国語 / 晋語四
過衛,衛文公有邢、狄之虞,不能禮焉。甯莊子言於公曰:「夫禮,國之紀也;親,民之結也;善,德之建也。國無紀不可以終,民無結不可以固,德無建不可以立。此三者,君之所慎也。今君棄之,無乃不可乎!晉公子善人也,而衛親也,君不禮焉,棄三德矣。臣故云君其圖之。康叔,文之昭也。唐叔,武之穆也。周之大功在武,天祚將在武族。苟姬未絕周室,而俾守天聚者,必武族也。武族唯晉實昌,晉胤公子實德。晉仍無道,天祚有德,晉之守祀,必公子也。若復而修其德,鎮撫其民,必獲諸侯,以討無禮。君弗蚤圖,衛而在討。小人是懼,敢不盡心。」公弗聽。
新字:過衛,衛文公有邢、狄之虞,不能礼焉。甯荘子言於公曰:「夫礼,国之紀也;親,民之結也;善,徳之建也。国無紀不可以終,民無結不可以固,徳無建不可以立。此三者,君之所慎也。今君棄之,無乃不可乎!晋公子善人也,而衛親也,君不礼焉,棄三徳矣。臣故云君其図之。康叔,文之昭也。唐叔,武之穆也。周之大功在武,天祚将在武族。苟姫未絶周室,而俾守天聚者,必武族也。武族唯晋実昌,晋胤公子実徳。晋仍無道,天祚有徳,晋之守祀,必公子也。若復而修其徳,鎮撫其民,必獲諸侯,以討無礼。君弗蚤図,衛而在討。小人是懼,敢不尽心。」公弗聴。
書き下し
衛を過ぐ。衛の文公邢(けい)・狄の虞(うれ)い有りて、礼すること能わず。甯荘子(ねいそうし)公に言いて曰く、「夫れ礼は、国の紀なり。親は、民の結なり。善は、徳の建なり。国紀無ければ以て終うべからず、民結無ければ以て固かるべからず、徳建無ければ以て立つべからず。此の三者は、君の慎む所なり。今君之を棄つ、乃ち不可なること無からんや。晋の公子は善人なり、而して衛の親なり。君礼せずんば、三徳を棄つるなり。臣故に君其れ之を図れと云う。康叔は、文の昭なり。唐叔は、武の穆なり。周の大功は武に在り、天祚(てんそ)将に武族に在らんとす。苟(いやしく)も姫未だ周室を絶たずして、天聚(てんしゅう)を守らしむる者は、必ず武族ならん。武族唯晋のみ実に昌(さか)ん、晋の胤は公子実に徳あり。晋仍(かさ)ねて無道なれば、天は有徳に祚(さいわい)す。晋の祀を守る者は、必ず公子ならん。若し復りて其の徳を修め、其の民を鎮撫せば、必ず諸侯を獲て、以て無礼を討たん。君蚤(はや)く図らずんば、衛にして討に在らん。小人是を懼る、敢えて心を尽くさざらんや」と。公聴かず。
現代語訳
一行は衛を通った。衛の文公は邢(隣国)と狄の侵攻に悩まされていて、公子を礼をもって迎えることができなかった。甯荘子(衛の大夫)が文公に言った。「そもそも礼は国の綱紀であり、親しみは民を結びつけるものであり、善は徳の土台です。国に綱紀がなければ長く続かず、民に結びつきがなければ固まらず、徳に土台がなければ立ちません。この三つは、君主が慎重に守るべきものです。いま君はこれを捨てようとしておられます。それではいけないのではありませんか。晋の公子は善い人物であり、しかも衛とは同族の親しい間柄です。君が礼をもって遇さなければ、三つの徳を捨てることになります。ですからわたしは、よくお考えくださいと申し上げるのです。衛の祖の康叔は文王の子であり、晋の祖の唐叔は武王の子です。周の大きな功業は武王にあり、天の恵みは武王の一族にくだるでしょう。もし姫姓がまだ周室を絶やさず、天下の財と民を守らせる者があるとすれば、それは必ず武王の一族です。武王の一族で盛んなのは晋だけであり、晋の血筋では公子こそが徳を備えています。晋は代々無道を重ね、天は徳ある者に恵みを与えます。晋の祭祀を守るのは、必ずこの公子でしょう。もし公子が帰国して徳を修め、民を落ち着かせれば、必ず諸侯を従え、無礼だった国を討つでしょう。君が早く手を打たなければ、衛はその討たれる側に入ることになります。わたしはそれを恐れるからこそ、心を尽くして申し上げるのです。」しかし文公は聞き入れなかった。
