国語 / 鄭語
王使婦人不幃而譟之,化為玄黿,以入于王府。府之童妾未既齓而遭之,既笄而孕,當宣王時而生。不夫而育,故懼而棄之。為弧服者方戮在路,夫婦哀其夜號也,而取之以逸,逃于褒。褒人褒姁有獄,而以為入於王,王遂置之,而嬖是女也,使至於為后而生伯服。天之生此久矣,其為毒也大矣,將使候淫德而加之焉。毒之酋腊者,其殺也滋速。申、繒、西戎方彊,王室方騷,將以縱欲,不亦難乎?王欲殺太子以成伯服,必求之申,申人弗畀,必伐之。若伐申,而繒與西戎會以伐周,周不守矣!繒與西戎方將德申,申、呂方彊,其隩愛太子亦必可知也,王師若在,其救之亦必然矣。王心怒矣,虢公從矣,凡周存亡,不三稔矣!君若欲避其難,其速規所矣,時至而求用,恐無及也!」 公曰:「若周衰,諸姬其孰興?」對曰:「臣聞之,武實昭文之功,文之祚盡,武其嗣乎!武王之子,應、韓不在,其在晉乎!距險而鄰於小,若加之以德,可以大啟。」公曰:「姜、嬴其孰興?」對曰:「夫國大而有德者近興,秦仲、齊侯,姜、嬴之雋也,且大,其將興乎?」公說,乃東寄帑與賄,虢、鄶受之,十邑皆有寄地。
新字:王使婦人不幃而譟之,化為玄黿,以入于王府。府之童妾未既齓而遭之,既笄而孕,当宣王時而生。不夫而育,故懼而棄之。為弧服者方戮在路,夫婦哀其夜号也,而取之以逸,逃于褒。褒人褒姁有獄,而以為入於王,王遂置之,而嬖是女也,使至於為后而生伯服。天之生此久矣,其為毒也大矣,将使候淫徳而加之焉。毒之酋腊者,其殺也滋速。申、繒、西戎方彊,王室方騷,将以縦欲,不亦難乎?王欲殺太子以成伯服,必求之申,申人弗畀,必伐之。若伐申,而繒与西戎会以伐周,周不守矣!繒与西戎方将徳申,申、呂方彊,其隩愛太子亦必可知也,王師若在,其救之亦必然矣。王心怒矣,虢公従矣,凡周存亡,不三稔矣!君若欲避其難,其速規所矣,時至而求用,恐無及也!」 公曰:「若周衰,諸姫其孰興?」対曰:「臣聞之,武実昭文之功,文之祚尽,武其嗣乎!武王之子,応、韓不在,其在晋乎!距険而鄰於小,若加之以徳,可以大啓。」公曰:「姜、嬴其孰興?」対曰:「夫国大而有徳者近興,秦仲、斉侯,姜、嬴之雋也,且大,其将興乎?」公説,乃東寄帑与賄,虢、鄶受之,十邑皆有寄地。
書き下し
王婦人をして幃(い)せずして之を譟(さわ)がしむ。化して玄黿(げんげん)と為り、以て王府に入る。府の童妾未だ齓(しん)を既(つ)くさずして之に遭い、既に笄(けい)して孕み、宣王の時に当たりて生む。夫あらずして育(う)む、故に懼れて之を棄つ。弧服を為る者方(まさ)に戮せられんとして路に在り、夫婦其の夜号(な)くを哀れみて、之を取りて以て逸し、褒に逃る。褒人褒姁(ほうく)獄有りて、以て王に入る。王遂に之を置きて、是の女を嬖(へい)し、后と為るに至らしめて伯服を生む。天の此を生ずること久し、其の毒たること大なり。将に淫徳を候(うかが)いて之に加えんとす。毒の酋腊(しゅうせき)なる者は、其の殺すこと滋(ますます)速やかなり。申・繒(そう)・西戎方に彊く、王室方に騒がし。将に以て欲を縦(ほしいまま)にせんとす、亦難からずや。王太子を殺して以て伯服を成さんと欲せば、必ず之を申に求めん。申人畀(あた)えずんば、必ず之を伐たん。若し申を伐たば、繒と西戎と会して以て周を伐ち、周守らざらん。繒と西戎と方に将に申を徳とせんとし、申・呂方に彊し。其の太子を隩愛(いくあい)すること亦必ず知るべきなり。王師若し在らば、其の之を救うこと亦必然なり。王心怒り、虢公従う。凡そ周の存亡は、三稔(さんじん)ならず。君若し其の難を避けんと欲せば、其れ速やかに所を規(はか)れ。時至りて用を求むるも、恐らくは及ぶ無からん」と。 公曰く、「若し周衰えなば、諸姫其れ孰か興らん」と。対えて曰く、「臣之を聞く、武は実に文の功を昭らかにす。文の祚(そ)尽きなば、武其れ嗣がんか。武王の子は、応・韓在らず、其れ晋に在らんか。険に距(よ)りて小に隣す、若し之に加うるに徳を以てせば、以て大いに啓くべし」と。公曰く、「姜・嬴其れ孰か興らん」と。対えて曰く、「夫れ国大にして徳有る者は興るに近し。秦仲・斉侯は、姜・嬴の雋(しゅん)なり、且つ大なり、其れ将に興らんとするか」と。公説(よろこ)び、乃ち東のかた帑(ど)と賄とを寄す。虢・鄶之を受け、十邑皆寄地有り。
