呂氏春秋 / 愛士①
衣人,以其寒也;食人,以其饑也。饑寒,人之大害也。救之,〔大〕義也。人之困窮,甚如饑寒,故賢主必憐人之困也,必哀人之窮也。如此則名號顯矣,國士得矣。
新字:衣人,以其寒也;食人,以其饑也。饑寒,人之大害也。救之,〔大〕義也。人之困窮,甚如饑寒,故賢主必憐人之困也,必哀人之窮也。如此則名号顕矣,国士得矣。
書き下し
人に衣するは、其の寒ゆるを以てなり、人を食うは、其の饑うるを以てなり。饑寒は、人の大害なり。之を救うは義なり。人の困窮、甚だしきこと饑寒の如し。故に賢主は必ず人の困を憐れみ、必ず人の窮を哀しむなり。此くの如ければ則ち名號顯われ、國士得らる。
現代語訳
人に衣服を与えるのはその人が寒いからであり、人を養うのはその人が飢えているからである。飢えと寒さは人の大きな害である。それを救うのが義である。人の困窮は飢寒と同じくらいつらい。だから賢明な君主は必ず人の困難をあわれみ、必ず人の窮乏を悲しむ。こうであれば名声が現れ、国士(すぐれた人材)を得られる。
解説
この段は、賢明な君主は人の困窮を我がことのようにあわれみ、それによって名声と有能な人材を得ると説きます。愛士篇は、士すなわち人材を愛することの効用を論じる篇です。飢えや寒さを救うのが義であるのと同じように、人の困窮への深い共感こそが人の心を引き寄せ、優れた人材が集まってくる土台になるとします。相手の苦境に本気で寄り添う姿勢が人を惹きつけるというこの原理は、部下や顧客への配慮が信頼と人材確保につながる現代の組織運営に通じます。
この章句が説くこと
愛士賢主困窮義国士人材
関連する章句
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国語・楚語上「昔雍子(ようし)の父兄雍子を恭王に譖す。王是さず。雍子晋に奔り、晋人之を用う。鄢(えん)の役に及び、晋将に遁れんとす。雍子軍事に与り、欒書(らんしょ)に謂いて曰く、『楚の師は料るべきなり、中軍の王族に在るのみ。若し中下を易(か)えなば、楚必ず之を歆(むさぼ)らん。若し合して吾が中を陥れなば、吾が上下必ず其の左右を敗らん。則ち三萃(さんすい)して以て其の王族を攻めば、必ず大いに之を敗らん』と。欒書之に従い、大いに楚師を敗る。王親ら面を傷つく。則ち雍子の為なり。 「昔陳の公子夏御叔の為に鄭の穆公に娶り、子南を生む。子南の母陳を乱して之を亡ぼし、子南をして諸侯に戮せしむ。荘王既に夏氏の室を以て申公巫臣(ふしん)に賜い、則ち又之を子反に畀(あた)え、襄老に卒(お)う。襄老邲(ひつ)に死し、二子之を争いて、未だ成る有らず。恭王巫臣をして斉に聘せしむ。夏姫を以て行き、遂に晋に奔る。晋人之を用い、寔に呉・晋を通じ、其の子狐庸(こよう)をして呉に行人たらしめ、之に射御を教え、之を導きて楚を伐たしむ。今に至るまで患いを為す。則ち申公巫臣の為なり。 「今椒挙子牟に娶る。子牟罪を得て亡ぐ。執政是さず、椒挙に謂いて曰く、『女(なんじ)実に之を遣れり』と。彼懼れて鄭に奔り、緬然(めんぜん)として領を引きて南望し、曰く、『庶幾(こいねが)わくは吾が罪を赦されん』と。又図らざるなり、乃ち遂に晋に奔らんとす。晋人又之を用いん。彼若し楚を謀らば、其れ亦必ず豊敗有らんかな」と。 子木愀然(しゅうぜん)として曰く、「夫子何如、之を召さば其れ来らんか」と。対えて曰く、「亡人生くるを得ば、又何ぞ来らざらんや」と。子木曰く、「来らずんば、則ち若之何」と。対えて曰く、「夫子居らず、春秋相事えて、以て軫(しん)を諸侯に還らさん。若し東陽の盗に資して之を殺さしめば、其れ可ならんか。然らずんば、来らざらん」と。子木曰く、「不可なり。我楚の卿と為りて、盗に賂して以て一夫を晋に賊(そこな)うは、義に非ざるなり。子我が為に之を召せ、吾其の室を倍せん」と。乃ち椒鳴(しょうめい)をして其の父を召して之を復せしむ。
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