国語 / 楚語上
「齊桓、晉文,皆非嗣也,還軫諸侯,不敢淫逸,心類德音,以德有國。近臣諫,遠臣謗,輿人誦,以自誥也。是以其入也,四封不備一同,而至於有畿田,以屬諸侯,至於今為令君。桓、文皆然,君不度憂於二令君,而欲自逸也,無乃不可乎?周詩有之曰:『弗躬弗親,庶民弗信。』臣懼民之不信君也,故不敢不言。不然,何急其以言取罪也?」 王病之,曰:「子復語。不穀雖不能用,吾憖寘之於耳。」對曰:「賴君用之也,故言。不然,巴浦之犀、犛、兕、象,其可盡乎,其又以規為瑱也?」遂趨而退,歸,杜門不出。七月,乃有乾谿之亂,靈王死之。
新字:「斉桓、晋文,皆非嗣也,還軫諸侯,不敢淫逸,心類徳音,以徳有国。近臣諫,遠臣謗,輿人誦,以自誥也。是以其入也,四封不備一同,而至於有畿田,以属諸侯,至於今為令君。桓、文皆然,君不度憂於二令君,而欲自逸也,無乃不可乎?周詩有之曰:『弗躬弗親,庶民弗信。』臣懼民之不信君也,故不敢不言。不然,何急其以言取罪也?」 王病之,曰:「子復語。不穀雖不能用,吾憖寘之於耳。」対曰:「頼君用之也,故言。不然,巴浦之犀、犛、兕、象,其可尽乎,其又以規為瑱也?」遂趨而退,帰,杜門不出。七月,乃有乾谿之乱,霊王死之。
書き下し
「斉桓・晋文は、皆嗣に非ざるなり。軫(しん)を諸侯に還らし、敢えて淫逸せず、心徳音に類し、徳を以て国を有つ。近臣は諫め、遠臣は謗り、輿人は誦し、以て自ら誥(いまし)む。是を以て其の入るや、四封一同に備(み)たずして、畿田を有つに至り、以て諸侯を属(あつ)め、今に至るまで令君たり。桓・文皆然り。君二令君に憂いを度(はか)らずして、自ら逸せんと欲す、乃ち不可なる無からんや。周詩に之有りて曰く、『躬(み)ずからせず親らせずんば、庶民信ぜず』と。臣民の君を信ぜざるを懼る、故に敢えて言わずんばあらず。然らずんば、何ぞ其の言を以て罪を取るを急がんや」と。 王之を病みて曰く、「子復た語れ。不穀用うること能わずと雖も、吾憖(ねが)わくは之を耳に寘(お)かん」と。対えて曰く、「君の之を用いんことを頼む、故に言う。然らずんば、巴浦(はほ)の犀・犛(り)・兕(じ)・象、其れ尽くすべけんや、其れ又規を以て瑱(てん)と為さんや」と。遂に趨りて退き、帰りて門を杜(と)じて出でず。七月にして、乃ち乾谿(かんけい)の乱有り、霊王之に死す。
現代語訳
(白公子張は続けた。)「斉の桓公と晋の文公は、どちらも正統な跡継ぎではありませんでした。長く諸侯の国々を巡り歩いた末に国に戻り、決して怠けたり遊び耽ったりせず、心を徳ある言葉に合わせ、徳によって国を保ちました。身近な臣は諫め、遠くの臣は批判し、車を引く者たちまでが歌にして誦し、それを聞いて自らを戒めたのです。だから、国に入ったときには領土が百里四方にも満たなかったのに、ついには千里の畿内を持つほどになり、諸侯を集めて盟主となり、今に至るまで立派な君と称えられています。桓公も文公もそうでした。わが君はこの二人の立派な君のように憂えることをなさらず、自分だけ安楽にしようとしておられますが、それでよいのでしょうか。周の詩に『自ら身をもって行わなければ、民は信じない』とあります。私は民が君を信じなくなることを恐れています。だから言わずにはいられないのです。そうでなければ、どうして好きこのんで言葉のために罪を得ようとしましょうか。」 王はこれに困り、言った。「そなたはまた言うがよい。わしは用いることはできないが、せめて耳には入れておきたい。」子張は答えた。「君が用いてくださることを当てにしているから申し上げるのです。そうでなければ、巴の水辺の犀や犛牛や兕や象の牙角をいくら集めても尽きないというのに、そのうえ諫めの言葉まで耳栓にしようというのですか。」そう言うと足早に退出し、家に帰って門を閉ざし、二度と出てこなかった。七か月後、乾谿の乱が起こり、霊王はそのために死んだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』哀公十六年 葉公、勝を危ぶむ邑人、之を訴ふ。鄭人、之を省みて、晉の諜を得たり。遂に子木を殺す。其の子を勝と曰ふ。吳に在り。子西、之を召さんと欲す。葉公曰く、「吾聞く、勝や詐にして亂なり、と。乃ち害無からんや」と。子西曰く、「吾聞く、勝や信にして勇なり、不利を為さず、と。諸を邊竟に舍き、藩を衛らしめん」と。葉公曰く、「仁に周き、之を信と謂ふ。義に率ふ、之を勇と謂ふ。吾聞く、勝や言を復むことを好みて、死士を求む、と。殆ど私有らんか。言を復むは信に非ざるなり。死を期するは勇に非ざるなり。子必ず之を悔いん」と。從はず。之を召して吳の竟に處らしめ、白公と為す。鄭を伐たんと請ふ。子西曰く、「楚未だ節あらざるなり。然らずんば、吾忘れざるなり」と。他日又請ふ。之を許す。未だ師を起さざるに、晉人鄭を伐つ。楚之を救ひ、之と盟ふ。勝怒りて曰く、「鄭人此に在り。讎遠からず」と。勝自ら劍を厲ぐ。子期の子平、之を見る。
