国語 / 晋語四
初,獻公使寺人勃鞮伐公於蒲城,文公踰垣,勃鞮斬其袪。及入,勃鞮求見,公辭焉,曰:「驪姬之讒,爾射余於屏內,困余於蒲城,斬余衣袪。又為惠公從余於渭濱,命曰三日,若宿而至。若干二命,以求殺余。余於伯楚屢困,何舊怨也?退而思之,異日見我。」對曰:「吾以君為已知之矣,故入;猶未知之也,又將出矣。事君不貳是謂臣,好惡不易是謂君。君君臣臣,是謂明訓。明訓能終,民之主也。二君之世,蒲人、狄人,余何有焉?除君之惡,唯力所及,何貳之有?今君即位,其無蒲、狄乎?伊尹放太甲而卒以為明王,管仲賊桓公而卒以為侯伯。乾時之役,申孫之矢集于桓鉤,鉤近於袪,而無怨言,佐相以終,克成令名。今君之德宇,何不寬裕也?惡其所好,其能久矣?君實不能明訓,而棄民主。余,罪戾之人也,又何患焉?且不見我,君其無悔乎!」 於是呂甥、冀芮畏偪,悔納文公,謀作亂,將以己丑焚公宮,公出救火而遂殺之。伯楚知之,故求見公。公遽出見之,曰:「豈不如女言,然是吾惡心也,吾請去之。」伯楚以呂、郤之謀告公。公懼,乘馹自下,脫會秦伯于王城,告之亂故。及己丑,公宮火,二子求公不獲,遂如河上,秦伯誘而殺之。
新字:初,献公使寺人勃鞮伐公於蒲城,文公踰垣,勃鞮斬其袪。及入,勃鞮求見,公辞焉,曰:「驪姫之讒,爾射余於屏内,困余於蒲城,斬余衣袪。又為恵公従余於渭浜,命曰三日,若宿而至。若干二命,以求殺余。余於伯楚屡困,何旧怨也?退而思之,異日見我。」対曰:「吾以君為已知之矣,故入;猶未知之也,又将出矣。事君不貳是謂臣,好悪不易是謂君。君君臣臣,是謂明訓。明訓能終,民之主也。二君之世,蒲人、狄人,余何有焉?除君之悪,唯力所及,何貳之有?今君即位,其無蒲、狄乎?伊尹放太甲而卒以為明王,管仲賊桓公而卒以為侯伯。乾時之役,申孫之矢集于桓鉤,鉤近於袪,而無怨言,佐相以終,克成令名。今君之徳宇,何不寛裕也?悪其所好,其能久矣?君実不能明訓,而棄民主。余,罪戻之人也,又何患焉?且不見我,君其無悔乎!」 於是呂甥、冀芮畏偪,悔納文公,謀作乱,将以己丑焚公宮,公出救火而遂殺之。伯楚知之,故求見公。公遽出見之,曰:「豈不如女言,然是吾悪心也,吾請去之。」伯楚以呂、郤之謀告公。公懼,乗馹自下,脱会秦伯于王城,告之乱故。及己丑,公宮火,二子求公不獲,遂如河上,秦伯誘而殺之。
書き下し
初め、献公寺人(じじん)勃鞮(ぼつてい)をして公を蒲城に伐たしむ。文公垣(かき)を踰(こ)え、勃鞮其の袪(そで)を斬る。入るに及び、勃鞮見えんことを求む。公辞して曰く、「驪姫(りき)の讒に、爾余を屏内(へいない)に射、余を蒲城に困しめ、余が衣袪を斬る。又恵公の為に余を渭浜(いひん)に従い、命に三日と曰うに、若(なんじ)宿にして至る。若二命を干(おか)して、以て余を殺さんことを求む。余伯楚に於て屢(しばしば)困しむ、何の旧怨ぞや。退きて之を思い、異日我に見えよ」と。対えて曰く、「吾君を以て已に之を知れりと為す、故に入る。猶未だ之を知らずんば、又将に出でんとす。君に事えて貳(に)ならざる是を臣と謂い、好悪易わらざる是を君と謂う。君君たり臣臣たる、是を明訓と謂う。明訓能く終うるは、民の主なり。二君の世、蒲人・狄人、余何か有らん。君の悪を除くは、唯力の及ぶ所のみ、何の貳か之有らん。今君位に即く、其れ蒲・狄無からんや。伊尹太甲を放ちて卒に以て明王と為し、管仲桓公を賊(そこな)いて卒に以て侯伯と為す。乾時(かんじ)の役、申孫の矢桓の鉤(こう)に集(あ)たる。