国語 / 晋語四
元年春,公及夫人嬴氏至自王城。秦伯納衛三千人,實紀綱之僕。公屬百官,賦職任功。棄責薄斂,施舍分寡。救乏振滯,匡困資無。輕關易道,通商寬農。懋穡勸分,省用足財。利器明德,以厚民性。舉善援能,官方定物,正名育類。昭舊族,愛親戚,明賢良,尊貴寵,賞功勞,事耇老,禮賓旅,友故舊。胥、籍、狐、箕、欒、郤、柏、先、羊舌、董、韓,寔掌近官。諸姬之良,掌其中官。異姓之能,掌其遠官。公食貢,大夫食邑,士食田,庶人食力,工商食官,皁隸食職,官宰食加。政平民阜,財用不匱。 冬,襄王避昭叔之難,居于鄭地汜。使來告難,亦使告于秦。子犯曰:「民親而未知義也,君盍納王以教之義。若不納,秦將納之,則失周矣,何以求諸侯?不能修身而又不能宗人,人將焉依?繼文之業,定武之功,啟土安疆,於此乎在矣,君其務之。」公說,乃行賂于草中之戎與麗土之狄,以啟東道。
新字:元年春,公及夫人嬴氏至自王城。秦伯納衛三千人,実紀綱之僕。公属百官,賦職任功。棄責薄斂,施舎分寡。救乏振滞,匡困資無。軽関易道,通商寛農。懋穡勧分,省用足財。利器明徳,以厚民性。舉善援能,官方定物,正名育類。昭旧族,愛親戚,明賢良,尊貴寵,賞功労,事耇老,礼賓旅,友故旧。胥、籍、狐、箕、欒、郤、柏、先、羊舌、董、韓,寔掌近官。諸姫之良,掌其中官。異姓之能,掌其遠官。公食貢,大夫食邑,士食田,庶人食力,工商食官,皁隸食職,官宰食加。政平民阜,財用不匱。 冬,襄王避昭叔之難,居于鄭地汜。使来告難,亦使告于秦。子犯曰:「民親而未知義也,君盍納王以教之義。若不納,秦将納之,則失周矣,何以求諸侯?不能修身而又不能宗人,人将焉依?継文之業,定武之功,啓土安疆,於此乎在矣,君其務之。」公説,乃行賂于草中之戎与麗土之狄,以啓東道。
書き下し
元年春、公夫人嬴氏(えいし)と王城より至る。秦伯衛(まもり)三千人を納る、実に紀綱の僕なり。公百官を属(あつ)め、職を賦(さず)け功に任ず。責(せめ)を棄て斂(れん)を薄くし、施舎して寡を分かつ。乏しきを救い滞(とどこお)れるを振(すく)い、困しめるを匡(ただ)し無きを資く。関を軽くし道を易(おさ)め、商を通じ農を寛くす。穡(しょく)を懋(つと)め分かつことを勧め、用を省き財を足らす。器を利し徳を明らかにし、以て民の性を厚くす。善を挙げ能を援(ひ)き、官方して物を定め、名を正し類を育つ。旧族を昭らかにし、親戚を愛し、賢良を明らかにし、貴寵を尊び、功労を賞し、耇老(こうろう)に事え、賓旅を礼し、故旧を友とす。胥・籍・狐・箕・欒・郤・柏・先・羊舌・董・韓、寔(まこと)に近官を掌る。諸姫の良、其の中官を掌る。異姓の能、其の遠官を掌る。公は貢に食み、大夫は邑に食み、士は田に食み、庶人は力に食み、工商は官に食み、皁隷(そうれい)は職に食み、官宰は加に食む。政平らかにして民阜(やす)く、財用匱(とぼ)しからず。 冬、襄王昭叔(しょうしゅく)の難を避け、鄭の地の汜(はん)に居る。来たりて難を告げしめ、亦秦に告げしむ。子犯曰く、「民親しめども未だ義を知らず、君盍ぞ王を納れて以て之に義を教えざる。若し納れずんば、秦将に之を納れんとす、則ち周を失わん、何を以て諸侯を求めん。身を修むること能わずして又人に宗とせらるること能わずんば、人将に焉にか依らん。文の業を継ぎ、武の功を定め、土を啓き疆(さかい)を安んずるは、此に在るか、君其れ之を務めよ」と。公説(よろこ)び、乃ち賂(まいない)を草中の戎と麗土の狄とに行い、以て東道を啓く。
現代語訳
文公元年の春、公は夫人の嬴氏(懐嬴)とともに王城(秦の地)から帰ってきた。秦伯は護衛の兵三千人を晋に送り込んだ。国の綱紀を守るための者たちである。公は百官を集め、職務を授け、功ある者を任用した。古い負債を帳消しにして税を軽くし、恩恵を施して禁令をゆるめ、乏しい者には財を分け与えた。窮乏した者を救い、埋もれていた人材を引き上げ、困っている者を助け、持たない者に元手を与えた。関所の税を軽くして道を整え、商いを通じさせ農民の負担をゆるめた。農事に励ませ、互いに分け合うよう勧め、費用を切り詰めて財を満たした。道具を便利にして徳を明らかにし、民の暮らしと心を厚くした。善い人を挙げ有能な人を引き立て、官職の常道を立てて事務を定め、上下の名分を正して善を育てた。功ある旧臣の一族を顕彰し、親族を愛し、賢良な者を明らかにし、身分の高い者や寵臣を尊び、功労に賞を与え、老人に仕え、賓客や旅人を礼遇し、旧友と親しくした。