現代語訳
「厲王は女たちに裳もつけさせずに泡に向かって大声で騒がせました。すると泡は黒いとかげに化けて、王の宝蔵に入り込みました。宝蔵に仕える幼い下女が、まだ乳歯も抜けきらないころにそれに出会い、成人の笄をつけるころになって身ごもり、宣王の時代になって子を生みました。夫もないのに子を生んだので、恐れて捨てたのです。ちょうどそのころ、例の弓と矢筒を作って売っていた夫婦が、処刑されようとして路上にいましたが、その赤子が夜に泣くのを哀れんで拾い上げ、逃げて褒の国へ行きました。やがて褒の人褒姁が罪に問われたとき、この娘を王に献上しました。王はそれを受け入れてこの娘を寵愛し、ついに后の位にまで上らせ、伯服が生まれました。天がこの娘を生み出してから久しく、その毒はまことに大きいものです。淫らな徳を持つ者が現れるのを待って、その者に禍いを下そうとしているのです。毒は熟しきったものほど、人を殺すのがますます速くなります。いま申・繒・西戎は勢いが強く、王室は騒がしく乱れています。そんな中で欲望のままに振る舞おうとするのは、難しいことではないでしょうか。王が太子(宜臼)を殺して伯服を跡継ぎにしようとすれば、必ず申(太子の母の実家)に太子の引き渡しを求めるでしょう。申が渡さなければ、必ず申を討つでしょう。申を討てば、繒と西戎が申と手を結んで周を攻め、周は守りきれません。繒と西戎は申に恩義を感じようとしており、申と呂はいま勢いが強い。彼らが太子を深く慈しんでいることも明らかです。王の軍が攻めて来れば、彼らが太子を救うのも当然のことです。王の心はすでに怒りに傾き、虢公(石父)はそれに従っています。周の存亡は、三年とかからずに決まるでしょう。あなたがその難を避けたいとお思いなら、速やかに行き先を決めてください。その時が来てから手立てを求めても、恐らく間に合いません。」 桓公が言った。「周が衰えたら、姫姓の諸国ではどこが興るだろうか。」史伯は答えた。「私はこう聞いています。武王はまことに文王の功業を輝かせた方です。文王の子孫の福が尽きれば、武王の子孫が後を継ぐでしょう。武王の子の国のうち、応と韓はもう振るいません。興るのは晋でしょうか。晋は険しい地に拠って小国と隣り合っていますから、そこに徳を加えれば、大いに領土を開くことができるでしょう。」桓公がまた言った。「姜姓と嬴姓ではどこが興るだろうか。」史伯は答えた。「国が大きく、しかも徳のある者が興るのに近いものです。秦仲(嬴姓の秦の君)と斉侯(姜姓の斉の君)は、姜・嬴の中の傑出した者で、しかも国が大きい。これから興るのではないでしょうか。」桓公は喜び、東方に妻子と財貨を預けた。虢と鄶はそれを受け入れ、十の邑すべてに預け置く土地ができた。
解説
この章句が説くこと