鉤は袪より近し、而るに怨言無く、佐相して以て終え、克く令名を成す。今君の徳宇、何ぞ寛裕ならざるや。其の好む所を悪む、其れ能く久しからんや。君実に明訓すること能わずして、民の主を棄つ。余は、罪戾(ざいれい)の人なり、又何をか患えん。且つ我に見えずんば、君其れ悔ゆること無からんや」と。 是に於て呂甥・冀芮偪(せま)らるるを畏れ、文公を納れしを悔い、乱を作さんと謀り、将に己丑を以て公宮を焚かんとし、公出でて火を救わば遂に之を殺さんとす。伯楚之を知る、故に公に見えんことを求む。公遽(にわ)かに出でて之に見えて曰く、「豈女(なんじ)の言の如くならざらんや。然れども是れ吾の悪心なり、吾請う之を去らん」と。伯楚呂・郤(げき)の謀を以て公に告ぐ。公懼れ、馹(えき)に乗りて自ら下り、脱して秦伯に王城に会い、之に乱の故を告ぐ。己丑に及び、公宮火(や)く。二子公を求めて獲ず、遂に河上に如く。秦伯誘いて之を殺す。
現代語訳
かつて献公は宦官の勃鞮に命じて、蒲城にいた公(重耳)を攻めさせた。文公は垣根を乗り越えて逃げ、勃鞮はその袖を斬り落とした。文公が帰国して即位すると、勃鞮が面会を求めた。文公は断って言わせた。「驪姫の讒言があったとき、おまえは宮中の屏の内でわたしに矢を射かけ、蒲城でわたしを追いつめ、わたしの袖を斬った。また恵公のためにわたしを渭水のほとりまで追い、三日で行けと命じられたのに、おまえは一晩で来た。おまえは二人の君の命令を越えてまで、わたしを殺そうとした。わたしは伯楚(勃鞮の字)に何度も苦しめられたが、どんな古い恨みがあったというのか。下がってよく考え、日を改めて会いに来い。」勃鞮は答えた。「わたしは、君がすでにこの道理をわかっておられると思ったからこそ、帰ってきたのです。まだおわかりでないのなら、またこの国を出ていくまでです。君に仕えて二心がないのを臣と言い、好むもの憎むものを変えないのを君と言います。君が君らしく臣が臣らしくあること、これを明らかな教えと言います。この教えを最後まで守れる人こそが民の主です。先の二人の君の代には、蒲の人や狄の人(重耳)など、わたしにとって何でありましょう。君の憎む者を除くのに、ただ力の限りを尽くしただけです。どこに二心がありましょう。いま君は位につかれましたが、君にとっての蒲や狄はいないとでもお思いですか。伊尹は太甲を追放しましたが、最後には太甲を明君にしました。管仲は桓公を殺そうとしましたが、最後には桓公を諸侯の長にしました。乾時の戦いで、管仲の放った申孫という矢は桓公の帯の留め金に当たりました。留め金は袖よりずっと急所に近いのに、桓公は恨み言を言わず、管仲を宰相として最後まで用い、名声を成し遂げました。いま君の度量は、どうしてこんなに狭いのですか。君の好むべき忠臣を憎むようでは、長く君主でいられましょうか。君はまことに明らかな教えを行うことができず、民の主たる道を捨てておられます。わたしは罪ある身、何を恐れることがありましょう。ただ、わたしに会わなければ、君はきっと後悔なさるでしょう。」 ちょうどそのころ、呂甥と冀芮は新しい君に追いつめられることを恐れ、文公を迎え入れたことを悔いて乱を起こそうと謀っていた。己丑の日に公の宮殿に火を放ち、公が火を消しに出てきたところを殺すつもりだった。伯楚はそれを知っていたので、面会を求めたのである。公は急いで出てきて彼に会い、言った。