国語 / 晋語四
十月,惠公卒。十二月,秦伯納公子。及河,子犯授公子載璧,曰:「臣從君還軫,巡於天下,怨其多矣!臣猶知之,而況君乎?不忍其死,請由此亡。」公子曰:「所不與舅氏同心者,有如河水。」沈璧以質。 董因迎公於河,公問焉,曰:「吾其濟乎?」對曰:「歲在大梁,將集天行。元年始受,實沈之星也。實沈之墟,晉人是居。所以興也。今君當之,無不濟矣。君之行也,歲在大火。大火,閼伯之星也,是謂大辰。辰以成善,后稷是相,唐叔以封。瞽史記曰:嗣續其祖,如穀之滋,必有晉國。臣筮之,得泰之八。曰:是謂天地配亨,小往大來。今及之矣,何不濟之有?且以辰出而以參入,皆晉祥也,而天之大紀也。濟且秉成,必霸諸侯。子孫賴之,君無懼矣。」 公子濟河,召令狐、臼衰、桑泉,皆降。晉人懼,懷公奔高梁。呂甥、冀芮帥師,甲午,軍于廬柳。秦伯使公子縶如師,師退,次于郇。辛丑,狐偃及秦、晉大夫盟于郇。壬寅,公入于晉師。甲辰,秦伯還。丙午,入于曲沃。丁未,入絳,即位于武宮。戊申,刺懷公于高梁。
新字:十月,恵公卒。十二月,秦伯納公子。及河,子犯授公子載璧,曰:「臣従君還軫,巡於天下,怨其多矣!臣猶知之,而況君乎?不忍其死,請由此亡。」公子曰:「所不与舅氏同心者,有如河水。」沈璧以質。 董因迎公於河,公問焉,曰:「吾其済乎?」対曰:「歳在大梁,将集天行。元年始受,実沈之星也。実沈之墟,晋人是居。所以興也。今君当之,無不済矣。君之行也,歳在大火。大火,閼伯之星也,是謂大辰。辰以成善,后稷是相,唐叔以封。瞽史記曰:嗣続其祖,如穀之滋,必有晋国。臣筮之,得泰之八。曰:是謂天地配亨,小往大来。今及之矣,何不済之有?且以辰出而以参入,皆晋祥也,而天之大紀也。済且秉成,必覇諸侯。子孫頼之,君無懼矣。」 公子済河,召令狐、臼衰、桑泉,皆降。晋人懼,懐公奔高梁。呂甥、冀芮帥師,甲午,軍于廬柳。秦伯使公子縶如師,師退,次于郇。辛丑,狐偃及秦、晋大夫盟于郇。壬寅,公入于晋師。甲辰,秦伯還。丙午,入于曲沃。丁未,入絳,即位于武宮。戊申,刺懐公于高梁。
書き下し
十月、恵公卒す。十二月、秦伯公子を納る。河に及ぶ。子犯公子に載璧(さいへき)を授けて曰く、「臣君に従いて還軫(かんしん)し、天下を巡る、怨み其れ多し。臣猶之を知る、而るを況んや君をや。其の死を忍びず、請う此由り亡げん」と。公子曰く、「舅氏と心を同じくせざる所の者は、河水の如き有らん」と。璧を沈めて以て質(ちか)う。 董因(とういん)公を河に迎う。公問いて曰く、「吾其れ済(な)らんか」と。対えて曰く、「歳は大梁(たいりょう)に在り、将に天行を集(な)さんとす。元年始めて受くるは、実沈(じっちん)の星なり。実沈の墟(きょ)は、晋人是に居る。興る所以なり。今君之に当たる、済らざること無からん。君の行くや、歳は大火に在り。大火は、閼伯(あつはく)の星なり、是を大辰(たいしん)と謂う。辰以て善を成し、后稷是れ相(み)、唐叔以て封ぜらる。瞽史の記に曰く、祖を嗣続すること、穀の滋(しげ)るが如く、必ず晋国を有たんと。臣之を筮して、泰の八を得たり。曰く、是を天地配して亨り、小往き大来たると謂う。今之に及べり、何の済らざることか之有らん。且つ辰を以て出でて参(しん)を以て入る、皆晋の祥なり、而して天の大紀なり。済りて且つ成を秉(と)らば、必ず諸侯に霸たらん。子孫之に頼らん、君懼るること無かれ」と。 公子河を済り、令狐(れいこ)・臼衰(きゅうし)・桑泉を召す、皆降る。晋人懼れ、懐公高梁(こうりょう)に奔る。呂甥(りょせい)・冀芮(きぜい)師を帥い、甲午、廬柳(ろりゅう)に軍す。秦伯公子縶(しつ)をして師に如かしむ。師退きて、郇(じゅん)に次(やど)る。辛丑、狐偃秦・晋の大夫と郇に盟う。壬寅、公晋の師に入る。甲辰、秦伯還る。丙午、曲沃(きょくよく)に入る。丁未、絳(こう)に入り、武宮に即位す。戊申、懐公を高梁に刺す。
