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国語 / 晋語四

文公問元帥於趙衰,對曰:「郤縠可,行年五十矣,守學彌惇。夫先王之法志,德義之府也。夫德義,生民之本也。能惇篤者,不忘百姓也。請使郤縠。」公從之。公使趙衰為卿,辭曰:「欒枝貞慎,先軫有謀,胥臣多聞,皆可以為輔佐,臣弗若也。」乃使欒枝將下軍,先軫佐之。取五鹿,先軫之謀也。郤縠卒,使先軫代之。胥臣佐下軍。公使原季為卿,辭曰:「夫三德者,偃之出也。以德紀民,其章大矣,不可廢也。」使狐偃為卿,辭曰:「毛之智,賢於臣,其齒又長。毛也不在位,不敢聞命。」乃使狐毛將上軍,狐偃佐之。狐毛卒,使趙衰代之,辭曰:「城濮之役,先且居之佐軍也善,軍伐有賞,善君有賞,能其官有賞。且居有三賞,不可廢也。且臣之倫,箕鄭、胥嬰、先都在。」乃使先且居將上軍。公曰:「趙衰三讓。其所讓,皆社稷之衛也。廢讓,是廢德也。」以趙衰之故,蒐于清原,作五軍。使趙衰將新上軍,箕鄭佐之;胥嬰將新下軍,先都佐之。子犯卒,蒲城伯請佐,公曰:「夫趙衰三讓不失義。讓,推賢也。義,廣德也。德廣賢至,又何患矣。請令衰也從子。」乃使趙衰佐新上軍。

新字:文公問元帥於趙衰,対曰:「郤縠可,行年五十矣,守学弥惇。夫先王之法志,徳義之府也。夫徳義,生民之本也。能惇篤者,不忘百姓也。請使郤縠。」公従之。公使趙衰為卿,辞曰:「欒枝貞慎,先軫有謀,胥臣多聞,皆可以為輔佐,臣弗若也。」乃使欒枝将下軍,先軫佐之。取五鹿,先軫之謀也。郤縠卒,使先軫代之。胥臣佐下軍。公使原季為卿,辞曰:「夫三徳者,偃之出也。以徳紀民,其章大矣,不可廃也。」使狐偃為卿,辞曰:「毛之智,賢於臣,其歯又長。毛也不在位,不敢聞命。」乃使狐毛将上軍,狐偃佐之。狐毛卒,使趙衰代之,辞曰:「城濮之役,先且居之佐軍也善,軍伐有賞,善君有賞,能其官有賞。且居有三賞,不可廃也。且臣之倫,箕鄭、胥嬰、先都在。」乃使先且居将上軍。公曰:「趙衰三譲。其所譲,皆社稷之衛也。廃譲,是廃徳也。」以趙衰之故,蒐于清原,作五軍。使趙衰将新上軍,箕鄭佐之;胥嬰将新下軍,先都佐之。子犯卒,蒲城伯請佐,公曰:「夫趙衰三譲不失義。譲,推賢也。義,広徳也。徳広賢至,又何患矣。請令衰也従子。」乃使趙衰佐新上軍。

書き下し

文公元帥を趙衰に問う。対えて曰く、「郤縠(げきこく)可なり。行年五十なり、学を守ること彌(いよいよ)惇(あつ)し。夫れ先王の法志は、徳義の府なり。夫れ徳義は、生民の本なり。能く惇篤なる者は、百姓を忘れざるなり。請う郤縠を使わん」と。公之に従う。公趙衰をして卿たらしめんとす。辞して曰く、「欒枝(らんし)は貞慎、先軫は謀有り、胥臣は多聞、皆以て輔佐と為すべし、臣は若かざるなり」と。乃ち欒枝をして下軍に将たらしめ、先軫之に佐たり。五鹿を取るは、先軫の謀なり。郤縠卒し、先軫をして之に代わらしむ。胥臣下軍に佐たり。公原季(げんき)をして卿たらしめんとす。辞して曰く、「夫れ三徳は、偃の出だすところなり。徳を以て民を紀す、其の章(あき)らかなること大なり、廃すべからざるなり」と。狐偃をして卿たらしめんとす。辞して曰く、「毛の智は、臣より賢れり、其の歯又長ぜり。毛や位に在らずんば、敢えて命を聞かず」と。乃ち狐毛をして上軍に将たらしめ、狐偃之に佐たり。狐毛卒し、趙衰をして之に代わらしめんとす。辞して曰く、「城濮の役、先且居(せんしょきょ)の軍を佐くるや善し。軍伐には賞有り、君を善くするには賞有り、其の官を能くするには賞有り。且居に三賞有り、廃すべからざるなり。且つ臣の倫(ともがら)、箕鄭・胥嬰・先都在り」と。乃ち先且居をして上軍に将たらしむ。公曰く、「趙衰三たび譲る。其の譲る所は、皆社稷の衛(まもり)なり。譲を廃するは、是れ徳を廃するなり」と。趙衰の故を以て、清原に蒐し、五軍を作る。趙衰をして新上軍に将たらしめ、箕鄭之に佐たり。胥嬰新下軍に将たり、先都之に佐たり。子犯卒し、蒲城伯佐たらんことを請う。公曰く、「夫れ趙衰三たび譲りて義を失わず。譲は、賢を推すなり。義は、徳を広むるなり。徳広まりて賢至る、又何をか患えん。請う衰をして子に従わしめん」と。乃ち趙衰をして新上軍に佐たらしむ。

