国語 / 晋語九
少室周為趙簡子之右,聞牛談有力,請與之戲,弗勝,致右焉。簡子許之,使少室周為宰,曰:「知賢而讓,可以訓矣。」
新字:少室周為趙簡子之右,聞牛談有力,請与之戯,弗勝,致右焉。簡子許之,使少室周為宰,曰:「知賢而譲,可以訓矣。」
書き下し
少室周(しょうしつしゅう)、趙簡子の右為(た)り。牛談(ぎゅうだん)の力有るを聞き、之と戯(たわむ)れんことを請う。勝たず。右を致す。簡子之を許し、少室周をして宰と為さしめて曰く、「賢を知りて譲る、以て訓(おし)うべし」と。
現代語訳
少室周は趙簡子の車右(戦車で主君を守る武者)を務めていた。牛談という者が力持ちだと聞いて、力比べをさせてほしいと願い出たが、勝てなかった。そこで車右の役を牛談に譲った。簡子はそれを許し、少室周を家宰(家政を取り仕切る長)に任じて言った。「自分より優れた者を知って、その者に地位を譲った。人の手本とするにふさわしい。」
解説
趙簡子の車右を務めていた少室周が、力持ちの牛談と力比べをして負け、その座を自ら譲った話である。韋昭は「戯」を角力と解する。車右は戦車の上で主君を守る武者であり、その座は力の強い者がつくべきだという職分の筋を、少室周は自ら確かめ、自ら従った。簡子はこれを咎めるどころか、家宰という重い職に抜擢し、「賢を知りて譲る、以て訓うべし」と称えた。人の上に立つ者に必要なのは、力の強さよりも、自分より優れた者を見分け、そこに道を開ける判断である。簡子はそれを見抜いて、少室周を人を束ねる役に据えたのである。今の職場でも、自分の持ち場を守ることに固執するより、より適した人に譲ることのほうが難しい。その難しさをあえて越えた者を、上はどう遇すべきかも示している。
この章句が説くこと
国語晋語賢譲人事
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