現代語訳
十月、晋の恵公が亡くなった。十二月、秦伯(穆公)は公子を晋に送り込んだ。一行が黄河に至ると、子犯は祭祀の璧を公子に返して言った。「わたしは君に従って車をめぐらせ、天下を渡り歩いてきました。その間に君に恨まれることも多かったでしょう。わたし自身がそれを知っているのですから、まして君はなおさらでしょう。君のもとで殺されるのは忍びません。どうかここでお暇をください。」公子は言った。「もしおじ上と心を一つにしないことがあれば、この河の水が証人となろう。」そして璧を河に沈めて誓いとした。 董因(晋の史官)が黄河のほとりで公子を出迎えた。公子は尋ねた。「わたしは成し遂げられるだろうか。」董因は答えた。「歳星(木星)は大梁の宿にあり、君は天の道を成し遂げようとしています。即位の元年に歳星が移るのは実沈の宿で、実沈の地こそ晋の人々が住むところです。晋が興るゆえんです。いま君はまさにその時に当たっており、成し遂げられないことはありません。君が国を出られたとき、歳星は大火の宿にありました。大火は閼伯の星で、大辰と呼ばれます。大辰は農事の善い時を示す星で、后稷はこれを見て農を営み、唐叔(晋の始祖)はその時に封ぜられました。瞽史の記録には『祖先の業を受け継ぐこと、穀物が茂るように、必ず晋の国を得るだろう』とあります。わたしが占ったところ、泰の八を得ました。これは『天と地が交わって通じ、小さなものが去り大きなものが来る』という卦です。いまその時が来たのです。どうして成し遂げられないことがありましょう。そのうえ、君は大辰の年に国を出て、参(晋の星)の年に国に入られます。どちらも晋のめでたいしるしであり、天の大いなる筋道です。河を渡って天下の事をとり行えば、必ず諸侯の長となるでしょう。子孫もそのおかげをこうむるでしょう。君は恐れることはありません。」 公子は黄河を渡り、令狐・臼衰・桑泉の長を呼び寄せると、みな降った。晋の人々は恐れ、懐公は高梁に逃げた。呂甥と冀芮(ともに恵公・懐公の重臣)は軍を率い、甲午の日に廬柳に陣を構えた。秦伯は公子縶(秦の大夫)を晋軍に遣わして説かせたので、晋軍は退いて郇に宿営した。辛丑の日、狐偃は秦と晋の大夫と郇で盟約を結んだ。壬寅の日、公子は晋の軍に入った。甲辰の日、秦伯は帰国した。丙午の日、公子は曲沃に入った。丁未の日、都の絳に入り、武公の廟で即位した。戊申の日、懐公を高梁で殺させた。
解説
この章句が説くこと
