国語 / 晋語四
文公誅觀狀以伐鄭,反其陴。鄭人以名寶行成,公弗許,曰:「予我詹而師還。」詹請往,鄭伯弗許,詹固請曰:「一臣可以赦百姓而定社稷,君何愛於臣也?」鄭人以詹予晉,晉人將烹之。詹曰:「臣願獲盡辭而死,固所願也。」公聽其辭。詹曰:「天降鄭禍,使淫觀狀,棄禮違親。臣曰:『不可。夫晉公子賢明,其左右皆卿才,若復其國,而得志於諸侯,禍無赦矣。』今禍及矣。尊明勝患,智也。殺身贖國,忠也。」乃就烹,據鼎耳而疾號曰:「自今以往,知忠以事君者,與詹同。」乃命弗殺,厚為之禮而歸之。鄭人以詹伯為將軍。
新字:文公誅観状以伐鄭,反其陴。鄭人以名宝行成,公弗許,曰:「予我詹而師還。」詹請往,鄭伯弗許,詹固請曰:「一臣可以赦百姓而定社稷,君何愛於臣也?」鄭人以詹予晋,晋人将烹之。詹曰:「臣願獲尽辞而死,固所願也。」公聴其辞。詹曰:「天降鄭禍,使淫観状,棄礼違親。臣曰:『不可。夫晋公子賢明,其左右皆卿才,若復其国,而得志於諸侯,禍無赦矣。』今禍及矣。尊明勝患,智也。殺身贖国,忠也。」乃就烹,拠鼎耳而疾号曰:「自今以往,知忠以事君者,与詹同。」乃命弗殺,厚為之礼而帰之。鄭人以詹伯為将軍。
書き下し
文公観状(かんじょう)を誅して以て鄭を伐ち、其の陴(ひ)を反(はら)う。鄭人名宝を以て成(せい)を行う。公許さずして曰く、「我に詹(せん)を予えよ、而して師還らん」と。詹往かんことを請う、鄭伯許さず。詹固く請いて曰く、「一臣以て百姓を赦し社稷を定むべし、君何ぞ臣を愛しまん」と。鄭人詹を以て晋に予う。晋人将に之を烹(に)んとす。詹曰く、「臣願わくは尽く辞するを獲て死せん、固より願う所なり」と。公其の辞を聴く。詹曰く、「天鄭に禍いを降し、淫して状を観しめ、礼を棄て親に違わしむ。臣曰く、『不可なり。夫れ晋の公子は賢明にして、其の左右皆卿才なり。若し其の国に復りて、志を諸侯に得ば、禍い赦(ゆる)さるること無からん』と。今禍い及べり。明を尊びて患いに勝つは、智なり。身を殺して国を贖うは、忠なり」と。乃ち烹に就き、鼎の耳に据(よ)りて疾(はや)く号(さけ)びて曰く、「今より以往、忠を知りて以て君に事うる者は、詹と同じからん」と。乃ち命じて殺さず、厚く之が礼を為して之を帰す。鄭人詹伯を以て将軍と為す。
現代語訳
文公は、亡命中に受けた無礼の罪を問うとして鄭を攻め、その城壁の上の垣を打ち壊した。鄭の人々は名高い宝物を差し出して和睦を求めた。公は許さずに言った。「わたしに叔詹を引き渡せ。そうすれば軍を引き揚げよう。」叔詹は自ら行かせてほしいと願い出たが、鄭伯(文公)は許さなかった。叔詹は強く願って言った。「臣下一人で民を救い国家を安定させられるのです。君はどうしてわたしを惜しまれるのですか。」鄭の人々は叔詹を晋に引き渡した。晋の人々は彼を釜ゆでにしようとした。叔詹は言った。「わたしは言いたいことを言い尽くしてから死にたいと願います。それさえかなえば本望です。」公はその言葉を聞くことにした。叔詹は言った。「天は鄭に災いを下し、わが君を思い上がらせて、曹と同じように無礼を働かせ、礼を捨てて同族の親しみに背かせました。わたしはそのとき申し上げたのです。『なりません。晋の公子は賢明で、その側近はみな卿の器です。もし国に帰って諸侯の間で志を得たなら、その災いは免れられません』と。いまその災いがやってきました。賢明な方を尊んで災いに打ち勝とうとしたのは智であり、身を捨てて国を贖うのは忠です。」そして釜ゆでの刑に就き、鼎の取っ手をつかんで大声で叫んだ。「これから先、忠を知って君に仕える者は、みな詹と同じ目にあうぞ。」そこで公は命じて殺さず、手厚く礼を尽くして鄭に帰した。鄭の人々は叔詹を将軍にした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』魯問魯君の嬖人、死す。