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史記 殷本紀紂曰く、「我生まれて命の天に在る有らずや」と。祖伊反りて、曰く、「紂諫む可からず」と。西伯既に卒し、周の武王の東伐して、盟津に至る。諸侯の殷に叛きて周に会する者八百。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「爾未だ天命を知らず」と。乃ち復た帰る。紂愈淫乱して止まず。微子数諫むるも聴かず、乃ち大師・少師と謀り、遂に去る。比干曰く、「人臣為る者は、死を以て争はざるを得ず」と。迺ち強ひて紂を諫む。紂怒りて曰く、「吾聞く、聖人の心に七竅有りと」と。比干を剖き、其の心を観る。箕子懼れ、乃ち詳狂して奴と為る。紂又之を囚ふ。殷の大師・少師乃ち其の祭楽器を持ちて周に奔る。周の武王是に於て遂に諸侯を率ゐて紂を伐つ。紂も亦兵を発して之を牧野に距ぐ。甲子の日、紂の兵敗る。紂走り、入りて鹿台に登り、其の宝玉の衣を衣て、火に赴きて死す。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 白起王翦列伝是の時、武安君病み、行くに任へず。四十九年正月、陵、邯鄲を攻むるも、利少なし。秦益々兵を発して陵を佐く。陵の兵、五校を亡ふ。武安君病愈ゆ、秦王、武安君をして陵に代はりて将たらしめんと欲す。武安君言ひて曰く、「邯鄲は実に未だ攻め易からざるなり。且つ諸侯の救ひ日に至らん。彼の諸侯の秦を怨むの日久し。今、秦は長平の軍を破ると雖も、秦の卒の死する者は半ばを過ぎ、国内空し。遠く河山を絶りて人の国都を争はば、趙はその内に応じ、諸侯はその外を攻めん。秦の軍を破ること必せり。不可なり」と。秦王自ら命ずるも、行かず。乃ち応侯をしてこれを請はしむ、武安君終に辞して行くことを肯んぜず、遂に病と称す。秦王、王齕をして陵に代はりて将たらしめ、八九月、邯鄲を囲むも、抜く能はず。楚、春申君及び魏の公子をして兵数十万を将ゐて秦の軍を攻めしむ、秦の軍失亡多し。武安君言ひて曰く、「秦、臣の計を聴かず、今如何ぞや」と。秦王これを聞きて怒り、彊ひて武安君を起こす、武安君遂に病甐しと称す。応侯これを請ふも、起たず。是に於いて武安君を免じて士伍と為し、これを陰密に遷す。武安君病み、未だ行く能はず。居ること三月、諸侯秦の軍を攻むること急にして、秦の軍数々卻き、使者日に至る。秦王乃ち人をして白起を遣らしめ、咸陽の中に留まるを得ざらしむ。武安君既に行き、咸陽の西門を出づること十里、杜郵に至る。秦の昭王、応侯・群臣と議して曰く、「白起の遷るや、その意尚ほ怏怏として服せず、余言有り」と。秦王乃ち使者をしてこれに剣を賜ひ、自裁せしむ。武安君、剣を引きて将に自ら剄ねんとして、曰く、「我何の罪ありて天に于いて此に至るや」と。良久しくして、曰く、「我固より当に死すべし。長平の戦ひ、趙の卒の降る者数十万人、我詐りて尽くこれを阬にす、是れ以て死するに足る」と。遂に自殺す。武安君の死するや、秦の昭王五十年十一月を以てす。死して其の罪に非ず、秦人これを憐れみ、郷邑皆これを祭祀す。
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史記 張丞相列伝帝、太子を廃して、戚姫の子如意を立てて太子と為さんと欲するに及び、大臣固く之を争へども、能く得る莫し。上、留侯の策を以て即ち止む。而して周昌廷に之を争ふこと彊し。上其の説を問ふ。昌は人と為り吃(ども)りにして、又盛んに怒りて曰く、「臣の口は言ふこと能はず。然れども臣期期として其の不可なるを知る。陛下太子を廃せんと欲すと雖も、臣期期として詔を奉ぜず」と。上欣然として笑ふ。既に罷むるや、呂后東箱に耳を側てて聴き、周昌を見て、為に跪きて謝して曰く、「君微(な)かりせば、太子幾(ほと)んど廃せられん」と。是の後戚姫の子如意、趙王と為り、
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史記 田叔列伝魯の相初めて到るや、民自ら相に言ひ、王の其の財物を取るを訟ふる者百余人。田叔其の渠率二十人を取り、各々笞うつこと五十、余は各々搏つこと二十、之を怒りて曰く、「王は若の主に非ずや。何ぞ自ら敢へて若の主を言ふ」と。魯王之を聞きて大いに慚ぢ、中府の銭を発し、相をして之を償はしむ。相曰く、「王自ら之を奪ひ、相をして之を償はしむるは、是れ王悪を為して相善を為すなり。相は与に之を償ふ毋し」と。是に於て王乃ち尽く之を償ふ。魯王猟を好み、相常に従ひて苑中に入る。王輒ち相を休ませて館舎に就かしむ。相出でて、常に暴坐して王を苑外に待つ。王数々人をして相に休まんことを請はしむるも、終に休まず。曰く、「我が王苑中に暴露す。我独り何為れぞ舎に就かん」と。魯王故を以て大いには出游せず。
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