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史記 晋世家楚に居ること数月、而して晋の太子圉秦より亡ぐ。秦之を怨む。重耳の楚に在るを聞き、乃ち之を召す。成王曰く、「楚は遠く、数国を更て乃ち晋に至る。秦・晋は境を接し、秦君は賢なり。子其れ勉めて行け」と。厚く重耳を送る。重耳秦に至る。繆公宗女五人を以て重耳に妻す。故の子圉の妻も与に往く。重耳受くるを欲せず。司空季子曰く、「其の国すら且に伐たんとす。況んや其の故の妻をや。且つ受けて以て秦の親を結びて入らんことを求む。子乃ち小礼に拘はりて、大醜を忘れんか」と。遂に受く。繆公大いに歓び、重耳と飲む。趙衰黍苗の詩を歌ふ。繆公曰く、「子の急ぎ国に反らんと欲するを知る」と。趙衰重耳と下り、再拝して曰く、「孤臣の君を仰ぐは、百穀の時雨を望むが如し」と。是の時晋の恵公の十四年の秋なり。恵公九月を以て卒し、子圉立つ。十一月、恵公を葬る。十二月、晋国の大夫欒・郤等重耳の秦に在るを聞き、皆陰かに来たりて重耳・趙衰等に国に反らんことを勧む。内応を為す者甚だ衆し。是に於て秦の繆公乃ち兵を発して重耳と晋に帰る。晋秦の兵の来たるを聞き、亦た兵を発して之を拒む。然れども皆陰かに公子重耳の入るを知る。唯だ恵公の故の貴臣呂・郤の属のみ重耳を立つるを欲せず。重耳出亡すること凡そ十九歳にして入るを得たり。時に年六十二なり。晋人多く焉に附く。文公の元年春、秦重耳を送りて河に至る。咎犯曰く、「臣君に従ひて天下を周旋し、過ちも亦た多し。臣すら猶ほ之を知る。況んや君に於てをや。請ふ此より去らん」と。重耳曰く、「若し国に反りて、子犯と共にせざる所の者は、河伯之を視よ」と。乃ち璧を河中に投じ、以て子犯と盟ふ。是の時介子推従ひて、船中に在り。乃ち笑ひて曰く、「天実に公子を開く。而して子犯以て己の功と為して君に要市す。固より羞づるに足る。吾同位するに忍びず」と。乃ち自ら隠れて河を渡る。秦の兵令狐を囲み、晋廬柳に軍す。
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『春秋左氏伝』僖公二十四年 白水の誓い二十四年春、王の正月、秦伯之を納る。書せざるは、入るを告げざればなり。河に及ぶ、子犯璧を以て公子に授けて、曰く、「臣羈絏を負ひて、君に從ひて天下を巡る。臣の罪甚だ多し、臣すら猶ほ之を知る、而るを況んや君をや。請ふ此より亡らん」と。公子曰く、「舅氏と心を同じくせざる所の者は、白水の如き有らん」と。其の璧を河に投ず。河を濟り、令狐を圍み、桑泉に入り、臼衰を取る。二月、甲午、晉の師廬柳に軍す。秦伯公子縶をして晉の師に如かしむ。師退きて、郇に軍す。辛丑、狐偃秦・晉の大夫と郇に盟ふ。壬寅、公子晉の師に入る。丙午、曲沃に入る。丁未、武宮に朝す。戊申、懷公を高梁に殺さしむ。書せざるは、亦た告げざればなり。
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国語・晋語四遂に楚に如(ゆ)く。楚の成王周礼を以て之を享(きょう)す。九献、庭実旅百(りょひゃく)。公子辞せんと欲す。子犯曰く、「天命なり、君其れ之を饗けよ。亡人にして国之を薦め、敵に非ずして君之を設く。天に非ずんば、誰か之が心を啓かん」と。既に饗す。楚子公子に問いて曰く、「子若し克く晋国に復らば、何を以て我に報いん」と。公子再拝稽首して対えて曰く、「子女玉帛は、則ち君之を有す。羽旄(うぼう)歯革は、則ち君の地に生ず。其の晋国に波及する者は、君の余りなり。又何を以て報いん」と。王曰く、「然りと雖も、不穀(ふこく)願わくは之を聞かん」と。対えて曰く、「若し君の霊を以て、晋国に復るを得ば、晋・楚兵を治めて、中原に会わば、其れ君を避くること三舎せん。若し命を獲ずんば、其れ左に鞭弭(べんび)を執り、右に櫜鞬(こうけん)を属(つ)け、以て君と周旋せん」と。 