国語 / 晋語五
靡笄之役也,郤獻子伐齊。齊侯來,獻之以得殞命之禮,曰:「寡君使克也,不腆弊邑之禮,為君之辱,敢歸諸下執政,以整御人。」苗棼皇曰:「郤子勇而不知禮,矜其伐而恥國君,其與幾何!」
新字:靡笄之役也,郤献子伐斉。斉侯来,献之以得殞命之礼,曰:「寡君使克也,不腆弊邑之礼,為君之辱,敢帰諸下執政,以整御人。」苗棼皇曰:「郤子勇而不知礼,矜其伐而恥国君,其与幾何!」
書き下し
靡笄の役や、郤献子斉を伐つ。斉侯来たる。之に献ずるに殞命(いんめい)を得たるの礼を以てし、曰く、「寡君克をして、不腆(ふてん)の弊邑の礼を、君の辱(はずかし)めの為に、敢えて諸(これ)を下執政に帰(おく)り、以て御人(ぎょじん)を整えしむ」と。苗棼皇(びょうふんこう)曰く、「郤子は勇にして礼を知らず。其の伐(いさお)に矜(ほこ)りて国君を恥ずかしむ、其れ幾何(いくばく)ぞ」と。
現代語訳
靡笄の戦いは、郤献子が斉を討った戦である。戦のあと斉侯(頃公)が晋に来朝した。郤献子は斉侯をもてなすのに、戦で捕らえた国君を迎える礼を用い、こう言った。「わが君はこの克に命じて、つたない弊国の礼を、君がかたじけなくもお越しくださったことに対して、謹んで貴国の執事の方々に差し上げ、それによって御人(おそばの婦人方)の振る舞いを正していただくようにと申しつけられました。」苗棼皇(晋の大夫、楚から亡命した闘椒の子)が言った。「郤子は勇ましいが礼を知らない。自分の戦功を誇って一国の君を辱めた。いつまで無事でいられようか。」
解説
魯の成公三年、鞌の戦いに敗れた斉の頃公が晋に来朝したときの話である。郤克は斉侯をもてなすのに、戦で国君を捕らえたときの献礼を用いた。韋昭注によれば、頃公は敗れはしたが捕らえられてはいないのだから、これは礼にかなわない。しかも郤克の口上は、かつて斉の婦人たちに笑われた恨みを、婦人の振る舞いを正させるという皮肉で返すものであった。『春秋左氏伝』成公三年にも、郤克が進み出て、この来朝は婦人の笑いの辱めのためだと言い放ったことが記されている。これを見た苗賁皇は、勇はあっても礼を知らず、功を誇って国君を辱める者は長くないと断じた。郤氏はその後も驕りを重ね、郤克の子郤錡の代に、一族もろとも厲公に滅ぼされる。勝った側が負けた側をどう遇するかに、その人の器が出る。恨みを晴らせるときこそ礼を守れという話である。
この章句が説くこと
国語晋語礼驕り勝者
関連する章句
-
論語・八佾篇子、太廟に入り、事毎に問う。或曰く、『誰か鄒人の子を礼を知ると謂うや、太廟に入りて事毎に問う。』子これを聞きて曰く、『是れ礼なり。』
-
論語・八佾篇子曰く、『夏の礼、吾能く之を言う。杞は徵すに足らず。殷の礼、吾能く之を言う。宋は徵すに足らず。文献足らざる故なり。足らば、則ち吾能く之を徵せん。』
-
論語・学而篇有子曰く、「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯を美と為す。小大之に由れども、行われざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行う可からざるなり。」
-
論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
-
論語・八佾篇子曰く、君に事えて礼を尽くせば、人以て諂いと為すなり。
-
論語・八佾篇林放礼の本を問う。子曰く、「大なるかな問いや。礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは、寧ろ戚めよ。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る