魯君、之が為に誄す。魯人、因りて説びて之を用う。子墨子、之を聞きて曰く、「誄なる者は、死人の志を道うなり。今、説びて之を用うるに因るは、是れ猶お來首を以て服に從うがごときなり」と。魯陽文君、子墨子に謂いて曰く、「我に忠臣を語る者有り。之に俯せしむれば則ち俯し、之に仰がしむれば則ち仰ぎ、處らしむれば則ち静かに、呼べば則ち應ず。忠臣と謂う可きか」と。子墨子曰く、「之に俯せしむれば則ち俯し、之に仰がしむれば則ち仰ぐは、是れ景に似たり。處らしむれば則ち静かに、呼べば則ち應ずるは、是れ響に似たり。君、将た何をか景と響とに得んや。翟の所謂る忠臣なる者を以てせば、上に過ち有れば則ち之を微にして以て諌め、己に善有れば則ち之を上に訪ねて、敢えて以て外に告ぐる無く、其の邪を匡して其の善に入り、尚びて下に比する無く、美善を上に在らしめて怨讐を下に在らしめ、安樂を上に在らしめて憂慼を臣に在らしむ。此れ翟の忠臣と謂う者なり」と。
-
『武士道』第九章 忠節・支那は孝を本とし日本は忠を本とす此れと等しく、日本人の懐抱する如き忠節は、国を異にして之を頌するものの、ほとんど稀なるを見ん。然れども此れ、吾人の観念の非なるが故にあらずして、却つて彼れにありては既に之を忘却せるが故にして、又た日本人の忠節の念に深厚なるは、他国の未だ容易に企及する能はざるものあるが為なるなからんか。グリフィス氏が、支那に在りては孔教は孝を以て百行の基と為し、日本に在りては忠を以て本と為す、と説けるは真に然り。予は今ここに、読者の或は吃驚酸鼻すべきを顧みず、シェイクスピアの所謂『落魄の主君に仕へて艱苦をつぶさにし』、以て『稗史に名を得たる』忠臣の物語を叙せん。其物語は、我国史を飾れる清廉高義の人格、菅原道真を寓せるものなり。
-
葉隠・聞書第一主君さえ大切に仕り候えば、親も悦び、仏神も納受(のうじゅ)あるべしと存じ候。此方(こなた)は主を思うより外のこと知らず、志(こころざし)つのり候えば、不断(ふだん)御身辺(ごしんぺん)に気を附け、片時も離れ申さず候。又、女は第一に夫を主君の如く存ずべき事である。
-
『韓非子』初見秦第一然り而して兵甲頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虚しく、四隣の諸侯服せず、霸王の名成らず。此れ異なる故無し、其の謀臣皆な其の忠を尽くさざればなり。
-
葉隠・聞書第一忠臣は孝子の門に尋ねよとあり。随分(ずいぶん)心を尽くして孝行すべき事なり。奉公に精を出す人は自然にはあれども、孝行に精出す人は稀なり。よき者には他人も懇(ねんご)ろに、亡き後にて残り多く、孝行に精出す人は稀なり。無理なる人、無理なる親にてなくば知れまじきなり。
-
『武士道』第九章 忠節・忠と孝の衝突平家物語の作者は、小松内府の父清盛の暴虐を憂ふるの条に至り、惻然として、『悲しきかな、君の御為に奉公の忠を致さんとすれば、迷盧八万の巓よりもなほ高き父の恩、たちまちに忘れんとす。いたましきかな、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御為には既に不忠の逆臣ともなりぬべし、進退これ谷れり』と歎ぜり。哀れむべし重盛、彼れ後、霊性の誠を披いて死を天に祈り、純潔正義の宿するに難き此塵世を出離せんことを願ふを見るに非らずや。義理と人情との衝突によりて心破れたるもの、古来其人多し、あに独り重盛のみならんや。シェイクスピアも将た旧約全書も、孝を説いて未だ明かなるものあるを見ず。然るに一旦此の衝突の起るや、武士道は孝を捨てて寧ろ忠を取るに遅疑せず。しかのみならず、女子も亦た敢て其子を励まして君主の為に死せしむ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る