現代語訳

文公は中軍の元帥に誰がよいかを趙衰に尋ねた。趙衰は答えた。「郤縠がよいでしょう。年は五十になりますが、学問を守ることますます篤い人です。先王の法と記録は徳と義の蔵であり、徳と義は民を生かす根本です。これに篤く親しむ者は、民を忘れません。郤縠をお用いください。」公はこれに従った。公は趙衰を卿にしようとした。趙衰は辞退して言った。「欒枝は正しく慎み深く、先軫は知略があり、胥臣は見聞が広く、みな輔佐とするに足ります。わたしは彼らに及びません。」そこで欒枝を下軍の将とし、先軫をその副将とした。衛の五鹿を取ったのは先軫の謀であった。郤縠が亡くなると、先軫をその後任とし、胥臣を下軍の副将とした。公は原季(趙衰)を卿にしようとした。趙衰は辞退して言った。「王を迎えて民に義を示し、原を伐って信を示し、大閲兵で礼を示した三つの徳は、狐偃から出たものです。徳によって民を治めたその功績は大きく明らかで、捨て置くべきではありません。」そこで狐偃を卿にしようとした。狐偃は辞退して言った。「兄の毛の知恵はわたしにまさり、年も上です。毛が位に就かないうちは、お受けできません。」そこで狐毛を上軍の将とし、狐偃をその副将とした。狐毛が亡くなると、趙衰を後任にしようとした。趙衰は辞退して言った。「城濮の戦いで、先且居(先軫の子)は軍の補佐をみごとに務めました。軍功には賞があり、君をよく助けた者には賞があり、職務をよく果たした者には賞があります。且居には三つの賞に値する功があり、捨て置くべきではありません。それに、わたしと並ぶ者として箕鄭・胥嬰・先都もおります。」そこで先且居を上軍の将とした。公は言った。「趙衰は三度譲った。譲った相手はみな国家を守る者たちである。譲る者を用いないのは、徳を捨てることだ。」趙衰のために、清原で大閲兵を行い、五軍を編成した。趙衰を新上軍の将とし、箕鄭をその副将とした。胥嬰を新下軍の将とし、先都をその副将とした。子犯が亡くなると、蒲城伯(先且居)が自分の副将を願い出た。公は言った。「趙衰は三度譲って、義を失わなかった。譲るとは賢者を推すことであり、義とは徳を広めることである。徳が広まれば賢者が集まる。何を憂えることがあろう。衰をあなたの副将につけよう。」そこで趙衰を上軍の副将とした。

解説

文公が軍の将や卿を任じるにあたり、趙衰が三度にわたって位を他に譲った経緯を記した場面である。趙衰は元帥に学問の篤い郤縠を推し、自分への任命は欒枝・先軫・胥臣に譲り、次には義・信・礼の三徳を民に示した功を挙げて狐偃に譲り、さらに城濮で功のあった先且居に譲った。その狐偃もまた、兄の狐毛が位に就かぬうちはと辞退している。韋昭注は、三徳を王を迎えて義を示し、原を伐って信を示し、大蒐で礼を示したことと解する説を採る。文公は、譲る者を用いなければ徳を捨てることになると言い、趙衰のために清原で五軍を編成した。なお結びの「新上軍に佐たらしむ」について、韋昭注は「新」の字を誤りとし、趙衰は上軍の副将に進んだのだと説いている。『春秋左氏伝』僖公二十七年・三十一年にも、郤縠の任命と清原の五軍が見える。人に功を譲る者が重んじられる組織では、賢者が自然に集まってくる。

この章句が説くこと

国語晋語趙衰推挙人事

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