令尹子玉(しぎょく)曰く、「請う晋の公子を殺さん。殺さずして、晋国に反らば、必ず楚の師を懼れしめん」と。王曰く、「不可なり。楚の師の懼るるは、我修めざればなり。我の不徳、之を殺して何をか為さん。天の楚に祚せば、誰か能く之を懼れしめん。楚祚すべからずんば、冀州(きしゅう)の土、其れ令君無からんや。且つ晋の公子は敏にして文有り、約にして諂(へつら)わず、三材之に侍す、天之に祚せり。天の興す所、誰か能く之を廃せん」と。子玉曰く、「然らば則ち請う狐偃を止めん」と。王曰く、「不可なり。曹詩に曰く、『彼の己(き)の子、其の媾(こう)を遂げず』と。之を郵(とが)むるなり。夫れ郵めて之に效(なら)わば、郵又甚だし。郵に效うは、礼に非ざるなり」と。是に於て懐公秦より逃げ帰る。秦伯公子を楚に召す。楚子幣を厚くして以て公子を秦に送る。
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史記 晋世家二月辛丑、咎犯秦・晋の大夫と郇に盟ふ。壬寅、重耳晋の師に入る。丙午、曲沃に入る。丁未、武宮に朝し、即位して晋君と為る。是を文公と為す。群臣皆往く。懐公圉高梁に奔る。戊申、人をして懐公を殺さしむ。懐公の故の大臣呂省・郤芮本より文公に附かず。文公立ち、誅せられんことを恐れ、乃ち其の徒と謀りて公宮を焼き、文公を殺さんと欲す。文公知らず。始め嘗て文公を殺さんと欲せし宦者履鞮其の謀を知り、以て文公に告げて、前の罪を解かんと欲し、文公に見えんことを求む。文公見えず、人をして譲めしめて曰く、「蒲城の事、女予が袪を斬る。其の後我狄君に従ひて猟す。女恵公の為に来たりて我を殺さんことを求む。恵公女と期するに三日にして至れとす。而るに女一日にして至る。何ぞ速やかなるや。女其れ之を念へ」と。宦者曰く、「臣は刀鋸の余なり。敢て二心を以て君に事へ主に倍かず。故に罪を君に得たり。君已に国に反る。其れ蒲・翟無からんや。且つ管仲鉤を射て、桓公以て覇たり。今刑余の人事を以て告ぐるも君見えずんば、禍又且に及ばんとす」と。是に於て之に見ゆ。遂に呂・郤等を以て文公に告ぐ。文公呂・郤を召さんと欲す。呂・郤等は党多し。文公初めて国に入り、国人の己を売らんことを恐れ、乃ち微行を為し、秦の繆公に王城に会す。国人知る莫し。三月己丑、呂・郤等果たして反し、公宮を焚くも、文公を得ず。文公の衛徒与に戦ふ。呂・郤等兵を引きて奔らんと欲す。秦の繆公呂・郤等を誘ひ、之を河上に殺す。晋国復して文公帰るを得たり。夏、夫人を秦に迎ふ。秦の文公に妻す所の者卒に夫人と為る。秦三千人を送りて衛と為し、以て晋の乱に備ふ。文公政を修め、恵みを百姓に施す。従亡の者及び功臣を賞し、大なる者は邑を封じ、小なる者は爵を尊くす。未だ尽くは賞を行はざるに、周の襄王弟帯の難を以て出でて鄭の地に居り、来たりて急を晋に告ぐ。晋初めて定まり、兵を発せんと欲するも、他の乱の起こらんことを恐る。是を以て従亡を賞するに未だ隠者介子推に至らず。推も亦た禄を言はず、禄も亦た及ばず。
