導師導古典を学びたいすべての人に

国語 / 晋語四

文公即位二年,欲用其民,子犯曰:「民未知義,盍納天子以示之義?」乃納襄王于周。公曰:「可矣乎?」對曰:「民未知信,盍伐原以示之信?」乃伐原。曰:「可矣乎?」對曰:「民未知禮,盍大蒐,備師尚禮以示之。」乃大蒐于被廬,作三軍。使郤縠將中軍,以為大政,郤溱佐之。子犯曰:「可矣。」遂伐曹、衛,出穀戍,釋宋圍,敗楚師于城濮,於是乎遂伯。

新字:文公即位二年,欲用其民,子犯曰:「民未知義,盍納天子以示之義?」乃納襄王于周。公曰:「可矣乎?」対曰:「民未知信,盍伐原以示之信?」乃伐原。曰:「可矣乎?」対曰:「民未知礼,盍大蒐,備師尚礼以示之。」乃大蒐于被廬,作三軍。使郤縠将中軍,以為大政,郤溱佐之。子犯曰:「可矣。」遂伐曹、衛,出穀戍,釈宋囲,敗楚師于城濮,於是乎遂伯。

書き下し

文公即位二年、其の民を用いんと欲す。子犯曰く、「民未だ義を知らず、盍ぞ天子を納れて以て之に義を示さざる」と。乃ち襄王を周に納る。公曰く、「可なるか」と。対えて曰く、「民未だ信を知らず、盍ぞ原を伐ちて以て之に信を示さざる」と。乃ち原を伐つ。曰く、「可なるか」と。対えて曰く、「民未だ礼を知らず、盍ぞ大いに蒐(しゅう)して、師を備え礼を尚びて以て之に示さざる」と。乃ち被廬(ひろ)に大蒐し、三軍を作る。郤縠をして中軍に将たらしめ、以て大政と為し、郤溱(げきしん)之に佐たり。子犯曰く、「可なり」と。遂に曹・衛を伐ち、穀(こく)の戍(まもり)を出だし、宋の囲みを釈き、楚の師を城濮に敗り、是に於てか遂に伯たり。

現代語訳

文公は即位して二年目、民を戦いに用いようとした。子犯が言った。「民はまだ義を知りません。どうして天子を都に迎え入れて、民に義を示さないのですか。」そこで襄王を周の都に迎え入れた。公は言った。「もうよいか。」子犯は答えた。「民はまだ信を知りません。どうして原を攻めて、民に信を示さないのですか。」そこで原を攻めた。公は言った。「もうよいか。」子犯は答えた。「民はまだ礼を知りません。どうして大閲兵を行い、軍を整えて礼を尊ぶ姿を民に示さないのですか。」そこで被廬で大閲兵を行い、三軍を編成した。郤縠を中軍の将として国政の大本をつかさどらせ、郤溱をその副将とした。子犯は言った。「もうよいでしょう。」こうして曹と衛を攻め、斉の穀に置かれていた楚の守備兵を撤退させ、宋の包囲を解き、城濮で楚軍を破って、ついに諸侯の長(覇者)となった。

解説

晋語四の結びで、文公が覇者となるまでの道筋を、子犯の三つの進言としてまとめ直した場面である。民を戦いに用いたいと焦る文公に、子犯は、民はまだ義を知らないから王を迎えて示せ、信を知らないから原を伐って示せ、礼を知らないから大蒐をして示せ、と段階を踏ませた。原の攻略は、三日の約束を守って兵を引いた話として前に語られている。すべてが整ってから子犯はようやく「可なり」と言い、晋は曹・衛を伐ち、楚の穀の守備兵を退かせ、宋の囲みを解き、城濮で楚を破って覇者となった。韋昭注は、楚が魯の僖公二十六年に斉の穀を取って守備兵を置き、二十八年に退かせたと経緯を記す。『春秋左氏伝』僖公二十七年にもほぼ同じ問答が見え、「一戦にして霸たるは文の教えなり」と結ばれている。人を動かす前に、まず何のために動くのかという義と、上を信じられる根拠と、秩序を示しておく。急ぐ長ほど、この順序を飛ばしがちである。

この章句が説くこと

国語晋語覇業義信

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る