国語 / 晋語九
趙簡子使尹鐸為晉陽。請曰:「以為繭絲乎?抑為保鄣乎?」簡子曰:「保鄣哉!」尹鐸損其戶數。簡子誡襄子曰:「晉國有難,而無以尹鐸為少,無以晉陽為遠,必以為歸。」
新字:趙簡子使尹鐸為晋陽。請曰:「以為繭糸乎?抑為保鄣乎?」簡子曰:「保鄣哉!」尹鐸損其戸数。簡子誡襄子曰:「晋国有難,而無以尹鐸為少,無以晋陽為遠,必以為帰。」
書き下し
趙簡子、尹鐸(いんたく)をして晋陽(しんよう)を為(おさ)めしむ。請いて曰く、「以て繭糸(けんし)と為さんか。抑(そもそ)も保鄣(ほしょう)と為さんか」と。簡子曰く、「保鄣なるかな」と。尹鐸其の戸数を損ず。簡子、襄子(じょうし)を誡めて曰く、「晋国に難有らば、而(なんじ)尹鐸を以て少しと為すこと無かれ、晋陽を以て遠しと為すこと無かれ。必ず以て帰と為せ」と。
現代語訳
趙簡子は家臣の尹鐸に晋陽(趙氏の邑)を治めさせることにした。尹鐸は願い出て尋ねた。「晋陽を、繭から糸を引き出すように税を取り立てる地になさいますか。それとも、いざというときに身を守る砦になさいますか。」簡子は答えた。「砦にせよ。」尹鐸は税を課す戸数を減らした。簡子は息子の襄子(趙無恤)を戒めて言った。「晋の国に難があったら、尹鐸を若輩だと侮ってはならず、晋陽を遠いと思ってはならない。必ずそこへ身を寄せよ。」
解説
趙簡子が尹鐸を晋陽の治めに遣わしたときの問答である。尹鐸は、晋陽を「繭糸」すなわち税を細く長く引き出す地にするのか、「保鄣」すなわち危急のときの砦にするのかと問うた。韋昭は繭糸を賦税、保鄣を守りの城と解する。簡子が砦を選ぶと、尹鐸は課税する戸数を減らした。韋昭は、戸数を減らせば民はゆとりを得て税が少なくなると注する。民の負担を軽くして心をつかむことが、そのまま城の守りになるという考えである。簡子は襄子に、難があれば晋陽に帰れと遺言した。この言葉は後の晋陽の囲み(15.021)で生き、智伯の水攻めに遭っても民は背かなかった。平時にどこから取り、どこに蓄えておくかで、危機のときに頼れる場所が決まることを示す章である。
この章句が説くこと
国語晋語民備え晋陽
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