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史記 周本紀土演ぶる所無くんば、民財用に乏し、亡びずして何をか待たん。昔伊・洛竭きて夏亡び、河竭きて商亡ぶ。今周の徳二代の季の若し、其の川原又塞がる、塞がれば必ず竭く。夫れ国は必ず山川に依る。山崩れ川竭くるは、亡国の徴なり。川竭くれば必ず山崩る。若し国亡ぶとも十年を過ぎず、数の紀なり。天の棄つる所、其の紀を過ぎず」と。是の歳や、三川竭き、岐山崩る。三年、幽王褒姒を嬖愛す。褒姒子伯服を生み、幽王太子を廃せんと欲す。太子の母は申侯の女にして、后為り。後に幽王褒姒を得て、之を愛し、申后を廃し、并せて太子宜臼を去り、褒姒を以て后と為し、伯服を以て太子と為さんと欲す。周の太史伯陽史記を読みて曰く、「周亡びたり」と。昔夏后氏の衰へしより、二神龍有りて夏帝の庭に止まりて言ひて曰く、「余は、褒の二君なり」と。夏帝之を殺すと之を去ると之を止むるとを卜するに、吉なる莫し。其の漦を請ひて之を蔵せんことを卜するに、乃ち吉なり。是に於て幣を布きて之に策告す。龍亡せて漦在り、櫝にして之を去る。夏亡びて、此の器を殷に伝ふ。殷亡びて、又此の器を周に伝ふ。三代に比びて、敢へて之を発く莫し。厲王の末に至りて、発きて之を観る。漦庭に流れ、除く可からず。厲王婦人をして裸にして之に譟がしむ。漦化して玄黿と為り、以て王の後宮に入る。後宮の童妾既に齔にして之に遭ひ、既に笄して孕み、夫無くして子を生み、懼れて之を棄つ。宣王の時童女謡ひて曰く、「厭弧箕服、実に周国を亡ぼさん」と。是に於て宣王之を聞く。夫婦是の器を売る者有り、宣王執へて之を戮さしむ。道に逃れ、而して郷者の後宮の童妾の棄てし所の妖子の路に出づる者を見、其の夜啼くを聞き、哀れみて之を収む。夫婦遂に亡げて、褒に奔る。褒人罪有り、童妾の棄てし所の女子を王に入れて以て罪を贖はんことを請ふ。棄てられし女子褒より出づ、是を褒姒と為す。幽王の三年に当たり、王の後宮に之を見て愛し、子伯服を生む。竟に申后及び太子を廃し、褒姒を以て后と為し、伯服を太子と為す。太史伯陽曰く、「禍成れり、奈何ともす可き無し」と。
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国語・鄭語「夫れ虢石父(かくせきほ)は讒諂巧従の人なり。而るを立てて以て卿士と為す、剸同に与するなり。聘后を棄てて内妾を立つ、窮固を好むなり。侏儒・戚施(せきし)、実に御して側に在り、頑童に近づくなり。周の法昭らかならずして、婦言是れ行わる、讒慝を用うるなり。卿士を建立せずして、妖試幸措す、暗昧を行うなり。是の物や、以て久しかるべからず。且つ宣王の時童謡有りて曰く、『檿弧(えんこ)箕服(きふく)、実に周国を亡ぼさん』と。是に於て宣王之を聞く。夫婦の是の器を鬻(ひさ)ぐ者有り、王執えて之を戮せしむ。府の小妾女を生みて王の子に非ず、懼れて之を棄つ。此の人や、収めて以て褒(ほう)に奔る。天の此に命ずること久し、其れ又何ぞ為すべけんや。訓語に之有りて曰く、『夏の衰うるや、褒人の神化して二龍と為り、以て王庭に同(あつ)まりて、言いて曰く、「余は褒の二君なり」と。夏后之を殺すと之を去ると之を止むるとを卜するに、吉なる莫し。其の漦(し)を請いて之を蔵せんことを卜するに、吉なり。乃ち幣を布きて策もて之に告ぐ。龍亡せて漦在り、櫝(ひつ)にして之を蔵し、伝えて之を郊す』と。殷・周に及ぶまで、之を発(ひら)く莫し。厲王の末に及び、発きて之を観る。漦庭に流れて、除くべからず。