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国語・晋語四公狄に在ること十二年、狐偃(こえん)曰く、「日(さき)に吾此に来たるや、狄を以て栄と為すに非ず、以て事を成すべければなり。吾曰く、『奔りて達し易く、困しみて資有り、休みて以て利を択べば、以て戾(いた)るべし』と。今戾ること久し、戾ること久しければ将に底(とど)まらんとす。底著滞淫(ていちゃくたいいん)せば、誰か能く之を興さん。盍(なん)ぞ速やかに行かざる。吾斉・楚に適(ゆ)かざりしは、其の遠きを避けしなり。力を蓄うること一紀、以て遠くすべし。斉侯長ぜり、而して晋に親しまんと欲す。管仲歿して、讒多く側に在り。謀りて正すこと無く、衷(うち)に始めを思う。夫れ必ず前言を追択し、善を求めて以て終えんとし、邇(ちか)きに饜(あ)きて遠きを逐い、遠人入りて服するを、郵(とが)と為さざらん。其の季年に会うは可なり、茲(ここ)に以て親しむべし」と。皆以て然りと為す。 乃ち行きて、五鹿(ごろく)を過ぎ、食を野人に乞う。野人塊(つちくれ)を挙げて以て之に与う。公子怒りて、将に之を鞭うたんとす。子犯(しはん)曰く、「天の賜なり。民土を以て服す、又何をか求めん。天事は必ず象(しょう)あり、十有二年にして、必ず此の土を獲ん。二三子之を志(しる)せ。歳(さい)寿星及び鶉尾(じゅんび)に在るとき、其れ此の土を有たんか。天以て命ぜり、寿星に復らば、必ず諸侯を獲ん。天の道なり、是に由りて之を始めん。此を有つは、其れ戊申(ぼしん)を以てせんか。土を申(の)ぶる所以なり」と。再拝稽首し、受けて之を載す。遂に斉に適く。
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史記 晋世家子圉遂に亡げて晋に帰る。十四年九月、恵公卒し、太子圉立つ。是を懐公と為す。子圉の亡ぐるや、秦之を怨み、乃ち公子重耳を求め、之を内れんと欲す。子圉の立つや、秦の伐たんことを畏る。乃ち国中の諸々の重耳に従ひて亡げし者に令して与に期し、期尽きて到らざる者は尽く其の家を滅ぼさんとす。狐突の子毛及び偃重耳に従ひて秦に在り。召すを肯ぜず。懐公怒り、狐突を囚ふ。突曰く、「臣の子重耳に事ふること年数有り。今之を召すは、是れ之に君に反くことを教ふるなり。何を以て之を教へん」と。懐公卒に狐突を殺す。秦の繆公乃ち兵を発して送りて重耳を内れ、人をして欒・郤の党に告げて内応を為さしめ、懐公を高梁に殺し、重耳を入る。重耳立つ。是を文公と為す。晋の文公重耳は、晋の献公の子なり。少きより士を好み、年十七にして、賢士五人有り。趙衰と曰ひ、狐偃咎犯、文公の舅なり、賈佗、先軫、魏武子なり。献公の太子為りし時より、重耳固より已に成人たり。献公即位するとき、重耳年二十一なり。献公の十三年、驪姫の故を以て、重耳蒲城に備へて秦を守る。献公の二十一年、献公太子申生を殺す。驪姫之を讒す。恐れて、献公に辞せずして蒲城を守る。献公の二十二年、献公宦者履鞮をして趣(すみ)やかに重耳を殺さしむ。重耳垣を踰ゆ。宦者逐ひて其の衣袪を斬る。重耳遂に狄に奔る。狄は、其の母の国なり。是の時重耳年四十三なり。此の五士に従ひ、其の余の名あらざる者数十人、狄に至る。狄咎如を伐ち、二女を得たり。長女を以て重耳に妻し、伯鯈・叔劉を生む。少女を以て趙衰に妻し、盾を生む。狄に居ること五歳にして晋の献公卒す。里克已に奚斉・悼子を殺し、乃ち人をして迎へしめ、重耳を立てんと欲す。重耳殺されんことを畏れ、因りて固く謝し、敢て入らず。已にして晋更に其の弟夷吾を迎へて之を立つ。是を恵公と為す。
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