「おまえの言うとおりではないか。あれはわたしの悪い心であった。それを捨てよう。」伯楚は呂甥と郤芮(冀芮)の謀を公に告げた。公は恐れ、駅伝の車に乗って裏道から抜け出し、ひそかに秦伯と王城で会って、乱のわけを告げた。己丑の日になると、公の宮殿が燃えた。二人は公を探したが見つからず、黄河のほとりへ向かった。秦伯は二人を誘い出して殺した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『近思録』巻10 政事伝に曰く、志卑しきの人、既に旅困に処れば、鄙猥瑣細、至らざる所無し。乃ち其の悔辱を致し、災咎を取る所以なり。旅に在りて過剛自ら高ぶるは、困災を致すの道なり。兌の上六に曰く、「引きて兌ぶ。」象に曰く、「未だ光ならざるなり。」伝に曰く、説ぶこと既に極まれるに、又引きて之を長くす、之を説ぶの心已まずと雖も、而も事理已に過ぎ、実に説ぶ所無し。事の盛んなれば則ち光輝有り。既に極まりて強ひて之を引きて長くす、其の意味無きこと甚だし。豈に光有らんや。中孚の象に曰く、「君子以て獄を議し死を緩くす。」伝に曰く、君子の獄を議するに於ける、其の忠を尽すのみ。死を決するに於ては、惻を極むるのみ。天下の事、其の忠を尽さざる所無し。而して獄を議し死を緩くするは、最も其の大なる者なり。事時有りて当に過ぐべき、宜しきに従ふ所以なり。然れども豈に甚だしく過ぐべけんや。過恭過哀過倹の如き、大いに過ぐれば則ち不可なり。小過の宜しきに順ふと為す所以なり。能く宜しきに順ふ、大吉なる所以なり。小人を防ぐの道は、己を正すを先と為す。周公は至公にして私せず、進退道を以てす。利欲の蔽無し。其の己を処するや、夔夔然として恭畏の心を存す。其の誠を存するや、蕩蕩焉として顧慮の意無し。危疑の地に在りと雖も、而も其の聖を失はざる所以なり。詩に曰く、「公孫碩膚、赤舄几几たり。」採察求訪は、使臣の大務なり。明道先生呉師礼と介甫の学の錯れる処を談ず。師礼に謂ひて曰く、「我が為に尽く諸を介甫に達せよ、我も亦未だ敢へて自ら以て是と為さず、如し説有らば、願はくは往復せん。此れ天下の公理にして、彼我無し。果して能く明弁せば、介甫に益有らずんば、則ち必ず我に益有らん。」天祺司竹に在りて常に一卒長を愛用す。将に代らんとするに及び、自ら其の人の筍皮を盗むを見、遂に之を治めて少しも貸すこと無し。罪己に正し、之を待すること復た初の如く、略ぼ意に介せず。其の徳量此くの如し。
-
『春秋左氏伝』文公六年 臾駢、私怨を報いず冬十月、襄仲晉に如く。襄公を葬る。十一月、丙寅、晉續簡伯を殺す。賈季狄に奔る。宣子臾駢をして其の帑(ど)を送らしむ。夷の蒐に、賈季臾駢を戮(はづかし)む。臾駢の人、盡く賈氏を殺して以って報いんと欲す。臾駢曰く、「不可なり。吾聞く、前志に之有りて曰く、『惠に敵し怨に敵するは、後嗣に在らず、忠の道なり』と。夫子賈季に禮す、我其の寵を以って私怨に報いば、乃ち不可なること無からんや。人の寵に介(よ)るは、勇に非ざるなり。怨を損して仇を益すは、知に非ざるなり。私を以って公を害するは、忠に非ざるなり。此の三者を釋てて、何を以ってか夫子に事へん」と。盡く其の帑と、其の器用財賄とを具へ、親ら師ゐて之を扞(ふせ)ぎ、送りて諸を竟に致す。閏月に朔を告げざるは、禮に非ざるなり。閏は以って時を正し、時は以って事を作し、事は以って生を厚くす。生民の道、是に於いてか在り。閏朔を告げざるは、時政を棄つるなり、何を以ってか民を為めん。
