国語 / 晋語四
文公問於郭偃曰:「始也,吾以治國為易,今也難。」對曰:「君以為易,其難也將至矣。君以為難,其易也將至焉。」
新字:文公問於郭偃曰:「始也,吾以治国為易,今也難。」対曰:「君以為易,其難也将至矣。君以為難,其易也将至焉。」
書き下し
文公郭偃(かくえん)に問いて曰く、「始めや、吾国を治むるを以て易しと為す、今や難し」と。対えて曰く、「君以て易しと為さば、其の難きこと将に至らんとす。君以て難しと為さば、其の易きこと将に至らんとす」と。
現代語訳
文公が郭偃(晋の卜官)に尋ねた。「はじめのうち、わたしは国を治めるのはやさしいと思っていた。ところが今は難しいと感じている。」郭偃は答えた。「君がやさしいと思っておられるなら、難しいことがやがてやって来ます。君が難しいと思っておられるなら、やさしくなる時がやがてやって来るでしょう。」
解説
文公が卜官の郭偃に、国を治める難しさを打ち明けた短い問答である。即位したころは、国を治めるなど易しいと思っていたが、今は難しいと感じる。これに対して郭偃は、易しいと思っているうちは難しさがやって来るが、難しいと思えば易しさがやって来る、と答えた。韋昭注は、難しいと思って勤めて修めるから易しさがやって来るのだと説く。難しさを知ることは、恐れて手が止まることではなく、慎んで手を尽くすことにつながる。慢心が失敗を呼び、畏れが成功を呼ぶという逆説は、『老子』の「難きを其の易きに図る」とも通じる考え方である。長い亡命を経て国君となり、内政を整え、覇業に向かう文公が、この段階で「難しい」と口にしていること自体が、郭偃の言う易しさへの入り口に立っていたしるしとも読める。仕事に慣れて易しいと感じ始めたときこそ、もう一度難しさを思い起こしたい。
この章句が説くこと
国語晋語慢心治国慎み
関連する章句
-
尚書・周官寵に居りて危うきを思い、畏れざる罔く、畏れざれば畏るるに入る。
-
『正法眼蔵随聞記』巻四示して云はく、愚癡なる人は其の詮なきことを思ひ云ふなり、此につかはるゝ老尼公ありけるが、当時いやしげに在るをはづる顏にて、ともすれば人に向ては、昔しは上臘にてありしよしを語る、たとひ而今の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覚えぬ、甚だ無用なりとおぼゆるなり、皆人の思はくは此の心あるかと覚ゆるなり、道心の無きほども知られたり、是れらの心を改めて、少し人には似るべきなり、亦有る入道の、極めて無道心なるあり、去り難き知音にてある故に、道心おこらんこと仏神に祈誓せよと云はんと思ふ、定て彼れ腹立して中をたがふことあらん、然あれども道心を発さヾらんには得意にてもたがひに詮なかるべし、
-
徒然草・第167段一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智を取り出でて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物に誇ることなし。
-
尚書・西伯戡黎我が生、命は天に在るに非ずや。
-
『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
-
『十善法語』巻第八・不貪欲戒孟子ニ。葛伯猟ス。童子餉ヲ餽ル。葛伯見テ。童子ヲ殺シテ其餉ヲ奪フ。此ニ由テ湯初テ征スル葛ヨリ始トアル。民家ノ餉ハ。国君ノ口ニ適フベキデハナケレドモ。畢竟シテ戯レト慢心トノ長セルヨリ起タコトシヤ。民庶嬰孩ヲモ侮ラヌガ十善ノ心シヤ。又左伝ニ。斉ノ懿公庸織カ妻ヲ奪フ。是ニ由テ終ニ身ヲ亡シタシヤ。人ノ妻ヲ奪フマシキハ知レタコトナレドモ。臣僕ヲ侮ル故ニ出来ツタコトシヤ。臣僕ノ類ニモ謹ヲ失ハヌカ十善ノ心シヤ。不貪欲戒ハカウシヤ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る