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国語・鄭語桓公(かんこう)司徒と為り、甚だ周の衆と東土の人とを得たり。史伯(しはく)に問いて曰く、「王室故(こと)多し、余及ばんことを懼る。其れ何れの所か以て死を逃るべき」と。史伯対えて曰く、「王室将に卑(ひく)からんとし、戎・狄必ず昌(さか)んならん、偪(せま)るべからざるなり。成周に当たる者は、南に荊蛮・申・呂・応・鄧・陳・蔡・随・唐有り。北に衛・燕・狄・鮮虞(せんぐ)・潞(ろ)・洛・泉・徐・蒲有り。西に虞・虢(かく)・晋・隗(かい)・霍・楊・魏・芮(ぜい)有り。東に斉・魯・曹・宋・滕・薛・鄒・莒(きょ)有り。是れ王の支子・母弟・甥舅に非ざれば、則ち皆蛮・荊・戎・狄の人なり。親に非ざれば則ち頑なり、入るべからざるなり。其れ済・洛・河・潁(えい)の間か。是れ其の子男の国、虢・鄶(かい)を大と為す。虢叔は勢を恃み、鄶仲は険を恃む。是れ皆驕侈怠慢の心有りて、之に加うるに貪冒を以てす。君若し周の難の故を以て、孥(ど)と賄とを寄せば、敢えて許さずんばあらず。周乱れて弊れ、是れ驕りて貪らば、必ず将に君に背かんとす。君若し成周の衆を以て、辞を奉じて罪を伐たば、克たざること無からん。若し二邑に克たば、鄔(う)・弊・補・舟・依・𪑶・歴・華は、君の土なり。若し華を前にし河を後にし、洛を右にし済を左にし、芣(ふ)・騩(かい)を主として溱(しん)・洧(い)に食み、典刑を修めて以て之を守らば、是れ以て少しく固かるべし」と。 公曰く、「南方は不可なるか」と。対えて曰く、「夫れ荊子熊厳(ゆうげん)子四人を生む。伯霜・仲雪・叔熊・季紃(きじゅん)なり。叔熊は難を濮(ぼく)に逃れて蛮となり、季紃是れ立つ。薳氏(いし)将に之を起こさんとするも、禍又克たず。是れ天之が心を啓くなり。又甚だ聡明和協にして、其の先王を蓋(おお)う。臣之を聞く、天の啓く所は、十世替(すた)れず、と。夫れ其の子孫必ず光(おお)いに土を啓かん、偪るべからざるなり。且つ重・黎(ちょう・れい)の後なり。夫れ黎は高辛氏の火正と為り、淳燿敦大なるを以て、天明地徳、四海を光照す。故に之に命じて『祝融(しゅくゆう)』と曰う。其の功大なり。
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史記 鄭世家鄭の桓公友は、周の厲王の少子にして宣王の庶弟なり。宣王立ちて二十二年、友初めて鄭に封ぜらる。封ぜられて三十三歳、百姓皆便とし之を愛す。幽王以て司徒と為す。周民を和集し、周民皆説び、河雒の閒、人便とし之を思ふ。司徒と為りて一歳、幽王褒后の故を以て、王室の治多く邪にして、諸侯或いは之に畔く。是に於て桓公、太史伯に問ひて曰く、「王室故多し、予安くにか死を逃れん」と。太史伯対へて曰く、「独り雒の東土、河済の南居るべし」と。公曰く、「何を以てか」と。対へて曰く、「地は虢・鄶に近し。虢・鄶の君は貪にして利を好み、百姓附かず。今公は司徒為り、民皆公を愛す。公誠に之に居らんことを請はば、虢・鄶の君、公の方に事を用ふるを見て、軽々しく公に地を分たん。公誠に之に居らば、虢・鄶の民は皆公の民なり」と。公曰く、「吾南のかた江上に之かんと欲す、何如」と。対へて曰く、「昔祝融は高辛氏の火正と為り、其の功大なり。而して其の周に於ては未だ興る者有らず。楚は其の後なり。周衰へば、楚必ず興らん。興らば、鄭の利に非ざるなり」と。公曰く、「吾西方に居らんと欲す、何如」と。対へて曰く、「其の民貪にして利を好む。久しく居り難し」と。公曰く、「周衰へば、何の国か興る者ぞ」と。対へて曰く、「斉・秦・晋・楚か。夫れ斉は姜姓、伯夷の後なり。伯夷は堯を佐けて礼を典る。秦は嬴姓、伯翳の後なり。伯翳は舜を佐けて百物を懐柔す。楚の先に及ぶまで、皆嘗て天下に功有り。而して周の武王紂に克ちて後、成王叔虞を唐に封ず。其の地阻険なり。此の有徳を以て周の衰ふると并び、亦必ず興らん」と。桓公曰く、「善し」と。是に於て卒に王に言ひ、東のかた其の民を雒の東に徙す。而して虢・鄶果たして十邑を献じ、竟に之を国とす。二歳にして、犬戎幽王を驪山の下に殺し、并せて桓公を殺す。鄭人共に其の子掘突を立つ、是を武公と為す。武公十年、申侯の女を娶りて夫人と為す、武姜と曰ふ。
