死んだ。霊王は民を顧みなかったため、国じゅうから見捨てられ、まるで足跡を置き去りにするようだった。子常の政治は、無礼で民を顧みない点で成王や霊王よりひどい。いったい一人でどんな力をもってそれに立ち向かうつもりなのか。」一年後、柏挙の戦いが起こり、子常は鄭に逃げ、昭王は随に逃げた。

解説

楚の大夫闘且が、令尹子常(囊瓦)に面会して財や馬の蓄え方ばかり尋ねられ、家に帰って弟に楚の危うさを語った話である。闘且は、古の蓄えは用に足りるだけで民を損なわなかったと述べ、同じ一族の先祖闘子文を対比に出す。子文は三度令尹となりながら一日の蓄えもなく、禄を与えられると逃げ隠れし、民が貧しいのに富を取れば死ぬ日も遠くないと言った。この清廉ゆえに、若敖氏が滅ぼされても子文の家だけは残されたのである。子常はその逆で、民が飢えて道に屍が並ぶのに蓄えに飽きない。「積貨滋多ければ、蓄怨滋厚し」の対句が章の核心である。一年後、呉との柏挙の戦いで楚は大敗し、子常は鄭に逃れたことが『春秋左氏伝』定公四年にも見える。蓄えることそのものではなく、誰の犠牲で蓄えているかを問うべきだと教えている。

この章句が説くこと

国語楚語民清廉蓄財

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