解説
この章句が説くこと
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『韓非子』難一第三十六今襄子驕侮の臣を誅せずして、功無きの赫を賞す、安くにか襄子の善く賞するに在らん。故に曰く、仲尼は善く賞することを知らず、と。晋の平公羣臣と飲む、飲酣にして、乃ち喟然として歎じて曰く、「人君為るより楽しきは莫し、惟だ其の言ひて之に違ふ莫し」と。師曠前に侍坐す、琴を援きて之に撞く。公衽を披きて避く、琴壁に壊る。公曰く、「太師誰にか撞く」と。師曠曰く、「今者小人の側に言ふ者有り、故に之に撞く」と。公曰く、「寡人なり」と。師曠曰く、「啞。是れ君人たる者の言に非ざるなり」と。左右之を除かんことを請ふ、公曰く、「之を釈せ、以て寡人の戒と為さん」と。或ひと曰く、平公は君道を失ひ、師曠は臣礼を失ふ。夫れ其の行を非として其の身を誅するは、君の臣に於けるなり。其の行を非とすれば則ち其の言を陳べ、善く諫めて聴かれざれば則ち其の身を遠ざくるは、臣の君に於けるなり。今師曠平公の行を非とし、人臣の諫を陳べずして、人主の誅を行ふ、琴を挙げて其の体に親しむ、是れ上下の位に逆らひて、人臣の礼を失ふなり。夫れ人臣為る者は、君過有れば則ち諫め、諫めて聴かれざれば則ち爵禄を軽んじて以て之を待つ、此れ人臣の礼なり。今師曠平公の過を非とし、琴を挙げて其の体に親しむ、厳父と雖も子に加へず、而るに師曠之を君に行ふ、此れ大逆の術なり。
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『春秋左氏伝』隠公五年 公、魚を棠に観る五年春、公將に棠に如きて魚する者を觀んとす。臧僖伯諫めて曰く、「凡そ物の以って大事を講ずるに足らず、其の材の以って器用に備ふるに足らざれば、則ち君舉げず。君は、將に民を軌・物に納れんとする者なり。故に事を講じて以って軌量を度る、之を『軌』と謂ふ。材を取りて以って物采を章らかにする、之を『物』と謂ふ。軌ならず物ならざる、之を亂政と謂ふ。亂政亟々行はるるは、敗るる所以なり。故に春蒐・夏苗・秋獮・冬狩、皆農隙に於いて以って事を講ずるなり。三年にして兵を治め、入りて旅を振ひ、歸りて飲至し、以って軍實を數ふ。文章を昭らかにし、貴賤を明らかにし、等列を辨じ、少長を順にし、威儀を習ふなり。鳥獸の肉俎に登らず、皮革齒牙・骨角毛羽器に登らざれば、則ち公射ず、古の制なり。夫の山林川澤の實、器用の資、皁隸の事、官司の守の若きは、君の及ぶ所に非ざるなり」と。公曰く、「吾將に地を略せんとす」と。遂に往き、魚を陳ねて之を觀る。僖伯疾と稱して從はず。書して「公魚を棠に矢ぬ」と曰ふは、禮に非ざればなり、且つ地の遠きを言ふなり。曲沃の莊伯鄭人・邢人を以って翼を伐つ。王尹氏・武氏をして之を助けしむ。翼侯隨に奔る。夏、衛の桓公を葬る。衛亂る、是を以って緩し。
