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国語 / 楚語上

「昔雍子之父兄譖雍子於恭王,王弗是,雍子奔晉,晉人用之。及鄢之役,晉將遁矣,雍子與於軍事,謂欒書曰:『楚師可料也,在中軍王族而已。若易中下,楚必歆之。若合而陷吾中,吾上下必敗其左右,則三萃以攻其王族,必大敗之。』欒書從之,大敗楚師,王親面傷,則雍子之為也。 「昔陳公子夏為御叔娶於鄭穆公,生子南。子南之母亂陳而亡之,使子南戮於諸侯。莊王既以夏氏之室賜申公巫臣,則又畀之子反,卒於襄老。襄老死于邲,二子爭之,未有成。恭王使巫臣聘於齊,以夏姬行,遂奔晉。晉人用之,寔通吳、晉,使其子狐庸為行人於吳,而教之射御,導之伐楚。至于今為患,則申公巫臣之為也。 「今椒舉娶於子牟,子牟得罪而亡,執政弗是,謂椒舉曰:『女實遣之。』彼懼而奔鄭,緬然引領南望,曰:『庶幾赦吾罪。』又不圖也,乃遂奔晉,晉人又用之矣。彼若謀楚,其亦必有豐敗也哉。」 子木愀然,曰:「夫子何如,召之其來乎?」對曰:「亡人得生,又何不來為?」子木曰:「不來,則若之何?」對曰:「夫子不居矣,春秋相事,以還軫於諸侯。若資東陽之盜使殺之,其可乎?不然,不來矣。」子木曰:「不可。我為楚卿,而賂盜以賊一夫於晉,非義也。子為我召之,吾倍其室。」乃使椒鳴召其父而復之。

新字:「昔雍子之父兄譖雍子於恭王,王弗是,雍子奔晋,晋人用之。及鄢之役,晋将遁矣,雍子与於軍事,謂欒書曰:『楚師可料也,在中軍王族而已。若易中下,楚必歆之。若合而陥吾中,吾上下必敗其左右,則三萃以攻其王族,必大敗之。』欒書従之,大敗楚師,王親面傷,則雍子之為也。 「昔陳公子夏為御叔娶於鄭穆公,生子南。子南之母乱陳而亡之,使子南戮於諸侯。荘王既以夏氏之室賜申公巫臣,則又畀之子反,卒於襄老。襄老死于邲,二子争之,未有成。恭王使巫臣聘於斉,以夏姫行,遂奔晋。晋人用之,寔通呉、晋,使其子狐庸為行人於呉,而教之射御,導之伐楚。至于今為患,則申公巫臣之為也。 「今椒舉娶於子牟,子牟得罪而亡,執政弗是,謂椒舉曰:『女実遣之。』彼懼而奔鄭,緬然引領南望,曰:『庶幾赦吾罪。』又不図也,乃遂奔晋,晋人又用之矣。彼若謀楚,其亦必有豊敗也哉。」 子木愀然,曰:「夫子何如,召之其来乎?」対曰:「亡人得生,又何不来為?」子木曰:「不来,則若之何?」対曰:「夫子不居矣,春秋相事,以還軫於諸侯。若資東陽之盗使殺之,其可乎?不然,不来矣。」子木曰:「不可。我為楚卿,而賂盗以賊一夫於晋,非義也。子為我召之,吾倍其室。」乃使椒鳴召其父而復之。

書き下し

「昔雍子(ようし)の父兄雍子を恭王に譖す。王是さず。雍子晋に奔り、晋人之を用う。鄢(えん)の役に及び、晋将に遁れんとす。雍子軍事に与り、欒書(らんしょ)に謂いて曰く、『楚の師は料るべきなり、中軍の王族に在るのみ。若し中下を易(か)えなば、楚必ず之を歆(むさぼ)らん。若し合して吾が中を陥れなば、吾が上下必ず其の左右を敗らん。則ち三萃(さんすい)して以て其の王族を攻めば、必ず大いに之を敗らん』と。欒書之に従い、大いに楚師を敗る。王親ら面を傷つく。則ち雍子の為なり。 「昔陳の公子夏御叔の為に鄭の穆公に娶り、子南を生む。子南の母陳を乱して之を亡ぼし、子南をして諸侯に戮せしむ。荘王既に夏氏の室を以て申公巫臣(ふしん)に賜い、則ち又之を子反に畀(あた)え、襄老に卒(お)う。襄老邲(ひつ)に死し、二子之を争いて、未だ成る有らず。恭王巫臣をして斉に聘せしむ。夏姫を以て行き、遂に晋に奔る。晋人之を用い、寔に呉・晋を通じ、其の子狐庸(こよう)をして呉に行人たらしめ、之に射御を教え、之を導きて楚を伐たしむ。今に至るまで患いを為す。則ち申公巫臣の為なり。 「今椒挙子牟に娶る。子牟罪を得て亡ぐ。執政是さず、椒挙に謂いて曰く、『女(なんじ)実に之を遣れり』と。彼懼れて鄭に奔り、緬然(めんぜん)として領を引きて南望し、曰く、『庶幾(こいねが)わくは吾が罪を赦されん』と。又図らざるなり、乃ち遂に晋に奔らんとす。晋人又之を用いん。彼若し楚を謀らば、其れ亦必ず豊敗有らんかな」と。 子木愀然(しゅうぜん)として曰く、「夫子何如、之を召さば其れ来らんか」と。対えて曰く、「亡人生くるを得ば、又何ぞ来らざらんや」と。子木曰く、「来らずんば、則ち若之何」と。対えて曰く、「夫子居らず、春秋相事えて、以て軫(しん)を諸侯に還らさん。若し東陽の盗に資して之を殺さしめば、其れ可ならんか。然らずんば、来らざらん」と。子木曰く、「不可なり。我楚の卿と為りて、盗に賂して以て一夫を晋に賊(そこな)うは、義に非ざるなり。子我が為に之を召せ、吾其の室を倍せん」と。乃ち椒鳴(しょうめい)をして其の父を召して之を復せしむ。