胥・籍・狐・箕・欒・郤・柏・先・羊舌・董・韓の十一の旧家が、朝廷の近くの官職をつかさどった。同姓の姫氏の優れた者は宮中の官職をつかさどり、異姓の有能な者は地方の官職をつかさどった。公は諸侯からの貢ぎ物で暮らし、大夫は領邑で、士は田地で、庶民は自分の労働で、職人と商人は官から与えられるもので、下働きの者は職務に応じた禄で、家臣は大夫の加増の田で暮らした。政治は公平で民は安らかになり、財用は乏しくならなかった。 その冬、周の襄王は弟の昭叔(太叔帯)の乱を避けて、鄭の地の汜に身を寄せていた。王は使者を遣わして晋に難を告げ、秦にも告げさせた。子犯が言った。「民は君に親しんでいますが、まだ義を知りません。君はどうして王を都に迎え入れて、民に義を教えないのですか。もし晋が迎え入れなければ、秦が迎え入れるでしょう。そうなれば周の信頼を失い、何によって諸侯を従えられましょう。自らの身を修めることもできず、人から尊ばれることもできないようでは、人は何を頼りにしましょうか。文侯の事業を受け継ぎ、武公の功業を固め、領土を広げて国境を安んずる道は、まさにここにあるのです。君はぜひこれに力を尽くしてください。」公は喜び、草中の戎と麗土の狄に贈り物をして、東への道を開いた。
解説
この章句が説くこと
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国語・楚語上「昔雍子(ようし)の父兄雍子を恭王に譖す。王是さず。雍子晋に奔り、晋人之を用う。鄢(えん)の役に及び、晋将に遁れんとす。雍子軍事に与り、欒書(らんしょ)に謂いて曰く、『楚の師は料るべきなり、中軍の王族に在るのみ。若し中下を易(か)えなば、楚必ず之を歆(むさぼ)らん。若し合して吾が中を陥れなば、吾が上下必ず其の左右を敗らん。則ち三萃(さんすい)して以て其の王族を攻めば、必ず大いに之を敗らん』と。欒書之に従い、大いに楚師を敗る。王親ら面を傷つく。則ち雍子の為なり。 「昔陳の公子夏御叔の為に鄭の穆公に娶り、子南を生む。子南の母陳を乱して之を亡ぼし、子南をして諸侯に戮せしむ。荘王既に夏氏の室を以て申公巫臣(ふしん)に賜い、則ち又之を子反に畀(あた)え、襄老に卒(お)う。襄老邲(ひつ)に死し、二子之を争いて、未だ成る有らず。恭王巫臣をして斉に聘せしむ。夏姫を以て行き、遂に晋に奔る。晋人之を用い、寔に呉・晋を通じ、其の子狐庸(こよう)をして呉に行人たらしめ、之に射御を教え、之を導きて楚を伐たしむ。今に至るまで患いを為す。則ち申公巫臣の為なり。 「今椒挙子牟に娶る。子牟罪を得て亡ぐ。執政是さず、椒挙に謂いて曰く、『女(なんじ)実に之を遣れり』と。彼懼れて鄭に奔り、緬然(めんぜん)として領を引きて南望し、曰く、『庶幾(こいねが)わくは吾が罪を赦されん』と。又図らざるなり、乃ち遂に晋に奔らんとす。晋人又之を用いん。彼若し楚を謀らば、其れ亦必ず豊敗有らんかな」と。 子木愀然(しゅうぜん)として曰く、「夫子何如、之を召さば其れ来らんか」と。対えて曰く、「亡人生くるを得ば、又何ぞ来らざらんや」と。子木曰く、「来らずんば、則ち若之何」と。対えて曰く、「夫子居らず、春秋相事えて、以て軫(しん)を諸侯に還らさん。若し東陽の盗に資して之を殺さしめば、其れ可ならんか。然らずんば、来らざらん」と。子木曰く、「不可なり。我楚の卿と為りて、盗に賂して以て一夫を晋に賊(そこな)うは、義に非ざるなり。子我が為に之を召せ、吾其の室を倍せん」と。乃ち椒鳴(しょうめい)をして其の父を召して之を復せしむ。
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呂氏春秋・愛士①人に衣するは、其の寒ゆるを以てなり、人を食うは、其の饑うるを以てなり。饑寒は、人の大害なり。之を救うは義なり。人の困窮、甚だしきこと饑寒の如し。故に賢主は必ず人の困を憐れみ、必ず人の窮を哀しむなり。此くの如ければ則ち名號顯われ、國士得らる。
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論語・雍也篇子游、武城の宰と為る。子曰く、「女、人を得たるか。」曰く、「澹台滅明なる者有り。行くに径に由らず。公事に非ざれば、未だ嘗て偃の室に至らざるなり。」
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