弁名 / 義
孟子諸家之意。亦從夫義有差別而見其有所不爲之意。又推諸人心以見惡惡之心之爲義。遂配諸仁以命道焉。葢其初以仁義贊乎禮。則物尙在焉。其卒直以仁義命諸道。則遂失其物。學者徒以仁義之名求道故也。亦由其時論說方盛。喜言其精微。而義離禮而孤行。古言漸廢故耳。自此之後。仁義之道。遂爲千萬世儒者之常言。亦不稽諸古之失也。觀彼後世君子若宋諸老先生者。其語學也。務言脩善而去惡。擴天理而遏人欲。而不知先王之敎唯導其善而惡自消也。其語治也。務言賞君子而罰惡人。而不知先王之道唯在擧仁者而不仁者自遠也。其論人也。務備其長短得失。而不知先王之道唯在用其長而天下無棄才也。察其源。亦未必不自孟子導之。則毫釐千里之差。豈可忽乎。學者審諸。
新字:孟子諸家之意。亦従夫義有差別而見其有所不為之意。又推諸人心以見悪悪之心之為義。遂配諸仁以命道焉。葢其初以仁義賛乎礼。則物尚在焉。其卒直以仁義命諸道。則遂失其物。学者徒以仁義之名求道故也。亦由其時論説方盛。喜言其精微。而義離礼而孤行。古言漸廃故耳。自此之後。仁義之道。遂為千万世儒者之常言。亦不稽諸古之失也。観彼後世君子若宋諸老先生者。其語学也。務言脩善而去悪。擴天理而遏人欲。而不知先王之教唯導其善而悪自消也。其語治也。務言賞君子而罰悪人。而不知先王之道唯在挙仁者而不仁者自遠也。其論人也。務備其長短得失。而不知先王之道唯在用其長而天下無棄才也。察其源。亦未必不自孟子導之。則毫釐千里之差。豈可忽乎。学者審諸。
書き下し
孟子諸家の意も、亦た夫の義に差別有るに従ひて其の為さざる所有るの意を見、又諸を人心に推して悪を悪むの心の義為るを見、遂に諸を仁に配して以て道に命ず。蓋し其の初めは仁義を以て礼を賛す、則ち物尚ほ在り。其の卒は直ちに仁義を以て諸を道に命ず、則ち遂に其の物を失ふ。学者徒らに仁義の名を以て道を求むるが故なり。亦た其の時論説方に盛んにして、喜びて其の精微を言ひ、義は礼を離れて孤行し、古言漸く廃るるに由るのみ。此れより後、仁義の道、遂に千万世の儒者の常言と為る。亦た諸を古に稽へざるの失なり。彼の後世の君子、宋の諸老先生の若き者を観るに、其の学を語るや、務めて善を修めて悪を去り、天理を拡めて人欲を遏むるを言ひて、先王の教は唯だ其の善を導きて悪自ら消ゆるを知らず。其の治を語るや、務めて君子を賞して悪人を罰するを言ひて、先王の道は唯だ仁者を挙げて不仁者自ら遠ざかるに在るを知らず。其の人を論ずるや、務めて其の長短得失を備へて、先王の道は唯だ其の長を用ひて天下に棄才無きに在るを知らず。其の源を察すれば、亦た未だ必ずしも孟子より之を導かずんばあらず。則ち毫釐千里の差、豈に忽にすべけんや。学者之を審らかにせよ。
現代語訳
孟子ら諸家の考えも、義には区別があることから、しないことがあるという意味を見出し、さらにそれを人の心に推し及ぼして悪を憎む心が義だと考え、ついに仁と組み合わせて道の名とした。思うに初めは仁義で礼をたたえていたので、物(具体的な礼)がまだあった。最後にはじかに仁義で道を呼ぶようになり、ついにその物を失った。学ぶ者がただ仁義という名で道を求めたからである。また当時は議論が盛んで、精妙なことを言うのを好み、義は礼から離れて独り歩きし、古い言葉がしだいに廃れたことにもよる。これ以後、仁義の道は永く儒者の決まり文句となった。これも古に照らさなかった過ちである。後世の君子、たとえば宋の諸先生を見ると、学問を語っては、善を修めて悪を去り、天理を広げて人欲を抑えることにばかり努め、先王の教えはただ善を導けば悪は自然に消えるものだということを知らない。政治を語っては、君子を賞し悪人を罰することにばかり努め、先王の道はただ仁者を登用すれば不仁な者は自然に遠ざかるものだということを知らない。人を論じては、その長所短所や得失を細かく並べ立てることにばかり努め、先王の道はただ長所を用いれば天下に捨てられる人材はないということを知らない。その源をたどれば、やはり孟子から導かれたものでないとは言えない。ほんのわずかな違いが千里の差になる。どうしておろそかにできようか。学ぶ者はよく考えよ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁道』第七則然りと雖も、士先王の道を学びて以て徳を我に成さんと欲するも、先王の道も亦た多端なり、人の性も亦た多類なり。苟も能く先王の道の要は天下を安んずるに帰するを識りて、力を仁に用ふれば、則ち人各〻其の性の近き所に随ひて、以て道の一端を得。由の勇、賜の達、求の芸の如き、皆能く一材を成し、以て仁人の徒と為り、諸を天下を安んずるの用に共にするに足る。而して其の徳の成るや、夷斉の清、恵の和、尹の任の如き、皆必ずしも其の性を変ぜずして、亦た仁人たるを害せず。若し或いは力を仁に用ふるを識らざれば、則ち其の材と徳と、皆成ること能はずして、諸子百家此に由りて興る。此れ孔門の仁を教ふる所以なり。