現代語訳

(声子は続けた。)「昔、雍子の父や兄が雍子を恭王に讒言し、王はその無実を正しませんでした。雍子は晋に逃げ、晋の人々は彼を用いました。鄢陵の戦いの時、晋軍は退却しかけていましたが、雍子は軍議に加わり、欒書(晋の中軍の将)にこう言いました。『楚軍の手の内は読めます。精兵は中軍の王族の兵だけです。わが中軍の下の陣立てを入れ替えて見せれば、楚は必ず欲を出して攻めてくるでしょう。楚が兵を合わせてわが中軍に攻め込めば、わが上軍と下軍が必ず楚の左右の軍を破ります。そのうえで三軍を集めて王族の兵を攻めれば、必ず大勝できます。』欒書はこれに従って楚軍を大いに破り、恭王は自ら顔に傷を負いました。これは雍子のしわざなのです。 「昔、陳の公子夏が子の御叔のために鄭の穆公の娘(夏姫)を娶らせ、子南(夏徴舒)が生まれました。子南の母は陳を乱して滅亡に追いやり、子南は諸侯の手で殺されることになりました。荘王はそののち夏氏の家(夏姫)を申公巫臣に与えようとしましたが、また子反に与えようとし、結局は襄老のものとなりました。襄老が邲の戦いで死ぬと、巫臣と子反の二人が夏姫を争い、決着がつきませんでした。恭王が巫臣を斉への使者に立てると、巫臣は夏姫を連れて出かけ、そのまま晋に逃げました。晋の人々は彼を用い、巫臣は呉と晋を結びつけ、子の狐庸を呉への使者として送り、呉に射術と車の御し方を教え、呉を導いて楚を討たせました。今に至るまで楚の患いとなっているのは、申公巫臣のしわざなのです。 「いま椒挙は子牟の娘を妻にしていましたが、子牟が罪を得て逃げると、執政はその真偽を正さず、椒挙に『お前が逃がしたのだ』と言いました。椒挙は恐れて鄭に逃げ、はるかに首を伸ばして南の楚を望み、『どうか罪を許されたい』と言っていました。それなのに楚は何の手も打たないので、ついに晋へ逃げようとしています。晋の人々はまた彼を用いるでしょう。彼がもし楚に対して謀をめぐらせたら、楚はきっと大敗するに違いありません。」 子木は顔色を変えて言った。「あの人を呼び戻したら、帰ってくるだろうか。」声子は答えた。「亡命者が生きて帰れるのなら、どうして帰らないことがありましょう。」子木は言った。「帰って来なければ、どうする。」声子は答えた。「あの人は一か所にとどまらず、四季ごとに諸侯のもとを使者として巡るでしょう。東陽の盗賊に賄賂を渡して殺させれば、できないこともないでしょう。そうでなければ、帰ってこないでしょう。」子木は言った。「それはいけない。わたしは楚の卿でありながら、盗賊に賄賂を贈って晋にいる一人の男を殺させるなど、義にもとる。あなたがわたしのために彼を呼び戻してくれ。家禄を倍にしよう。」そこで椒鳴(椒挙の子)に父を呼び戻させ、元の地位に戻した。

解説

声子が令尹子木に説いた「楚材晋用」の後半と結末である。声子はさらに、讒言で追われた雍子が鄢陵の戦いで晋に楚軍の急所を教えて恭王に傷を負わせたこと、夏姫をめぐって楚を去った申公巫臣が呉と晋を結び、呉に戦い方を教えて楚の長い患いを作ったことを挙げる。そして最後に、いま晋へ向かおうとしている椒挙もまた同じ道をたどると結び、話の本題に着地させる。子木は動揺し、帰らなければ刺客で殺す手もあると試すように言われても、それは義にもとると退け、禄を倍にして呼び戻した。椒挙は伍挙とも呼ばれ、その孫が伍子胥である。のちに伍子胥が楚を追われて呉に仕え、楚の都を落としたことを思うと、この警告の重さはいっそう深い。人を失ってからでは遅いと気づいた長は、面子より先に呼び戻す手を打つべきである。

この章句が説くこと

国語楚語人材義楚材晋用

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