国語 / 晋語八
鄭簡公使公孫成子來聘,平公有疾,韓宣子贊授客館。客問君疾,對曰:「寡君之疾久矣,上下神祇無不遍諭,而無除。今夢黃熊入於寢門,不知人殺乎,抑厲鬼邪!」子產曰:「以君之明,子為大政,其何厲之有?僑聞之,昔者鯀違帝命,殛之于羽山,化為黃熊,以入于羽淵,實為夏郊,三代舉之。夫鬼神之所及,非其族類,則紹其同位,是故天子祀上帝,公侯祀百辟,自卿以下不過其族。今周室少卑,晉實繼之,其或者未舉夏郊邪?」宣子以告,祀夏郊,董伯為尸,五日,公見子產,賜之莒鼎。
新字:鄭簡公使公孫成子来聘,平公有疾,韓宣子賛授客館。客問君疾,対曰:「寡君之疾久矣,上下神祇無不遍諭,而無除。今夢黄熊入於寝門,不知人殺乎,抑厲鬼邪!」子産曰:「以君之明,子為大政,其何厲之有?僑聞之,昔者鯀違帝命,殛之于羽山,化為黄熊,以入于羽淵,実為夏郊,三代舉之。夫鬼神之所及,非其族類,則紹其同位,是故天子祀上帝,公侯祀百辟,自卿以下不過其族。今周室少卑,晋実継之,其或者未舉夏郊邪?」宣子以告,祀夏郊,董伯為尸,五日,公見子産,賜之莒鼎。
書き下し
鄭の簡公公孫成子(こうそんせいし)をして来聘せしむ。平公疾有り。韓宣子客館を賛授す。客君の疾を問う。対えて曰く、「寡君の疾久し。上下の神祇遍く諭(つ)げざる無きも、除かるる無し。今黄熊(こうゆう)寝門に入るを夢む。知らず人殺か、抑(そもそ)も厲鬼(れいき)か」と。子産曰く、「君の明を以て、子大政を為す。其れ何の厲か之れ有らん。僑(きょう)之を聞く、昔者(むかし)鯀(こん)帝命に違い、之を羽山(うざん)に殛(きょく)す。化して黄熊と為り、以て羽淵に入る。実に夏郊と為り、三代之を挙ぐ。夫れ鬼神の及ぶ所は、其の族類に非ざれば、則ち其の同位を紹(つ)ぐ。是の故に天子は上帝を祀り、公侯は百辟(ひゃくへき)を祀り、卿より以下は其の族を過ぎず。今周室少しく卑く、晋実に之を継ぐ。其れ或いは未だ夏郊を挙げざるか」と。宣子以て告げ、夏郊を祀る。董伯(とうはく)尸(し)と為る。五日にして、公子産に見え、之に莒鼎(きょてい)を賜う。
現代語訳
鄭の簡公は公孫成子(子産)を晋に使者として遣わした。そのとき平公は病気で、韓宣子(韓起)が客館を用意してもてなした。客が君の病状を尋ねると、韓宣子は答えた。「わが君の病は長くなります。天地の神々すべてに祈りを捧げましたが、治りません。いま君は、黄色い熊が寝所の門に入ってくる夢を見られました。人の殺した者のたたりか、それとも祀る者のない悪霊なのか分かりません。」子産は言った。「君の聡明さがあり、あなたが国の大政をとっておられるのに、どうして悪霊などがありましょう。わたし僑の聞くところでは、昔、鯀(禹の父)は帝の命に背いたので、羽山で誅されました。鯀は黄色い熊に化して羽淵に入り、のちに夏の王朝の郊祭(天を祀る祭り)で配祀される神となり、夏・殷・周の三代がこれを祀ってきました。そもそも鬼神の祭祀は、その子孫でなければ、同じ地位にある者が受け継ぐものです。だから天子は上帝を祀り、公侯は歴代の諸侯を祀り、卿より下は自分の一族を越えて祀りません。いま周の王室はやや衰え、晋が実質的にその役目を継いでいます。もしかすると、夏の郊祭をまだ行っていないのではありませんか。」韓宣子がこのことを平公に告げ、夏の郊祭を行った。董伯が尸(祭りで神の代わりとなる者)を務めた。五日後、平公は病が癒えて子産に会い、莒の国から得た鼎を賜った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
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『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
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『都鄙問答』卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段又問、或人云、子曰、其の鬼に非ずして之を祭るは諂ひなりと、祭べからずとのたまふ。我朝には、土地の神、又太神宮といへども、御恩の為に、五穀の出来、初穂や或は神楽などを捧奉ることなれば、兎角唐土とは違有と云り。然るに汝、神は一列の如くに云へるは、如何なることぞ。
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