国語 / 晋語五
靡笄之役,郤獻子傷,曰:「余病喙。」張侯御,曰:「三軍之心,在此車也。其耳目在於旗鼓。車無退表,鼓無退聲,軍事集焉。吾子忍之,不可以言病。受命於廟,受脤於社,甲冑而效死,戎之政也。病未若死,祗以解志。」乃左并轡,右援枹而鼓之,馬逸不能止,三軍從之。齊師大敗,逐之,三周華不注之山。
新字:靡笄之役,郤献子傷,曰:「余病喙。」張侯御,曰:「三軍之心,在此車也。其耳目在於旗鼓。車無退表,鼓無退声,軍事集焉。吾子忍之,不可以言病。受命於廟,受脤於社,甲冑而効死,戎之政也。病未若死,祗以解志。」乃左并轡,右援枹而鼓之,馬逸不能止,三軍従之。斉師大敗,逐之,三周華不注之山。
書き下し
靡笄の役、郤献子傷つきて曰く、「余喙(かい)を病む」と。張侯(ちょうこう)御して曰く、「三軍の心は、此の車に在り。其の耳目は旗鼓に在り。車に退表無く、鼓に退声無くして、軍事集(な)る。吾子之を忍べ、以て病を言う可からず。命を廟に受け、脤(しん)を社に受け、甲冑して死を効(いた)すは、戎の政なり。病むは未だ死に若かず、祗(まさ)に以て志を解かんのみ」と。乃ち左に轡を并(あわ)せ、右に枹(ばち)を援(と)りて之を鼓す。馬逸して止むる能わず、三軍之に従う。斉の師大いに敗れ、之を逐いて、三たび華不注(かふちゅう)の山を周(めぐ)る。
現代語訳
靡笄の戦いで、郤献子は矢傷を負い、「息が苦しくてたまらない」と言った。御者の張侯(晋の大夫解張)が言った。「三軍の心はこの車にかかっています。兵たちの耳と目は、この車の旗と太鼓に向けられているのです。車に退く合図の旗が上がらず、太鼓に退く音がなければ、戦は成し遂げられます。あなたはこらえてください。苦しいなどと口にしてはなりません。出陣に際して宗廟で命を受け、社で供えの肉を受け、甲冑をまとって死をいとわないのが、軍の定めです。傷はまだ死ぬほどのことではありません。弱音を吐けば、ただ皆の志をくじくだけです。」そして左手で手綱をまとめて持ち、右手で撥をとって太鼓を打った。馬は奔って止められなくなり、三軍がこれに続いた。斉軍は大敗し、晋軍はこれを追って、華不注の山を三度めぐった。
解説
この章句が説くこと
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