-
国語・楚語下呉人楚に入る。昭王鄖(うん)に奔る。鄖公の弟懐将に王を弑せんとす。鄖公辛之を止む。懐曰く、「平王吾が父を殺す。国に在りては則ち君、外に在りては則ち讎(あだ)なり。讎を見て殺さざるは、人に非ざるなり」と。鄖公曰く、「夫れ君に事うる者は、外内の為に行わず、豊約の為に挙げず。苟も之を君とせば、尊卑一なり。且つ夫れ自ら敵(ひと)しきより以下は則ち讎有り、是に非ざれば讎とせず。下上を虐ぐるを弑と為し、上下を虐ぐるを討と為す。而るを況んや君をや。君にして臣を討つ、何の讎か之れ為さん。若し皆君を讎とせば、則ち何の上下か之れ有らん。吾が先人善を以て君に事え、名を諸侯に成す。闘伯比(とうはくひ)より以来、未だ之を失わず。今爾是を以て之を殃(そこな)わんとす、不可なり」と。懐聴かずして曰く、「吾父を思う、顧みること能わず」と。鄖公王を以て随に奔る。 王帰りて賞鄖・懐に及ぶ。子西諫めて曰く、「君に二臣有り、或いは賞すべく、或いは戮すべし。君王之を均しくせば、群臣懼れん」と。王曰く、「夫れ子期の二子か。吾之を知れり。或いは君に礼し、或いは父に礼す。之を均しくするも、亦可ならずや」と。
-
『呻吟語』内篇・應務・量は六合の隘きを嫌ふ量は六合の隘きを嫌ひ、身は五岳を負ふも輕し。
-
史記 季布欒布列伝季布は、楚の人なり。気を為し任侠たり、楚に名有り。項籍兵を将ゐしめ、数々漢王を窘む。項羽滅ぶるに及び、高祖布を千金に購求し、敢へて舎匿する有らば、罪三族に及ぶとす。季布濮陽の周氏に匿る。周氏曰く「漢将軍を購ふこと急なり、跡且に臣の家に至らんとす、将軍能く臣に聴かば、臣敢へて計を献ぜん。即し能はずんば、願はくは先づ自剄せん」と。季布之を許す。乃ち季布を髡鉗し、褐衣を衣せ、広柳車の中に置き、并びに其の家僮数十人と、魯の朱家の所に之きて之を売る。朱家心に是れ季布なるを知り、乃ち買ひて之を田に置く。其の子を誡めて曰く「田事は此の奴に聴け、必ず与に食を同じくせよ」と。朱家乃ち軺車に乗りて洛陽に之き、汝陰侯滕公に見ゆ。滕公朱家を留めて飲むこと数日。因りて滕公に謂ひて曰く「季布何の大罪ありて、上之を求むること急なるや」と。滕公曰く「布数々項羽の為に上を窘む、上之を怨む、故に必ず之を得んと欲す」と。朱家曰く「君季布を視ること何如なる人ぞ」と。曰く「賢者なり」と。朱家曰く「臣は各々其の主の為に用ひらる、季布の項籍の為に用ひらるるは、職のみ。項氏の臣尽く誅すべけんや。今上始めて天下を得て、独り己の私怨を以て一人を求む、何ぞ天下に広からざるを示すや。且つ季布の賢を以てして漢之を求むること此くの如く急なれば、此れ北のかた胡に走らずんば即ち南のかた越に走らんのみ。夫れ壮士を忌みて以て敵国に資するは、此れ伍子胥の荊の平王の墓に鞭うちし所以なり。君何ぞ従容として上の為に言はざるや」と。汝陰侯滕公心に朱家の大侠なるを知り、季布其の所に匿るると意ひ、乃ち許して曰く「諾」と。間を待ちて、果たして朱家の指の如く言ふ。上乃ち季布を赦す。是の時に当たり、諸公皆季布の能く剛を摧きて柔と為すを多とし、
-
『呻吟語』内篇・應務・一葉の滄海に泛ぶが如し聖賢の量は空闊なり。事の胸中に到るは一葉の滄海に泛ぶが如し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る