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『弁名』義「君臣義有り」と曰ふが如きは、臣を主として之を言ふ。蓋し君は其の全を統ぶる者なり。先王の道は民を安んずるに在り。是を以て仁人に非ずんば則ち道に任ずること能はず。故に曰く、「人君と為りては仁に止まる」と。臣も亦た先王の道に任ずる者なり。然れども君は其の全を統べて、臣は其の分に任ず。各〻官守有り、各〻事とする所有り、千差万別、義に非ずんば則ち能はず。故に義を以て臣の道と為すなり。「子を教ふるに義方を以てす」の如きも、亦た臣の道を教ふるを謂ふなり。各〻官守有りて、彼は此に通ぜず、是れ之を方と謂ふ。唯だ義のみ爾りと為す。論語に曰く、「君子の仕ふるや、其の義を行ふなり」と。又曰く、「義を行ひて以て其の道を達す」と。仕へて以て其の学ぶ所の先王の義を行ふを謂ふなり。
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『五常訓』巻之四・義一尚書に、礼を以て心を制し、義を以て事を制すといへり。礼は敬のみ。敬して心の私曲を制するなり。義を以て事を制すとは、万事を行ふに、其事に宜しく制するなり。制すとは、たとへば長きを断ちてよき程にし、多きをへらしてよき程にするが如し。物を裁判してよきやうにするを云ふ。是仁をたすくるなり。一年の功も、春夏生長するは仁なり。秋冬収蔵するは義なり。収蔵とは、草木零落し、生気をさまりて、根にかへるを云ふ。仁ありて、義なければ、たとへば春夏の生長するばかりにて、秋冬の収蔵なければ、万物成就せざるが如し。子を育つる一事を以ていはば、子を愛するは仁なり。子の悪を戒むるは義なり。愛せざれば、恩なくして他人の如し。愛のみにて戒めざれば、其子不義にながれ、悪におち入りて、わざはひとなる故、姑息して愛するが、かへりてあたとなりて、真の愛にあらず。
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『童子問』卷下問ふ、老氏の虚無と、釈氏の寂滅と、亦異なる所有りや。曰く、浅深有るがごとしと雖も、然れども其の帰は則ち一なり。老氏は天地万物を以て皆虚無と為し、釈氏は天地万物を以て総べて寂滅と為す。後漢書に云ふ、其の道虚無を以て宗と為すと。是れのみ。其の他種種奇特神通を説くは、皆方便の説のみ。老氏に至つては反つて之無し。仏は慈悲済度を以て主と為す。禅に至つては、則ち一向に棄て去る。理を説くこと至つて高ければ、必ず此に到らざることを得ず。其の慈悲済度を主とするは、仁に似たり。然れども義を知らざるは、則ち一なり。殊に知らず、義は天下の大路にして、一日も離るべからざることを。老氏も亦然り。
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『慎思録』巻之六仁義は道の体なり。文武は仁義の用為り。是れ仁義の発する所なり。故に文武其の趣同じからずと雖も、之を要すれば則ち理は一なり。文は仁の発なり。人を愛し衆を和するの道なり。文に非ざれば民を懐け衆を安んずること能はず。武は義の発なり。人を戒め衆を厳にするの道なり。武に非ざれば敵を威し罪を正すこと能はず。故に文武並び行はるれば、則ち天下和平にして、黎民服す。古の良将は、必ず文武全才にして、能く万民を安定す。澆季の世は、文武岐れて両途と為る。文有る者は或は武無く、武有る者は多く文無し。全才と為すべからず。徒に武有りて文無ければ、則ち傖父と為る。徒に文有りて武無ければ、則ち腐儒と為る。各用ゐるべきの能有りと雖も、全才に非ざるなり。季世の俗は皆此くの如し。士人たる者は、務めて之を全うすべくして、偏勝すべからざる所以なり。
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司馬法・嚴位故に心は仁に中(あた)り、行いは義に中る、物に堪うるは智なり、大に堪うるは勇なり、久しきに堪うるは信なり。
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