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国語 / 晋語四

公子過宋,與司馬公孫固相善,公孫固言於襄公曰:「晉公子亡,長幼矣,而好善不厭,父事狐偃,師事趙衰,而長事賈佗。狐偃其舅也,而惠以有謀。趙衰其先君之戎御,趙夙之弟也,而文以忠貞。賈佗公族也,而多識以恭敬。此三人者,實左右之。公子居則下之,動則諮焉,成幼而不倦,殆有禮矣。樹於有禮,必有艾。《商頌》曰:『湯降不遲,聖敬日躋。』降,有禮之謂也。君其圖之。」襄公從之,贈以馬二十乘。

新字:公子過宋,与司馬公孫固相善,公孫固言於襄公曰:「晋公子亡,長幼矣,而好善不厭,父事狐偃,師事趙衰,而長事賈佗。狐偃其舅也,而恵以有謀。趙衰其先君之戎御,趙夙之弟也,而文以忠貞。賈佗公族也,而多識以恭敬。此三人者,実左右之。公子居則下之,動則諮焉,成幼而不倦,殆有礼矣。樹於有礼,必有艾。《商頌》曰:『湯降不遅,聖敬日躋。』降,有礼之謂也。君其図之。」襄公従之,贈以馬二十乗。

書き下し

公子宋を過ぐ。司馬公孫固(こうそんこ)と相善し。公孫固襄公に言いて曰く、「晋の公子亡げて、幼より長ず。而して善を好みて厭(あ)かず。狐偃に父事し、趙衰(ちょうし)に師事し、賈佗(かだ)に長事す。狐偃は其の舅なり、而して恵にして以て謀有り。趙衰は其の先君の戎御(じゅうぎょ)、趙夙(ちょうしゅく)の弟なり、而して文にして以て忠貞なり。賈佗は公族なり、而して多識にして以て恭敬なり。此の三人の者、実に之を左右す。公子居れば則ち之に下り、動けば則ち焉に諮(はか)る。幼より成りて倦まず、殆ど礼有り。有礼に樹(う)うれば、必ず艾(か)ること有り。商頌に曰く、『湯の降ること遅からず、聖敬日に躋(のぼ)る』と。降るとは、礼有るの謂なり。君其れ之を図れ」と。襄公之に従い、贈るに馬二十乗を以てす。

現代語訳

公子は宋を通った。宋の司馬(軍事をつかさどる長官)公孫固と親しくなった。公孫固は宋の襄公に言った。「晋の公子は亡命の身で、幼いころから大人になるまでを過ごしてきました。それでも善を好んで飽くことがありません。狐偃には父に対するように仕え、趙衰には師に対するように仕え、賈佗には年長者に対するように仕えています。狐偃は公子の母方のおじで、情け深く知略があります。趙衰は晋の先君の戦車の御者であった趙夙の弟で、教養があり忠実で節操があります。賈佗は晋の公族で、物知りで慎み深い人です。この三人がまさに公子の左右を支えています。公子はふだんは彼らにへりくだり、事を起こすときには彼らに相談します。幼いころから大人になるまで怠ることがなく、礼をわきまえていると言ってよいでしょう。礼ある人に種をまいておけば、必ず刈り取る実りがあります。商頌に『湯王がへりくだるのは遅れることがなく、聖なる敬いの心は日に日に高まった』とあります。へりくだるとは、礼があるということです。君よ、どうかよくお考えください。」襄公はその言葉に従い、馬車二十台分の馬を公子に贈った。

解説

重耳一行が宋に立ち寄り、司馬の公孫固の進言で厚遇を受ける場面である。宋の襄公は泓の戦いで楚に敗れて傷を負ったばかりで、国に余力はなかったが、それでも馬二十乗を贈った。『春秋左氏伝』僖公二十三年にもこの贈り物が記されている。公孫固が重耳を推した根拠は、本人の才ではなく、狐偃を父のように、趙衰を師のように、賈佗を兄のように遇する姿勢にあった。有能な側近にへりくだり、事を起こす前に相談する人物は必ず実りを得る、と彼は説き、『詩経』商頌・長発の句を引いて、へりくだることこそ礼だとまとめた。衛や曹が重耳を冷遇したのと対照をなす。のちに楚が宋を囲むと、晋の文公となった重耳は宋を救うために兵を出し、城濮で楚を破った。人の将来は、その人が周りの有能な者にどう接しているかに表れる。上に立つほど、頼るべき人に頭を下げられるかが問われる。

この章句が説くこと

国語晋語礼謙譲重耳

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