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国語・晋語一酒を飲みて出づ。史蘇大夫に告げて曰く、「男戎有らば必ず女戎有り。若し晋男戎を以て戎に勝たば、戎も亦必ず女戎を以て晋に勝たん。其れ之を若何せん」と。里克(りこく)曰く、「何如」と。史蘇曰く、「昔夏桀有施(ゆうし)を伐つ。有施人妹喜(ばっき)を以て女(めあわ)す。妹喜寵有り、是に於いてか伊尹と比して夏を亡ぼす。殷辛有蘇を伐つ。有蘇氏妲己(だっき)を以て女す。妲己寵有り、是に於いてか膠鬲(こうかく)と比して殷を亡ぼす。周の幽王有褒(ゆうほう)を伐つ。褒人褒姒(ほうじ)を以て女す。褒姒寵有り、伯服を生み、是に於いてか虢石甫(かくせきほ)と比し、太子宜臼(ぎきゅう)を逐いて伯服を立つ。太子出でて申に奔る。申人・鄫(そう)人西戎を召して以て周を伐ち、周是に於いてか亡ぶ。今晋は徳寡なくして俘女(ふじょ)を安んじ、又其の寵を増す。三季の王に当たると雖も、亦可ならずや。且つ其の兆に云う、『挟むに銜骨を以てし、歯牙猾を為す』と。我驪を伐たんことを卜して、亀往(ゆ)きて離散し以て我に応ず。夫れ是くの若きは、賊の兆なり。吾が宅に非ざるなり。離るること則ち之れ有り。其の国を跨がずして、挟むと謂うべけんや。其の君を得ずして、能く骨を銜まんや。若し其の国を跨ぎて其の君を得れば、歯牙に逢うと雖も、以て其の中を猾せば、誰か従わずと云わん。諸夏戎に従う、敗に非ずして何ぞや。政に従う者は以て戒めざるべからず。亡ぶること日無からん」と。
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国語・晋語一献公驪戎を伐ちて之に克ち、驪子を滅ぼし、驪姫を獲て以て帰り、立てて以て夫人と為し、奚斉(けいせい)を生む。其の娣(てい)卓子を生む。驪姫、申生をして曲沃を主(つかさど)りて以て懸(けん)を速やかにせしめ、重耳(ちょうじ)をして蒲城に処らしめ、夷吾をして屈に処らしめ、奚斉をして絳(こう)に処らしめ、以て辱め無きの故を儆(いまし)めんことを請う。公之を許す。 史蘇朝し、大夫に告げて曰く、「二三大夫其れ之を戒めよ。乱本生ぜり。日(さき)に、君驪姫を以て夫人と為す。民の疾心固より皆至る。昔の伐つや、百姓を興すに百姓の為にするを以てす。是を以て民能く之を欣び、故に忠を尽くし労を極めて以て死を致さざる莫きなり。今君百姓を起こして以て自ら封ず。民外には其の利を得ずして、内には其の貪を悪む。則ち上下既に判(わか)るる有り。然り而して又男を生む。其れ天道なるか。天其の毒を彊くし、民其の態を疾む。其れ乱生ぜんかな。吾聞く、君の好を好みて悪を悪み、楽を楽しみて安を安んず、是を以て能く常有りと。木を伐りて其の本よりせずんば、必ず復た生ず。水を塞ぎて其の源よりせずんば、必ず復た流る。禍を滅ぼして其の基よりせずんば、必ず復た乱る。今君其の父を滅ぼして其の子を畜(やしな)う。禍の基なり。其の子を畜い、又其の欲に従う。子は父の恥に報いんことを思いて其の欲を信(の)ぶ。色を好むと雖も、必ず心を悪む。好むと謂うべからず。其の色を好めば、必ず之に情を授く。彼其の情を得て以て其の欲を厚くし、其の悪心に従わば、必ず国を敗りて且つ深く乱れん。乱は必ず女戎よりす。三代皆然り」と。驪姫果たして難を作し、太子を殺して二公子を逐う。君子曰く、「難の本を知れり」と。
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