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『春秋左氏伝』襄公三十年 伯姫、姆を待つ夏、四月、己亥、鄭伯其の大夫と盟ふ。君子是を以て鄭の難の已まざるを知るなり。蔡の景侯大子般の為に楚に娶る。焉に通ず。大子景侯を弒す。初め、王の儋季卒す。其の子括將に王に見えんとして歎ず。單の公子愆期靈王の御士為り。諸を廷に過ぎ、其の歎を聞きて言ひて曰く、「烏乎、必ず此を有たんとするかな」と。入りて以て王に告げ、且つ曰く、「必ず之を殺せ。慼へずして大を願ひ、視ること躁にして足高し。心他に在り。殺さずんば必ず害あらん」と。王曰く、「童子何をか知らん」と。靈王崩ずるに及び、儋括王子佞夫を立てんと欲す。佞夫知らず。戊子、儋括蒍を圍み、成愆を逐ふ。成愆平畤に奔る。五月、癸巳、尹言多・劉毅・單蔑・甘過・鞏成、佞夫を殺す。括・瑕・廖晉に奔る。書して「天王其の弟佞夫を殺す」と曰ふは、罪王に在ればなり。或ひと宋の大廟に呌びて曰く、「譆譆、出でよ出でよ」と。鳥亳社に鳴く、「譆譆」と曰ふが如し。甲午、宋大いに災あり。宋の伯姬卒す。姆を待てばなり。君子宋の共姬を謂ふ、「女にして婦ならず。女は人を待ち、婦は事を義とするなり」と。
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『春秋左氏伝』昭公四年 驕りて諫めを拒む王、椒舉をして後に侍して以て過ちを規さしむ。事を卒ふるまで規さず。王其の故を問ふ。對へて曰く、「禮、吾が未だ見ざる者六つ有り。又何を以てか規さん」と。宋の大子佐後れて至る。王武城に田して、久しくして見ず。椒舉辭せんことを請ふ。王往かしめて曰く、「屬(たまたま)宗祧の事武城に有り。寡君將に幣を墮(おく)らんとす。敢へて見ゆるを後らすを謝す」と。徐子は吳の出なり。以て貳と為す。故に諸を申に執ふ。楚子諸侯に侈りを示す。椒舉曰く、「夫れ六王二公の事は、皆諸侯に示す所以にして、禮なり。諸侯の由りて命を用ふる所なり。夏桀仍の會を為して、有緡之に叛く。商紂黎の蒐を為して、東夷之に叛く。周幽大室の盟を為して、戎狄之に叛く。皆諸侯に示す所以にして、汏(おご)りなり。諸侯の由りて命を棄つる所なり。今君汏りを以てす。乃ち濟らざること無からんや」と。王聽かず。子產左師に見えて曰く、「吾楚を患へず。汏りて諫に愎(もと)る、十年に過ぎず」と。左師曰く、「然り。十年ならずんば侈るも、其の惡遠からず。惡遠くして而る後に棄てらる。善も亦た之の如し。德遠くして而る後に興る」と。
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『春秋左氏伝』昭公十二年 克己復礼王出でて復た語る。左史倚相趨りて過ぐ。王曰く、「是れ良史なり。子善く之を視よ。是れ能く三墳・五典・八索・九丘を讀む」と。對へて曰く、「臣嘗て焉に問ふ。昔穆王其の心を肆にせんと欲し、天下を周行して、將に皆必ず車轍馬跡有らしめんとす。祭公謀父祈招の詩を作りて、以って王の心を止む。王是を以って祗宮に沒するを獲たり。臣其の詩を問ひて知らざるなり。若し遠きを問はば、其れ焉んぞ能く之を知らん」と。王曰く、「子能くするか」と。對へて曰く、「能くす。其の詩に曰く、『祈招の愔愔たる、式て德音を昭らかにす。我が王の度を思ふ、式て玉の如く、式て金の如し。民の力を形りて、醉飽の心無し』と」と。王揖して入り、饋れども食はず、寢ぬれども寐ねず、數日自ら克つこと能はず、以って難に及ぶ。仲尼曰く、「古や志有り、『己に克ちて禮に復るは、仁なり』と。信に善きかな。楚の靈王若し能く是くの如くならば、豈に其れ乾谿に辱められんや」と。晉鮮虞を伐つ。肥の役に因るなり。
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