国語 / 鄭語
「夫虢石父讒諂巧從之人也,而立以為卿士,與剸同也;棄聘后而立內妾,好窮固也;侏儒戚施,實御在側,近頑童也;周法不昭,而婦言是行,用讒慝也;不建立卿士,而妖試幸措,行暗昧也。是物也,不可以久。且宣王之時有童謠曰:『檿弧箕服,實亡周國。』於是宣王聞之,有夫婦鬻是器者,王使執而戮之。府之小妾生女而非王子也,懼而棄之。此人也,收以奔褒。天之命此久矣,其又何可為乎?訓語有之曰:『夏之衰也,褒人之神化為二龍,以同于王庭,而言曰:「余,褒之二君也。」夏后卜殺之與去之與止之,莫吉。卜請其漦而藏之,吉。乃布幣焉而策告之,龍亡而漦在,櫝而藏之,傳郊之。』及殷、周,莫之發也。及厲王之末,發而觀之,漦流于庭,不可除也。
新字:「夫虢石父讒諂巧従之人也,而立以為卿士,与剸同也;棄聘后而立内妾,好窮固也;侏儒戚施,実御在側,近頑童也;周法不昭,而婦言是行,用讒慝也;不建立卿士,而妖試幸措,行暗昧也。是物也,不可以久。且宣王之時有童謡曰:『檿弧箕服,実亡周国。』於是宣王聞之,有夫婦鬻是器者,王使執而戮之。府之小妾生女而非王子也,懼而棄之。此人也,収以奔褒。天之命此久矣,其又何可為乎?訓語有之曰:『夏之衰也,褒人之神化為二竜,以同于王庭,而言曰:「余,褒之二君也。」夏后卜殺之与去之与止之,莫吉。卜請其漦而蔵之,吉。乃布幣焉而策告之,竜亡而漦在,櫝而蔵之,伝郊之。』及殷、周,莫之発也。及厲王之末,発而観之,漦流于庭,不可除也。
書き下し
「夫れ虢石父(かくせきほ)は讒諂巧従の人なり。而るを立てて以て卿士と為す、剸同に与するなり。聘后を棄てて内妾を立つ、窮固を好むなり。侏儒・戚施(せきし)、実に御して側に在り、頑童に近づくなり。周の法昭らかならずして、婦言是れ行わる、讒慝を用うるなり。卿士を建立せずして、妖試幸措す、暗昧を行うなり。是の物や、以て久しかるべからず。且つ宣王の時童謡有りて曰く、『檿弧(えんこ)箕服(きふく)、実に周国を亡ぼさん』と。是に於て宣王之を聞く。夫婦の是の器を鬻(ひさ)ぐ者有り、王執えて之を戮せしむ。府の小妾女を生みて王の子に非ず、懼れて之を棄つ。此の人や、収めて以て褒(ほう)に奔る。天の此に命ずること久し、其れ又何ぞ為すべけんや。訓語に之有りて曰く、『夏の衰うるや、褒人の神化して二龍と為り、以て王庭に同(あつ)まりて、言いて曰く、「余は褒の二君なり」と。夏后之を殺すと之を去ると之を止むるとを卜するに、吉なる莫し。其の漦(し)を請いて之を蔵せんことを卜するに、吉なり。乃ち幣を布きて策もて之に告ぐ。龍亡せて漦在り、櫝(ひつ)にして之を蔵し、伝えて之を郊す』と。殷・周に及ぶまで、之を発(ひら)く莫し。厲王の末に及び、発きて之を観る。漦庭に流れて、除くべからず。
現代語訳
(史伯は続けた。)「虢石父(虢の君)は讒言とへつらいに長け、巧みに王に迎合する人物です。それを卿士(執政の重臣)に立てたのは、同じものばかりを集めることです。正式に迎えた后(申后)を退けて側室を立てたのは、見識の狭い者を好むことです。小人や背の曲がった者がいつも王のそばに仕えているのは、頑なで愚かな者を近づけることです。周の法が明らかにされず、女の言うことが行われているのは、讒言する邪な者を用いることです。ふさわしい卿士を立てず、怪しげな寵臣を用いて位に置いているのは、道理に暗い政治をしていることです。こうしたことが長続きするはずがありません。しかも宣王の時代に、『山桑の弓と箕の矢筒が、まことに周の国を滅ぼすだろう』という童謡がはやりました。宣王はそれを聞き、ちょうどそうした弓矢の道具を売り歩く夫婦がいたので、捕らえて殺させようとしました。そのころ、王府の年若い下女が王の子ではない女の子を生み、恐れてその子を捨てました。その子を例の夫婦が拾って、褒の国へ逃げたのです。天がこのことを命じてから久しいのですから、今さらどうすることができましょう。古い言い伝えの書にこうあります。『夏が衰えたとき、褒の人の神が二匹の龍に化けて王の庭に降り、「我らは褒の二人の君である」と言った。夏后(夏の王)は、龍を殺すか、追い払うか、留めておくかを占ったが、どれも吉と出なかった。龍の吐いた泡を貰い受けてしまっておくことを占うと、吉と出た。そこで幣帛を並べ、文書を読み上げて龍に告げると、龍は去って泡だけが残った。それを箱に入れてしまい、代々伝えて郊外で祭った』と。殷・周の世になっても、誰もその箱を開けませんでした。ところが厲王の末年になって、箱を開けて中を見たところ、泡が庭に流れ出して、取り除くことができなくなったのです。
解説
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